小田和正の魅力

 大好きな小田和正(おだかずまさ、70歳!)さんが、高校3年生の時のエピソードです。横浜の聖光学学院高等部の3年生、全校生徒はバスに分乗して遠足に出かける予定でした。しかし当日はあいにくの雨で、一向に止む気配もなく、結局遠足は中止となります。普通なら学校が下した決定ですから、生徒たちは諦めて帰宅するところです。大半の生徒はそうやって帰宅していきました。でも、小田さんと彼の仲間たちは諦めきれませんでした。高校生活最後の遠足でしたから、ずいぶん楽しみにしていたのでしょう。どうしても遠足に行きたい!そこで小田さんたちが計画したのは、生徒たちだけによる遠足の「自主開催」です。この企画に賛同したのは、前々から小田さんと馬があった20数人です。小田さんたちは、公衆電話ボックスから「イースタン観光」に電話します。「箱根に行きたいから、バスを貸して欲しい。マイクロバスでいいから」。するとバス会社は大きいバスを出してくれるという。あいにくの雨で会社もキャンセルが相次ぎ手持ち無沙汰の状況だったのでしょう。立派な一台がやって来ます。学校が下したNOを、小田さんたちはこうやってYESに変えてみせたのでした(小田さんの歌で私が一番好きな歌が「YES-NO」です)。運転手さんだけでなく、バスガイドさんまで同行してくれて、箱根に出発します。バスの中では仲間たちの大合唱。ユネスコ村、箱根の名所など、雨の中を一周して戻ってきました。当日の一枚の集合写真が残っています。みんな、「ヤッタぜ!」という顔で写っています。小田さん曰く、「いや、これでもう、後がない、という、そんな遠足だったからだよ。それはきっと大きな思い出となるだろう…。その、もうこれを逃すと後はないってことが、大きかったんだよ。でも、俺はそもそも、みんなでバスに乗ってワイワイやりながらどこかへ行くとか、そういうことが、もともと大好きなんだ」 小田さんは今でも集合写真を撮るのが大好きです。プロミュージシャンになってコンサートが成功したときスタッフと、野球チームの一員として、映画製作が実現して打ち上げで、どの写真にも、あの高校3年生のときと同じ表情が並んでいます。それにしても、高校生が電話してきたのに、よくバスを貸してくれたものですね。学校との兼ね合い、費用のこと、何か事故でもあった時のこと、今では大問題になりそうなことですものね(小貫信昭『小田和正ヒストリー YES-NO』(角川書店)による)。でも小田さんらしい逸話です。

 八幡は、小田和正さんのこうした人間的な魅力に強く惹かれている長年の大ファンですが、今日はその人柄を概観してみようと思います。まさに私の「小田和正ストーリー」です。実に素敵だと思いませんか?私はこんな生き方に憧れています。

 小田さんは若い頃から、自分にとって意味のある抵抗をせよ!自分にとって意味のない抵抗はするな!そしてその判断をするのは自分である」とおっしゃっていました。私がよく教室で生徒たちに紹介する言葉です。「学生服のボタンをだらしなくはずしたり、シャツを出したり、髪を染めたり、ピアスをしたり、指輪をしたり、スカートを短くしたりすることが、はたして意味のある抵抗であろうか?私は疑問を感じます」と(意味のある抵抗)。オフコース」時代は「売れる曲」を書かなくては、という束縛心があったといいます(プレッシャーとの対峙)。毎年毎年アルバムを作り、全国をコンサート活動で回り、という図式に疑問を感じ、年一作のアルバムを放棄しました。いいものができたときだけ聞いてもらえればいい、という彼なりの抵抗(ポリシー)ですね(しきたりへの抵抗)。そんな生き方に共感を覚えたものです。高校3年の文化祭では、4人で「グリーンスリーブズ」を合唱し評判になりました。その中には、後にオフコース」を組む鈴木康博地主道夫もいました(親友との出会い)。家業が薬局だった小田さんは医学部志望。高校2年の時、千葉大学の付属病院を見学し、暗い病棟でホルマリンのにおいをかいだ途端、自分には向いていないとおじけづきました(オープンキャンパスに参加することの重要性)。帰宅してすぐ「もう、医者はやめた」と宣言すると、母はあっさりと承諾してくれ「これからの時代は建築よ」と言いました。理系と文系の中間ぐらいの学問が向いていると思っていたので、小田さんにとって建築はうってつけでした(安易に選択することの怖さ)。鈴木は東京工業大学へ、地主と小田は東北大学に進学します。離ればなれになっても、夏休みには横浜へ戻りコンサートを開きました(友人の大切さ)。大学4年の時、初めて「ジ・オフコース」を名乗りヤマハ・ライトミュージック・コンテストに出場。東北予選を第1位で通過し全国大会へ進みます。建築関係に就職するつもりで、ここで全国優勝をして音楽にけじめをつけようと考えていた小田さんです。そこで山本潤子さん(現在活動休止中)の「赤い鳥」の信じられないような美しいハーモニーに打ちのめされます(挫折の経験)。彼女たちの「竹田の子守歌」は鳥肌が立つくらいすごかったといいます。2位にはなったものの、負けを引きずったまま音楽をやめる気にはなれませんでした(再挑戦の決意)。早稲田大学理工学部建築科修士課程に進み、音楽活動を続ける小田さん。当時は「南こうせつとかぐや姫」の前座として全国を回りました。幕が開くと客席がワーッと沸く。オフコース」が歌い始めると「あれ、かぐや姫じゃない」って感じになる。小田が「次が最後の曲です」と言った途端に大きな拍手が来る。「やっと終わりか」という意味です。哀れだったと振り返ります(下積み時代の辛さ)。大学院に戻り、「建築への訣別」と題する修士論文で、教授陣との質疑応答に臨んだ小田さん。近代建築の巨匠を論文で切り捨て、目の前にいる教授が設計した理工学部の校舎まで否定するなど、若気の至りで言いたい放題(自分にあくまでも正直に)。さすがに「建築はダメで音楽はいいと言うのか、君は!」と教授が怒り出します。最後は「訣別」の題名を穏便なものに変更するという条件で、論文を受け取ってもらいました。その日その足でライブハウスの「新宿ルイード」で歌っています。「今日、僕は建築をやめてきました。これから頑張って音楽をやっていきます」と(人生の転機)。当時のヒットメーカー筒美京平先生の書いたシングル曲「忘れ雪」を、コンサートでどうしても歌いたくないと拒否し続けます。レコードを売りたい事務所側と「新人のくせに生意気だ」と対立(コアなファンの間では「忘れ雪事件」として知られる⇒コチラです)します。小田は「歌いたくないものは歌えない」と自説を曲げず押し通すのでした(妥協することへの拒絶)。あれほど嫌いだったTVのCM(ネスカフェコーヒー)にも出演します。あれは衝撃的でした。「何でも体験しておこう」、と好きなゴルフのキャディーに挑戦。青木 功のアメリカでのシニア大会に同行します(幅広い興味とその追求)。他の選手の邪魔をしてしまったり、残り距離の計算を間違えたりと、緊張で失敗の連続で、いい年をして、青木さんに「こら、何やってんだ」と怒られたりもありました(失敗からの学習)。ソロになってから、驚愕の270万枚を売り当時のシングル売り上げ記録を作った「ラブストーリーは突然に(「東京ラブストーリー」主題歌)で大もうけし(大成功)、数年先と考えていた念願の映画制作の資金ができます。1992年に自ら脚本、監督、音楽を手がけた「いつかどこかで」を全国公開。だが、映画評論家からは酷評され強烈なバッシングを受けました。「才能の無い者に映画を撮らせてはいけない」とまでひどく言われました。悔しさで体が震えたといいます。意地で第2作目「緑の街」を(彼の自伝でもあります)、映画館では上映せずに、全国264カ所にも及ぶ公民館や地元の小ホールでの自主上映で全国を回ったのは小田さんらしい反骨精神でした。拍手を送りながら県民会館に出かけたのを思い出します。次の3作目が勝負だと言います(の夢と意地)。 当時「僕白身、50を過ぎて歌うなんて予想もしなかったけど、声は今が一番よく出ている。節制していないのに不思議ですよ。いろんなことにチャレンジし失敗もして、悔しがったり喜んだりしているから、いつも新鮮でいられるのかもしれません」と小田さん。あれからもう20年が経ちました。 来は締めくくりとして、代表曲を英語で歌ったCDを作りたい。欧米の音楽を目指してやってきた以上、そこをブレークしないと、ゴールに到達できないという想いがどこかにあるんですよ。」 楽しみにしたいと思います。1998年、小田さんは東北自動車道で大事故を起こし瀕死の重傷を負います(死との直面)⇒交通事故の私の詳しい記録はコチラです。 ファンの人たちから贈られる「生きていてくれただけでよかった」という言葉に愕然として、ファンを喜ばすにはどうしたらよいか、を真剣に考えるようになりました(恩返し)。それからの小田さんは、間違いなく一皮むけた存在となっていきました。

 そして今、小田さんは70歳(古稀)を迎えました。まだまだあの声は健在ですし、新しい挑戦も始まっているようです。そんな小田さんを応援し続けたいと思っている八幡でした。♥♥♥

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