ホーランエンヤ

 10年に一度、江戸時代から連綿と受け継がれる、約100隻の船が大橋川と意宇川を舞台に繰り広げる、絢爛豪華大船行列「ホーランエンヤ」。豊作祈願を起源とする370年の歴史を有す松江城山稲荷神社式年神幸祭の通称で、水の都松江が誇る「日本三大舟神事」の一つの船祭りが、5月18日(土)にスタートしました。9日間にわたって執り行われる神幸祭の見所は、何と言っても「渡御祭」と「中日祭」と「還御祭」。五大地と呼ばれる地域の人々が色とりどりに装飾した「櫂伝馬船」(かいでんません)に乗り組み、松江市指定無形民俗文化財「櫂伝馬踊り」を勇壮に披露しました。中日祭では陸船の上で披露されます。威勢のいい「ホーランエンヤ」の唄声に整然と揃う櫂さばき、舳先で威風堂々見得を切る歌舞伎風衣装の剣櫂、艫で艶めかしく身をくねらす女姿の采振りと、眼前では空前絶後の一大錦絵巻が繰り広げられます。18日の飾りを施した「櫂伝馬船」では、歌舞伎の影響を受けた勇壮な衣装に身を包んだ若者らが、櫂を剣に見立てた力強く華麗な踊りが披露され、一糸乱れぬ櫂の動きに、14万人の観客が壮大な歴史水上絵巻に酔いしれました。川岸や橋の上など、ものすごい観客でしたよ。

 ここでその歴史をちょっと。時は松江城築城開始から1年後の慶長13年(1608)のこと、本丸の石垣を築きますが、なぜか何度も崩落を繰り返し、人夫の中にはケガをするもの、もののけに襲われるものまで続出します。そんなとき、出雲郷(あだかえ)という村にある阿太加夜神社(あだかやじんじゃ)に八卦をよく見るという神主・松岡兵庫頭(まつおかひょうごのかみ)の評判が伝わり、祈祷を依頼することになりました。こうして二夜三日の祈祷が行われ、崩壊の原因は「荒神と首の祟り」であることが判明。現地を掘ると、出てきたのは戦国時代の刀や人間の首だったのです。それらは丁重に掘り起こされて手厚く葬られました。以来、兵庫頭は松江城の神主職を兼ねることとなり、慶長16年(1611)松江城は見事に完成します。寛永15年(1638)松平直政公(まつだいらなおまさ)がお国入り松江城主となりました。10年目の慶安元年(1648)、領地では天候不順が続き、凶作が予想される事態に心を痛めた城主は、兵庫頭を頼り大祈祷が行われることになりました。城山稲荷神社の御神霊を乗せた神輿を、兵庫頭の本務社である阿太加夜神社まで船で運び、安定した天候と五穀豊穣の大祈祷を行って、再び城山稲荷にお戻りいただくというものでした。こうして祈祷は見事に成就し、以来10年に一度の式年神幸が行われるようになったのです。そしていつの頃からか、この神事は、船の櫂をこぐ際の掛け合い言葉「ソーラ」「エンヤ」が「ホーラ」「エーヤ」になり、やがて「ホーランエンヤ」と呼ばれるようになったと伝わっています。

 午前10時過ぎから約100隻にのぼる大船団が、大橋川に架かる宍道湖大橋松江大橋新大橋などの橋の間を旋回。神輿船を先導する櫂伝馬船の舳先では、華やかな時代衣装に身を包んだ若い踊り手が「櫂伝馬踊り」を披露しました。歌舞伎役者のように見得を切ると、橋の上や川沿いに集まった約14万人の観客から拍手や大きな歓声が上がっていました。

 日本政策投資銀行の試算によれば、島根県内への経済効果は38億2,000万円とのこと。観光客の宿泊費、交通費、飲食費などの直接効果が25億6,000万円、直接効果に必要な原材料費の増加分などを含む波及効果を12億6,000万円と試算しています。❤❤❤

 

 

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