好事魔多し

     ついに連覇は途絶えました。「第95回東京箱根間往復大学駅伝」は、往路2位の東海大が、10時間52分9秒の大会新記録で、悲願の総合初優勝を果たしましたね。過去4連覇中の青山学院大は、往路で6位と出遅れ(3区までは計算通りだったんですが)、復路Vで意地を見せるも総合2位で5連覇を逃しました。大学3冠確実と言われていた“絶対王者”がまさかのV逸です。どこを見ても負ける要素はない。出雲全日本と盤石に制しただけでなく、練習消化率、5000、1万メートルの自己記録など、原 晋監督(はらすすむ、51歳)が就任してから15年目で「過去最強」と呼ばれた集団が、優勝を逸しました。練習方法は確立され、原監督自身が、早大大学院にも通い、過去のデータも整理して、現チームを就任15年目の「集大成」と位置づけて臨んだ「ゴーゴー大作戦」は不発に終わりました。総合タイムは、昨年を1分49秒も上回るも、連覇は「4」で終わりました。まさに「好事魔多し」です。私は東京・青山にある小田和正さんのショップによく行くので、そのお隣にキャンパスのある青山学院大学には、愛着を持ってよくお邪魔していました。元々が英語の強い大学であることも親近感を抱く要因の一つでした(歌手の槇原敬之さんが、青学出身のサザン桑田さんに憧れて、駿台で浪人をして英語の偏差値を急上昇させて合格したことはあまりにも有名ですね。近大の屋木さんの鉄板ネタです)。

▲東京・青山学院大学のキャンパス 東京のど真ん中にありながらこれだけの緑!

 さて、一体敗因は何だったんでしょうか?原監督が真っ先に挙げたのが、(1)「自分の采配ミス」でした。4区を甘く見たというのです。「東海大はいい走りをしたが、力負けというよりうちが失敗した負け。4区の難しさ、大切さに対してもっと思いを持つべきだったが、甘く見た。ここに初めて箱根を走る選手を置いた私の見る目が少しなかった」。4区で区間15位と大ブレーキになった、箱根駅伝デビュー選手の起用を悔いました。負けたのは自分の「采配ミス」として、責任を全部かぶるあたり、やはり一流の指導者の証しです。

 2つ目は、指導や対策に対する(2)「選手に対するしつこさの欠落」です。「往路は東海大、東洋大を意識したオーダーを組むべきだった。まずは、往路優勝を狙うんだというしつこい意識が足りなかった。何が起こるかわからない5区の山登り対策もしつこくやらないとダメ」50歳を過ぎて<優しく>なってしまった。<こだわり><しつこさ>がなくなった」 40分~50分の朝練習が30分になるなど、練習が緩む時もあり、注意できる上級生がいなかったりと、厳しさが欠けたこともあったと振り返ります。チーム全体を見る厳しさが必要だったということです。ある主力選手が敗因を、「緩みでしょう。1年の時から年々チームの雰囲気が緩んでいきました」と、ハッキリと口にしていたのが印象的でした。慢心とまでは言わないまでも、周囲から「常勝軍団」と持ち上げられ、<緩み>が積み重なっていったのでしょうね。監督自身も、3区終了時点で勝利を確信して油断したことを、自戒を込めて明かしています。「3区の森田が首位に立った直後、多くの知り合いから『今回も優勝だね』というメールやLINEが来て『多分、大丈夫』と返信してしまった」

 最後は、(3)「進化の低下」だと言います。「右肩上がりの時は新しい提案などが成果となっていたが、4連覇から5連覇へと向かう中でその進化が少し止まったかな。進化をやめたら退化になりまっせ、という話」「進化を止めた時点で退化となる。基本的なメソッドはあるべきだが、立ち止まった時点でチームは後退するんだとあらためて感じた。同じことでなく進化させていかないといけないと伝えていかなくては。常にチャレンジ精神がないと勝ち続けられません」と語りました。「チャレンジ力」が低下したと気づかされたと言います。過去のデータを重視しすぎるあまり、後ろ向きな消極的な姿勢になったことを反省している、と述べておられました。5連覇への圧倒的な自信が、“過信”につながった面は否めないでしょう。

 6位の往路を終えた夜、原監督は復路の選手に電話をかけて「平成の伝説を作ろう!」と語ったそうです。意地は見せました。復路を制して(5人全員が2位以上)、区間賞も4人出しました。原監督「箱根は一年の積み重ね。選手だけではなく、スタッフや寮母さんまで含めてトータルでつくり上げるもの。この負けを糧にして組織のレベルアップをしなければならない。それが次の進化」と、来季への出直し・再起を誓っていました。チームは間違いなく強い。このように責任は全部自分にあるとして謙虚に反省をし、自分の失敗を冷静に分析しておられる点を見ると、来年は間違いなく復活するだろうと私は見ています。

 「好事魔多し」。駅伝だけでなく、学校の勉強でも、同様の経験を私は数多くしています。全国模試で常に10番以内に入っていた優秀な生徒が、当日風邪をこじらせ東大の入試に落ちたこともあります。不注意なマークミスで、一年を棒に振った生徒も見てきました。数年前の北高3年生は、1・2年生の時から英語の成績抜群で、過去最高と言ってもいいくらいの模試の成績を取っていた学年です。「生徒の自主性に任せる」と称して(「働き方改革」の先鞭?)、12月28日で学校は閉鎖され、1月の4日まで生徒は学校に来ることはありませんでした。年が明けてセンター模試の復習をする翌日の北高名物「フォロー講座」に出向いた私は、教室のドアを開けて唖然とします。生徒がたった2人しかいません。2人でも私はきちんと最後のセンター講座をやりましたが、この時点でこの年の失敗を予感していました。私の今までの経験から、このセンター直前の姿勢や追い込みが勝負を分けることを知っていたからです。その次時の「フォロー講座」のドアを開けると、今度は生徒はたった1人しかいません。「自主性」と称して、生徒たちは学校へ出てくることなく、自宅で勉強に励んでいた(?)のでした。案の定、センター試験の英語は振るいませんでした。これと対照的に、2年前の卒業生たちは全く違いました。彼らは1・2年生の模試の成績は過去最低の学年と言われ続け、現に英語の成績もとんでもないものでした。私は彼らが2年生の時に、退職後2ヶ月を経て現場復帰したので、よ~く覚えています。恐ろしいまでにひどい単語力でした。これではいけないと危機感を抱いて、毎日100個ずつのノルマを課して、単語力の追い込みに努めました。12月28日を過ぎても、熱心な担任団は学校を開放して、生徒たちはほとんど出てきて勉強していたように思います。休んだのは元日だけでした。年末も、年を開けてからの「フォロー講座」も教室が満杯です。机・椅子が足りないので他教室から運んできて必死に授業を受けています。本番のセンター英語の学校平均点は、北高始まって以来の最高点を記録しました。間違いなく「団体戦」の勝利です。予想もしない見えない力が間違いなく働いているのです。過去最高の学年が本番で沈み、過去最低の学年が過去最高点を取る、これがセンター試験の恐ろしいところです。まさに「好事魔多し」ですね。問題は失敗した時に、どれだけ結果を分析し、反省をして次に生かすかです。生徒の力の無さのせいにして、「やりっ放し」にしていては同じ事の繰り返しでしょう。「前年と同じ事をすればよい?」、ここら辺が今の北高を見ていて、物足りなく歯がゆく感じるところです。「賢者は歴史に学ぶ」でなければいけません。♠♠♠

▲2年前のお正月の講座風景。緊張感が伝わってきますね。これが勝因でした。

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