「長崎原爆の日」

 8月9日は「長崎原爆の日」でした。被爆から73年の原爆の日でした。「平和祈念式典」には、国連のグテーレス事務総長が現職の事務総長として初めて参列しました。長崎に原爆が投下されて73年。高齢化が進む被爆者の平均年齢は今年82歳を超えています。私は長崎を訪れることがかなりありましてね(さだまさし「夏・長崎から)、原爆落下中心地公園北側、小高い丘にある「平和公園」(長崎県長崎市松山町)をよく訪れたものです。悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界平和への願いを込めて造られた公園です。その北端に建てられた巨大な「平和祈念像」が目を引きますね。これは、北村西望(きたむらせいぼう)によって造られました。

 長崎市民の平和への願いを象徴する像の高さ9.7メートル、台座の高さ3.9メートル、重さ30トン、青銅製の「平和祈念像。制作者の長崎県・南有馬村出身の彫刻家北村西望(1884~1987年)は、この像を神の愛と仏の慈悲を象徴とし、垂直に高く掲げ天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、横にした足は“原爆投下直後の長崎市の静けさ”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という追悼の想いを込めました。鉄骨を芯として青銅製のパーツをステンレスのボルトで縫っています。右手の人差し指には避雷針が設置されています。4年がかりで製作されたこの像は当時3000万円の費用をかけ(国内外からの募金)、台座の2000万円は長崎市が負担しました。毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で平和祈念式典がとり行なわれ、全世界に向けた平和宣言がなされます。

 当初、依頼した長崎市の希望は原爆記念碑の製作でしたが、北村は「平和の『記念』ではなく、平和を祈り念ずる『祈念』の碑となって初めて世界的な意味のものになる」と考え、平和祈念像」を提案しました。平和の像はどんな形にすべきか、北村は時間をかけて構想を練りました。男性か女性か、立像か座像か、着衣か裸体か。結局は裸体の男性座像を選びました。「原爆という強烈なものに対抗するのだから、強烈な印象を与える男性像でなければならぬ。立像か座像かでは、座像の方に決めた。すわっている方が、平和な感じが出るからである」と自伝で明かしています。像のサイズは「(外国人が見ても)ぐっとこたえる偉容にせねばならず、それには大きければ大きいほどよい。奈良・鎌倉の大仏に伍すほど大きいのにする」ことにしました。裸体座像として世界一にしたい北村は、当初40尺(12.1メートル)を目指しましたが、アトリエのサイズに合わず32尺(9.7メートル)に落ち着きました。宗教や人種を超えて平和を祈る像を目指した北村は、試行錯誤の末、目を閉じて瞑想する姿を選びました。眉間に仏像特有の白毫(びゃくごう)らしきものもありますね(奈良や鎌倉の大仏にもある仏の印)。神仏一体の境地の聖哲です。

 この像に対しては、当初から批判が少なくありませんでした。「裸体がいけない、まるで戦争人のようだ」「巨大にして醜怪極まりない」「あれが表象するものは、断じて平和ではない。むしろ戦争そのものであり、ファシズムである」「西洋科学の犠牲者を悼む像が西洋の青年の姿とは、いかがなものか」「 下品だ」といった中傷や脅迫まであったそうです。北村は戦前から多くの軍人像を手がけていて、男性の裸体像を得意とした作家で、戦後は一変して平和をテーマにして造るようになりました。平和の造形は戦争の造形と表裏一体だったということでしょう。この「平和祈念像」を思い出しながら、長崎の地に向かって祈りを捧げました。

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