渡部昇一家の人びと

 尊敬する渡部昇一先生のご長男、渡部玄一氏(読売日本交響楽団チェリスト)が、新刊ワタナベ家のちょっと過剰な人びと』(海竜社、2013年)、渡部家の生い立ち(父・知の巨人、母・ピアニスト、長女・ピアニスト、長男・チェリスト、次男・ヴァイオリニスト)を記しておられます。このエッセイが抱腹絶倒、面白いんです。日頃の渡部先生の著作からは知る由もない、渡部家の家庭教育、子育て風景の舞台裏をのぞくことができて、思わず吹き出したり、微笑ましかったりでした本の引っ越しにね、五百万円もかかるらしいのよ」 「渡部家の崩壊は本の崩落から始まる」 「地震がきて、崩れ落ちた本で圧死するなら本望!」 「うちにはねえ、本の権利、本権はあるけれど人権がないのよ!」 「玄ちゃん、俺はね、自分の思い通りにヴァイオリンを弾けたら死んでも良いと思うんだ」

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 今年の東北大学・前期の英作文の問題は、渡部昇一先生の『知的余生の方法』(新潮新書、2010年)pp. 136-137(一部改変)から出題されました。下線部分の英訳問題です。きっと出題者は先生のファンなんでしょうね。

 インターネットで欲しい情報はすぐにどこにいても手に入る。二百年以上もの歴史を持つ
有名な英国の百科事典が、もう新版を出さなくなったのもインターネットの時代になったか
らだと聞いている そこから出てくる一つの結論は、書物の時代が終わったのではないかという危惧である。
報道などでも盛んに流布され、活字文化の未来予測は相当暗いと騒がれている。
 情報はインターネットでよいのに、なぜ私は書物をこれほど買うのか。どうして高価な古
書まで買うのか。それは書物から得るものが単に情報だけではないからだ。書物はインター
ネット上の情報が与えることのできない「楽しさ」を与えてくれるのである。それは古い装
幀や世紀を隔てた匂いなどなど。
 インターネットの情報と、読書から得る知識とは本質的に違うのではないだろうか。その
違いを比喩で表現したら、食物とサプリメントの関係になるのではないだろうか。
                                             (2013年 東北大学前期) 
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