学校は勉強しに来る所ではない!

 学校は勉強しに来る所ではありません。勉強の仕方」を教わりに来る所です。これは八幡の持論で、受け持った生徒たちには必ず伝える言葉です。

 さだまさしさんの書き下ろしエッセイ『心の時代』(サンマーク出版、1998年)pp.166-191には、高校時代二年十組の名物担任安本 衛(やすもとまもる)先生が登場します。國学院高校の時の担任、二年十組(総勢68名!)の安本 衛先生は、人生の恩師というか、大人になってからも「七夕会」と称して集うクラスの皆の心の拠り所みたいな方でした。担任で、古典の教師でもある安本先生の登場場面が、まるで映画のワンシーンのように描写されています。こうして30年近く昔のある授業を、しかも担任教師の言葉を、一言一句忘れずに覚えていることって本当にすごいことですね。昨年、さださんがお母さんを送ったその日に、安本先生が脳梗塞で倒れました。1度は持ち直し、小康状態を保っていましたが、肺炎を併発し、2016年5月2日未明にご逝去されました。公私ともにお世話になった恩師を失ったことは、さださんだけでなく、弟子達、「安本一家」には大打撃でしたが、皆一体となって、共に先生の教えとご縁を大切に仲良く生きてゆくことを誓っておられました。

 安本は担任であるばかりか、我々の国語科の教師でもあった。そして、最初の古典の授業がやってきた。授業の時間が始まっても、安本は教卓の上に教科 書を置いたまま、黒板の前を考え事をするかのように左右にうろうろするばか りだった。休み時間の延長でざわついていたクラス(なにしろ68人の大ク ラスだ。ざわつきも半端じゃない。)、入ってきた教師が何も言葉を発せずただうろうろするのを見て静かになる。それを待っていたかのように、安本は平然と語り出した。大きな声だった。
 「これから諸君とともに古典文学について学んでいくわけだが」と、そこで言葉を切り、
 「俺はなあ、古典文学のなんたるかを君たちに“教える”ほど古典を知らない」ほうっとクラスが笑いとないまぜになったため息をついた。さらに言う。 「古典のなんたるかを教えるほど、偉くはないんだよ。」 今にして思えば、素晴らしい「掴み」だった、まず自らが一瞬にして生徒の視線まで降りてきたのだ。
・・・(中略)・・・
「いいか、日本語である限り君たちに読めないはずなどないのだ。たとえば、諸君が先生に内緒でロッカーに隠して置いているであろう少年マガジンや少年サンデー、はたまた平凡パンチやプレボーイを読むが如くに、古典文学を読んでみたいと思わないか?」誰だってそう思っている。だた、諦めているだけなのだ。安本はそういうわれわれの絶望感を抱え上げるように問いかけ、問いかけることによってこころを掴んだ。そしてさらに続けてこう言い放った。
 「俺はなあ、君達に古典のなんたるかを教えるほど偉くはないが、君達が将来、週刊誌を読むが如く古典を読むための『イロハ』だけはきちんと教えてやるから、黙って俺についてこい」

 こうして、結束を固めた二年十組でのエピソードは、さださんのコンサートの間合いのネタで沢山紹介されました。「来週までに全員雑きんを一人一枚ずつ持ってくるように」という先生の要請に、地方から出てきた佐田さんのために、クラスの19人もの人が助けてくれた話、ひんしゅくを買ったものの、文化祭で大儲けした話(他クラスが2,000~5,000円がいいところにもかかわらず30,000円を大きく超えていた!)、定期考査の平均点は学年最下位だったものの、実力テストではダントツの学年一番だったこと、平生は出席率が学年最下位なのに、雪やストライキで登校が困難な時は、歩いてでも全員(!)が揃うという不思議なクラスのこと、など心に染みるエピソードがありましたね。そんな安本先生が、昨年お亡くなりになりました。さださんが、本やコンサートのトークでよく話題にされた、安本先生の名言があります。私も学校でよく口にする言葉です。

 お前たち勘違いしないように一言だけ言っておくけれど、学校というところは勉強をしに来るところじゃなくて、学校を出た後で自分の本当の勉強をするための方法を教わりに来るところだ。学校が終わったら勉強が終わるんじゃなくて、学校を出てからお前らの勉強が始まるんだ。一生かけて勉強しろ。

 2014年2月20日の『中日新聞』にも、恩師「安本衛先生」のこの話が載っていました。いい言葉です。

 「多くの学生は、学校を”勉強する場所”だと思っているから、卒業したら『勉強も卒業した』と勘違いするが、それは間違いだ。よいか、学校とは“勉強する方法を教わる場所”だ。勉強は一生をかけてするもの。学校にいる間に“勉強する方法”をきちんと学び、己の人生を懸けて自分の勉強を果たせよ

 学校は勉強しに来る所ではありません。勉強の仕方」を教わりに来る所です。そして自分でいつまでも勉強が続けられるように、その礎を固めるところです。私は英語の授業で、できる限り「勉強の仕方」「心がまえ」を教えてきましたし、今もそうやって教えています。若い先生たちは一生懸命、手取り足取り「勉強」を事細かく教えてしまいがちです。勉強の仕方」を教えてもらえれば、その生徒たちは大学へ進んでも、社会人になっても、一生勉強を続けることができますね。ということで、今日も英語を正確に読むための「勉強の仕方」を話してきます。私は学生時代にそういう教育を受けました。今でも分からないことは山のようにありますが、自分で調べる「方法」はきっちりと教え込んでいただきました。感謝しています。私の教え子たちもみんな立派に成長しました。嬉しい限りです。 ❤❤❤ 

▲私の退職を祝って集まってくれた松江南高校3年2Rの面々

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