西村京太郎先生と戦争

         ▲湯河原「西村京太郎記念館」展示の先生の全著作

 十津川警部シリーズでおなじみの鉄道ミステリーの第一人者・西村京太郎先生(87歳)は、昭和24年4月にエリート将校養成機関である東京陸軍幼年学校に入学し、その四ヶ月半後に終戦を迎えました。当時の自身の生々しい戦争体験や、それに基づく独自の戦争観、日本人論について自伝的ノンフィクションという形で書き下ろしたのが、十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」』(集英社新書、2017年)でした(先生には終戦工作秘話をテーマにした小説『D機関情報』という作品もあります)。この12月には600冊を超える作品を、昭和から平成にかけて出版してきたベストセラー作家が、なぜ今戦争体験を振り返るのか?西村先生の著作としては異色の内容ということもあって、刊行直後から大きな話題となり、出版社にも予想以上の反響があり、テレビ、新聞、雑誌、ウェブ媒体などから多数の取材依頼が舞い込んでいます。⇒この本の私の紹介はコチラです   酷暑の中、多忙なスケジュールに追われる西村先生ですが、「取材はどんどん受けますよ」と言って精力的に対応しておられました。マツコ・デラックスさんのバラエティ番組「アウト×デラックス」に出演したり、「報道ステーション」に出演したり、と飛び回っておられました。そんな一つが、『スポーツ報知』10月10日付「西村京太郎さんの戦争体験」と題して掲載されました。

 B29の空襲で校舎を焼き尽くされ、本土決戦が迫り来ようとしていると信じる中でも、「盾になって、天皇陛下をお守りするのだ」と覚悟していた軍国少年の西村先生。玉音放送を聞いた日から72年たった今、確信するのは日本人は戦争に向いていないということです。日本人は権力に弱く、戦争を叫ぶ権力者の声に従ってしまう。そして一番恐れるのは『臆病者』『ひきょう者』と言われること。戦争は始まってしまったら一刻も早く止めるべきなのに、勝算のない戦いをダラダラと続けてしまったんです」「最近はなんとなくきな臭いからね。安倍総理もそうだけど都知事の小池さんも『右』だからね。走り始めるとずーっと右へ行っちゃう。怖いですよね。子供の頃、皆が読んでいたのは『新戦艦高千穂』とか『見えない飛行機』という小説。読むと日本は戦争に勝てるんじゃないかと思うようになる。日本人は空気に弱いですから。総理大臣の話も威勢がいいほうが受けますけど、政治家がそういうことを言っちゃいけないんですよ」 2015年に「安保法案」が国会で可決され、西村先生には戦前・戦中の悲惨な記憶が蘇ってきます。2015年(平成27)は、太平洋戦争の終戦からちょうど70年となります。十津川警部シリーズの2015年の作品から、突如として戦争の話が組み込まれていくのは、そういう事情からなんです。西村先生は「このままでは、だれも戦争のことが分からなくなる。だから、書いておかなくてはならないと思ったのです会報『十津川エクスプレス』vol.31)と。この最新の会報の巻頭エッセイでは「きな臭い空気」と題して、最近のアメリカと北朝鮮のきな臭いやり取りを、太平洋戦争を生き抜いた先生は、戦争を知らない世代とはちょっと違う角度から分析をしておられ、非常に興味深く読みました。

 終戦後、西村先生は人事院に就職されます。旧制中学卒では出世は見込めない。大学進学を考えます。1949年頃、慶応義塾大学の通信科の願書を締め切り日に出しに出かけました。午後3時の15分の休みに願書を出しに新橋まで歩いて行ったのです。虎ノ門の交差点で信号が全部赤になって、右を見ても左を見ても全ての信号が赤でした。車の1台も見えなかったので、交差点を渡ろうとしたら警官が飛んできて怒鳴られてえらく叱られて制止されてしまいます。理由は「マッカーサー一行がお通りになる」ということで、規制が解除されたときには、願書提出の締め切り時間の午後4時が過ぎてしまっていました。大学に行き損なったのは、マッカーサーのせいですね。今、振り返れば面白かったけど、あの時は本当に怒っていた。全然車が走って来ないのに、ずーっと待たされて。大学に行っていたら、作家にならずに大卒の役人にでもなって全うしたんじゃないですか」

 西村先生は、作家デビュー以来、今までに出版した本はこの12月で600冊。現在の目標は、東京スカイツリー(634メートル)を1つ超える635冊まで書くことです。これを達成したらすっぱりと辞めると私にはおっしゃっておられました。⇒湯河原での私のインタビュー記事はコチラです

 「あと2年ぐらいで到達ですかね。うちの奥さんはもう疲れたらしく、いいかげんにしなさいと言っていますが(笑い)。作家は同じものばかり書いていると別のものが書きたくなるんですよ。本当は江戸時代を舞台にした時代小説を書きたいんだけど、なかなか出版社が書かせてくれない。でも、その代わり今は戦争の話が書けていますから。少しはブレーキになればいいな、とは思っています」(西村談)

 西村先生は、かつてこんなことを言っておられました。今年、戦後七十年ということもあって、太平洋戦争の資料や記事や本を読む機会が増えているんですけど、読めば読むほど、「日本人は戦争が下手だな」と思うんですよ。負けることがわかっているのに戦うことをやめられない。そして自分から命を差し出して死んでいっちゃう。命がとても軽い。だめでしょ、こんなの」

 これは単に「過ぎ去った過去の出来事」ではなく、現在にも通じるものでもあり、だからこそ戦争はしてはいけないのだ、と西村先生は力説されます。2017年8月10日放送の「報道ステーション」(テレビ朝日)で、西村先生はこのような言葉を残しました。

「「死んでなんとか勝つぞ」とかね、すると、なんとなくおさまりがいいんですよね。日本人ってそういうところがあるんじゃないかと思うんだよね。だから、「死んだ気でやるぞ」とか言われると、それに反対できなくなっちゃう。本当は反対しなくちゃいけないんだけどね。戦争はしないほうがいい。戦争するとやっぱり日本人って行っちゃうんですよね、そっちへね。「みんなが死んでるのに俺だけ生きてるわけにはいかない」とか言ってね」

 なぜ、西村先生は、戦時中に浮き彫りになった「日本の体質」が過去のものではないと断言するのか?それは、つい最近も、日本人の甘えや責任逃れの本質が変わっていないと痛感させる出来事があったからです。先の『十五歳の戦争』はこのような文章で締めくくられています。かみしめたいですね。

 戦後は、現在まで戦争はなかったが、原発事故があった。その時も、虚偽の報告を重ね、責任を取ろうとせず、ひたすら組織を守ることに、汲々としていた。これではとても、現代戦を戦うのは、無理だろう。良くいえば、日本人は、平和に向いているのである。

広告
カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中