ヘルマン・ルムシュッテル

 博多駅JR博多シティ屋上には、「つばめの杜ひろば」という公園のような施設があります。旅の安全を祈る「鉄道神社博多駅の列車を出入りを見下ろせる「列車展望スペース、電動のミニトレイン「つばめ電車、福岡市の街並みや博多湾からの遠くの山までを一望できる「展望テラス、尊敬する水戸岡鋭治(みとおかえいじ)先生の作品が販売されているショップ「鈍治屋」(どんじや)など、たくさんの見どころがある場所で、私は博多駅に降りる度に必ず立ち寄っています。博多口博多阪急デパート」のエレベーターで屋上まで上がると、そこは上のような別天地が広がっています(大分駅にも同様の施設があり、これをさらに発展させたものとなっています。もちろんこれも水戸岡鋭治先生のプロデュースです)。

 その一角に、上のような肖像のレリーフがあります。いったいこれは誰だろう??と疑問に思い、調べてみました。名前はヘルマン・ルムシュッテル。ドイツ人です。現在では世界でもトップクラスの高い技術を持つ日本の鉄道ですが、その黎明期には、あらゆる技術を欧米に依存していました。九州鉄道にその技術を持ち込んだのはドイツ人の鉄道技師でした。九州鉄道は、当時機関車や客貨車、そしてレールなどをドイツから輸入し、技術者も招聘しました。それが、ドイツ人のヘルマン・ルムシュッテルで、肩書きは顧問となっています。44歳で招かれた当時、母国ドイツでの役職は、国有鉄道の機械監督という重要ポストに就いていました。彼は九州の鉄道開業にあたって大きな貢献をしています。学識深く、温厚で親しみやすい人物であり、指導と教育に優れていたことから、多くの日本の鉄道技術者に強い影響を与えました。九州鉄道最初の区間が開業する1889(明治22)年から翌年にかけ、第一陣となる蒸気機関車が10両輸入されます。その内訳は、ホーエンツォレルン社製の1~3号機と、クラウス社製の4~10号機でした。いずれもドイツのメーカーです。重要文化財である九州・門司港駅の駅舎(現在は改修中)も、このドイツ人技師ルムシュッテルの指導で建設されました。九州鉄道で5年間にわたって技術指導をした後は、東京でドイツ公使館の技術顧問となりました。その後、ルムシュッテルが1892(明治25)年に退任すると、それまではドイツ一辺倒だった九州鉄道が大きく転換しました。イギリスやアメリカの機関車が輸入されるようになったのです。国有化されるまでに九州鉄道が輸入した蒸気機関車の総数は263両でした。製造国別に見ると、ドイツが50両、イギリスが9両、スイスが5両、アメリカが199両と圧倒的な多数派となりました。1894(明治27)年に帰国後は、国鉄に復職し、晩年は日本の鉄道発展のために鉄道資材購入顧問を務めました。1918年(大正7)年ベルリンで死去。74歳でした。

 「鉄道友の会」および「日本国有鉄道門司鉄道管理局」が中心となって、国鉄88周年の記念事業の一つとして、ルムシュッテルのレリーフが製作されました。青銅製の高さ75.8センチ、幅57.6センチ、厚さ1センチの物です。製作担当は彫刻家の中野五一で、当時の国鉄総裁十河信二が揮毫しています。最初は博多駅のコンコースに設置されましたが、JR博多シティ」の開業に際して、屋上の「つばめの杜ひろば」に移転して現在に至っています。この一枚のレリーフにもこれだけの歴史が詰まっているんですね。博多駅に行かれることがあったら、ぜひ屋上に上がってみてくださいね。❤❤❤

広告
カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

w

%s と連携中