「フレディもしくは三教街~ロシア租界にて~」

★さださんの長~い歌!!なぜ長い??

 大好きなさだまさしさんが、これまでに発表した曲は567曲、コンサートは4260回以上と、名実ともに日本を代表するシンガーソング・ライター(昔、singer songwiter「和製英語」だとしている本があり、頭にきたことがありました、正真正銘れっきとした英語です)として、第一線を走り続けておられます。このたび45周年を振り返るスペシャルライブを企画して、1月4日(木)のNHK「SONGS」は、11月30日の「ああいわれなき炎上の歴史」に引き続き、さだまさしさんの特集「さだまさし 長いけどすごい歌集めました」でしたね。さださんの歌は、人生を語り、命の尊さを謳う中で、情景や心情を描きながらまるで映画のように物語を紡ぐので長くなるという特徴があります。彼は生粋の詩人なんです(一時期まで歌詞がとても難解だったのも、彼が詩人ならではのことでした)。「風に立つライオン」は8分51秒、「親父の一番長い日」は12分33秒、「遙かなるクリスマス」は8分29秒、といった具合です。そんな長~い曲の中から、今回の番組では「親父の一番長い日」「フレディもしくは三教街~ロシア租界にて」の2曲だけ(!)が歌われました。番組内で、涙を流しながら聞いている若くて美しい女性が映し出され、「あー、これ、小田和正さんの「クリスマスの約束」の手法だな(笑)」と思いながら見ておりました。さださんが若い頃に作った曲には、名曲が勢揃いしています。

 最初に演奏された曲、「親父の一番長い日」は、故・山本直純先生に「まさし、一曲の長さは誰が3分と決めたんだ。お前はもっと長い歌を書かなければだめだ。25分の歌を書け!」と宿題を授かります。一生懸命頑張りますが、ただ長ければいい(何度も繰り返せばいくらでも長くできるけれど)というものじゃない、その長さには意味がないといけない、という哲学のさださんは、当時の自分の力ではこの12分33秒が限界だったと回想します。この曲は、昭和53年、新日本フィルハーモニー交響楽団が、毎年夏軽井沢プリンスホテルで開催している「軽井沢音楽祭」で初披露することになっていたのです。指揮者の山本直純先生と何か今までにはなかったものを作ろうと、三ヶ月間打ち合わせを重ねて出来上がった曲でした。ところが、アレンジをした山本直純先生が交通違反か何かで謹慎となり、指揮をすることができなくなりました。本番前夜、さださんの宿に一人の来客が現れます。指揮者の岩城宏之先生でした。「さださん、直純がゴチャゴチャといっぱい書いています。でもこれは山本直純、一世一代の名アレンジです。明日は精一杯指揮棒を振りますので、一緒に頑張りましょう!」ということを伝えに来られたのでした。そうして翌日、岩城先生が指揮棒を振りながら、さださんと一緒に涙を流した曲が、この「親父の一番長い日」でした。娘の誕生から結婚までの道程を、父と兄の優しい目で見守るという、一編の映画のような名曲です(モデルとなっているさださんの妹玲子さんはまだ独身です!)。そして翌年10月12日、さださんのお父さんの誕生日に、この曲はレコ-ドが発売になりました。

 さて今日は、もう一つの歌われたさださん初期の「フレディもしくは三教街~ロシア租界にて~」という楽曲の世界について語りたいと思います。これは「グレープ」時代に作られた作品で、「グレープ」の3枚目にして最後のオリジナルアルバム『コミュニケーション』(1975年11月リリース)の収録曲として発表されています。初期のさださんの作品の中でも、最も長い曲です。曲のタイトルが何となく可笑しいでしょ?これはデモテープを送ったディレクターの川又明博さんと電話で話しているときに、「まさし、この曲のタイトルは何だ?」「書いてあるだろ、フレディだよ。まあ、もしくは三教街かな」とさださんが答えたところ、出来てきたレコードには「フレディもしくは三教街」とあった、という笑い話のような本当の話です。

 この歌は、さださんのお母さん(佐田喜代子)の若かりし頃を、詩情豊かに歌った反戦歌です。お母さんが明るく異国の地でひたむきに生きていた情景が目に浮かんでくる歌ですね。自分の青春を悲惨な戦争に塗りつぶされまいと必死に抵抗し、異国の地で過ごした輝ける日々を、「三教街」で見つけたわずかばかりの幸せを大切にすることで、理不尽さと戦っていた、そんな日々の想い出を歌に綴ったものです。あの歌は、ドイツ人青年とのロマンをもとに、まさしが、あの子なりに創作してくれた作品でございます」と、お母さんは告白しておられます。

 佐田喜代子さんの自伝的子育て記『永き旋律~さだ家の母と子供たち~』(自由国民社、2008年)によれば、彼女が漢口(ハンカオ)に渡ったのは1942年。中国で貿易の仕事をしていた兄に呼び寄せられ、17歳の彼女は姉と共に大陸へと向かいました。海軍の代行機関商社でタイピスト兼秘書をしながら、終戦までの3年余りを漢口で過ごしました。英国人が所有する品の良いチョコレート・グレー色をしたアンリ・ハウスというビルの中にある会社に毎日通うことになったお母さんは、支店長と営業部長とたった三人だけの会社でしたが、とても大切にされました。住居から勤め先までの道程の途中には、旧ロシア租界の北欧風の街並み「三教街」や、レンガ造りのオシャレな店構え、花屋のショーウィンドウを飾る薔薇の香り、レストランの「ヘイゼルウッド」や、パン屋の「ボンコ」のケーキやお菓子のおいしさに心を躍らせます。そんな日々の往復の中で、一人の美しいドイツ人青年を知ります。民族的な建物が立ち並ぶその中の一軒の四階の窓から、お母さんが歩いて来るのを必ず待っている青年に気づいたときに、彼女は驚くほどに胸を高鳴らせます。その青年の純粋な瞳は、彼女の心をバラ色に染めてくれました。そしていつしか、その建物の窓の下を歩くことが彼女の生き甲斐となっていきます。けれどもその青年は、決して道路まで降りてきて彼女に話しかけることはありませんでした。言葉の通じない人間の悲しさからでもあったのでしょう。しかし、戦争は日増しに激しさを増していき、ついにアメリカ軍の爆撃が行われ、それによって「ドイツ租界」は跡形もなく破壊されていきます。美しい青年の姿もそれっきり見ることはありませんでした。残酷な戦いの傷跡と、このドイツ青年との淡いロマンを、後に成長した息子のさださんに、母の青春の一ページとして、折りに触れては熱っぽく語り聞かせたのです。そんな想い出を、さださんは物語(ラブストーリー)に紡ぎ、歌にしたためたのでした。

 この歌は、私たちが生まれるずっと昔の、かつての中国に存在した「租界」(そかい)を舞台としています。「租界」とは、19世紀から20世紀に列強下の侵略にあった中国における治外法権地域の一つで、外国人の住居・営業のため開放された開港市内の一部で、条約または慣行により外国行政権の行政が認められ、原則として中国人の土地所有は禁止された」場所をいいます。登場するのは、そうした「租界」のひとつで出逢った若き恋人たち。彼と彼女は、もちろん中国人ではなく、それぞれに海を渡って大陸へとやってきた異邦人でした。

フレディ  あなたと出逢ったのは 漢口(ハンカオ)
揚子江沿いのバンド  あなたは人力車夫を止めた  
フレディ  二人で初めて行ったレストラン  
三教街を抜けて  フランス租界へとランデブー

 漢口(ハンカオ)は、かつて中国の湖北省にあった貿易都市。世界で三番目の大河、東シナ海へと注ぐ中国最大の川「揚子江」と、その支流「漢水」との合流点の北岸に位置したその街は、古くから交通の要所とされ当時最大の国際都市でした。19世紀後半、当時は「清国」と呼ばれていた中国は、ヨーロッパ列強国との戦いに相次いで敗れ、明らかに不平等な条約が結ぶことを余儀なくされ、列強による半植民地化時代を迎えます。上海・天津・漢口などの主要都市には、「条約港」といわれる貿易港が開港し、そしてそこに、西洋の街をそのままにかたどった「租界」が誕生しました。漢口にはかつて、5カ国の「租界」が置かれていたそうです。海岸通り(バンド)の南側からしっとりとした「イギリス租界」、赤レンガの「ロシア租界」、華やかな「フランス租界」、会社が多かった「ドイツ租界」そして「日本租界」と。そこは石造りの洋館が整然と建ち並んだ、いわば「東洋のヨーロッパ」です。中には、各国の領事館や裁判所、警察、銀行、商店など様々な施設が設けられ、周辺にはイギリス生まれの競馬場やゴルフ場といった娯楽施設も完備されており盛況だったといいます。やがてそこを中心に、国際的な商業都市として発展し、「新天地」を求めて海を渡ってやってくる人々が、漢口にも多数押し寄せたのです。

あの頃  私が一番好きだった 三教街のケーキ屋を覚えてる? 
ヘイゼルウッドのおじいさんの  なんて深くて蒼い目  
いつでもパイプをくゆらせて  アームチェアで新聞を広げてた 
フレディ  あなたも年老いたらきっと 
そんなすてきなおじいさんになると思ってたの  
本当に思ってたの

  ロシア租界」には、ナチスドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人たちも定住していました。帝国の崩壊で本来の所有者を失ったその場所は、他の「租界」以上にコスモポリタンな色合いを深めていったのです。この歌に登場する「三教街」は、ロシア租界」のそうした姿を象徴する地区でした。三教街=「三つの教えを持つ街」の呼び名の通り、そこにはロシア正教・ユダヤ教・キリスト教の教会が、仲睦まじげに佇んでいたといいます。やがて時は流れ、日本軍が大陸へと侵攻する時代が訪れ、1938年(昭和13年)10月、漢口及びその周辺地域を占領した日本軍は、さらなる戦いのための大補給基地を漢口に築き上げます。政府や軍部系の商社の進出が増加して、漢口はますます軍事商業都市としての色合いを強くしていくこととなります。そして、太平洋戦争が勃発し、大陸は完全に日本軍の支配下に置かれます。「租界」もまた、同盟国ドイツ及びドイツ占領下のフランスを除くすべてが、日本軍の支配下に置かれることとなりました。

フレディ  それから  レンガ焼きのパン屋の
ボンコのおばあさんの  掃除好きなこと
フレディ  夕暮れの鐘に十字切って
ポプラの枯葉に埋もれた  あの人は一枚の絵だった

 「フレディ」の恋人たちが暮らしていたのは、そうした時代の漢口の租界です。そこで語られるのは、主人公の女性の愛しくもはかなく懐かしい日々のこと。「フレディ」という名の恋人との、ささやかではあるが幸福な想い出の日々。しかし、主人公の女性の夢が叶う日は、ついに訪れることはありませんでした。フレディとともに温かな家庭を築き、二人仲睦まじく年老いていく。思い描いたささやかな夢が、そして、愛するフレディ自身さえもが、彼女の元から、突然に消えてしまいました。ひどく恐ろしくて悲しい戦争によって。

本当は  あなたと私のためにも  教会の鐘の声は響くはずだった
けれども  そんな夢のすべても あなたさえも奪ったのは
燃え上がる紅い炎の中を  飛び交う戦闘機

 1944年(昭和14年)12月18日。揚子江岸の街・漢口は、アメリカ軍のB29爆撃兵団による大爆撃に襲われました。飛来した84機のB29は500トン以上の焼夷弾を投下します。街はたちまち真っ黒な厚い煙で覆われ、さらに、爆撃機や戦闘機の攻撃がそれに追い打ちをかけます。煙に覆われた街から標的を発見することは困難なので、後続の一団は、爆弾を辺りかまわずばらまくようにして落としていったといいます。約1時間にも及ぶ大爆撃は、漢口全域を火の海にしました。猛火は3日間にわたって燃え続け、ドックや倉庫地域や、それに隣接する住宅地帯のすべてを完全に焼き尽くしました。そして人種を問うことなく、多くの人の尊い命が失われたのです。「フレディ」のそれも。ちなみに、戦友(さださんのお母さんのお兄さん)に連れられて休みの日にこの町に来たさださんのお父さんが、さださんのお母さんに初めて出会ったのが漢口でした。

フレディ  私はずっとあなたの側で
あなたは  すてきなおじいさんになっていたはずだった
フレディ  あなたと出逢ったのは漢口

 遙か遠き時代の中国「租界」を舞台にした長~いラブソングは、静かに終わっていきます。幸福だった日々の想い出を形見として、そのやさしい思い出をを、そっーと静かに、かみしめてでもいるかのようにして…。

 三教街で過ごした母の青春は、一体何だったのだろう。「ヘイゼルウッド」や「ボンコ」の想い出は、母の中で、本当の季節としての春のように、柔らかく温かく育まれているようです。けれど、実際には、悲惨な戦争というものが背景にあったはずなのです。だから、ぼくのイメージの中では分裂してしまうのです。別世界のようです。とても不思議な気がするのです。―『長江・夢紀行』

 母の美しい青春の想い出と、その背景にあったはずの「悲惨な戦争」がテーマです。この曲に描かれた、租界」の情景の夢見るような美しさ。その象徴ともいうべき「フレディ」を失うこと、つまりは美しいものを失うこと、奪われること、戦争によって引き起こされるいくつもの悲惨さのその一つを、さださんはそうやって描こうとしました。戦争の悲惨さ、戦争の本質はその一言に尽きます。が、それを具体的な形で語り伝えることは思いのほか難しいことだったりします。さださんのこの曲は、まさにその難題に果敢に挑戦した曲と言えるでしょう。詩的美しさで描かれた異国情趣あふれる「租界」の情景に心惹かれたからこそ、恋人たちを引き裂いたあの残酷で悲惨な結末に、強い悲しみと憤りを覚えたのでしょうね。

 さださんのお母さん、喜代子さんは、お父さんの後を追うように、一昨年お亡くなりになりました。⇒コチラです お母さんは、当時のことを思い返しながら、若い人たちへのメッセージを残しておられます。❤❤❤ 

 若いみなさん、あなた方の若さはすぐに過ぎてゆくものです。今の若さを大切になさってください。そして若さという黄金を、まだ遠い先と思っている自分が本当に老いた時、悔いることのなきよう、大切に真剣に輝かせてください。

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