松山千春『十勝』~一輪のバラ

 以前に、「超一流」と「三流」の違いを書きました(⇒コチラ)。その松山千春さんが、デビュー35周年を記念して、昨年夏に地元十勝で行った野外ライブ、『松山千春Summer Live in 十勝』がDVDで発売されました(1月25日)。途中から降り出した雨の中での熱唱が印象に残ります。久々に千春節を堪能したことでした。若い時の松山さんを知る人にとって、これほどビジュアルが変化した歌い手も珍しいですね。歌の上手さは変わりませんが。

 松山さんは、地元足寄高校では、首席となるなど成績は抜群で、担任からは大学進学を勧められていましたが、家業の苦しい家計を踏まえ「早く働いて父を助けたい」との考えから大学進学を断念しました。高校時代はバスケットボール部で、当時十勝地区で「シュートの鬼」の異名を取ったといいます。高校卒業後は、北見に出て、叔父が経営する小料理屋の手伝いと、クラブのバーテン兼照明係を行いながら、合間をみて作詞・作曲を行います。その後、一時足寄に戻り、父親の仕事を手伝いながら「フォーク音楽祭」に応募。生涯の“師”と仰ぐ竹田健二さんと出会うことになります。

 テレビドラマ『北の国から』の主題歌は、初めは倉本聰先生から、松山さんに作成を依頼されていたんですが、北海道をめぐる価値観の相違から仲たがいし、「北海道のことなど何も知らないくせに…」と行き違いが生じます。その結果、さだまさしさんが倉本先生の自宅に呼ばれ、ギターで即興で作った曲が、例の主題歌(あー、あー、ああああ、あーあ…)です。めったに人を褒めない、毒舌で知られる松山さんですが、さださんの詩だけは「すごい」と公言しています。松山さんは、自分の歌唱力には絶対的な自信を持っていて、「松山が生きている限りは自分以上に歌が上手い歌手は出てこない」と断言したこともあります。

 さて、1975年の全国フォーク音楽祭北海道大会。落選した松山さんに光るものを感じた、元札幌テレビ放送ラジオ局ディレクターの竹田健二さんは、周囲の反対を押し切り、自身のラジオ番組に起用して全国デビューをさせた、松山さんの生涯における最大の恩人です。東京に行くことはない。お前の好きな北海道で歌い続けろ。あとは俺が全部やる!」と、松山さんの歌手生活を全面的にバックアップします。しかし、台本を書いたファーストコンサート「旅立ち」の函館公演のあった1977年8月27日朝、急性心不全のため36歳の若さで急逝します。松山さんのコンサートのステージマイクのそばには、いつも赤いバラの花が一輪置いてあります。今回の野外コンサート「十勝」でもちゃんとありました。これは、今でも慕い続ける竹田さんが大好きだった花で、彼への追慕・敬意の表われなんです。竹田さん、俺の生き方間違ってないですよね、これでいいですよね。この歌どうですか?」 天国の竹田さんと会話をしながら歌っている、松山さんの義理堅さが大好きです。

 

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