岩國哲人さんの教え

 元島根県・出雲市長衆議院議員を務められた岩國哲人(いわくにてつんど)さんの思い出です。日本新聞協会の「新聞配達エッセーコンテスト」の大学生・社会人部門で、今から5年ほど前に、最優秀賞になりました。題して「おばあさんの新聞」。肉親愛に、読んで涙が止まりませんでした。

   『おばあさんの新聞』    岩國 哲人(当時78歳) 東京都渋谷区

 1942年に父が亡くなり、大阪が大空襲を受けるという情報が飛び交う中で、母は私と妹を先に故郷の島根県出雲市の祖父母の元へ疎開させました。その後、母と2歳の弟はなんとか無事でしたが、家は空襲で全焼しました。
小学5年生の時から、朝は牛乳配達に加えて新聞配達もさせてもらいました。日本海の風が吹きつける海浜の村で、毎朝40軒の家への配達はつらい仕事でしたが、戦争の後の日本では、みんながつらい思いをしました。
学校が終われば母と畑仕事。そして私の家では新聞を購読する余裕などありませんでしたから、自分が朝配達した家へ行って、縁側でおじいさんが読み終わった新聞を読ませていただきました。おじいさんが亡くなっても、その家への配達は続き、おばあさんがいつも優しくお茶まで出して、「てっちゃん、べんきょうして、えらい子になれよ」と、まだ読んでいない新聞を私に読ませてくれました。
そのおばあさんが、三年後に亡くなられ、中学三年の私も葬儀に伺いました。隣の席のおじさんが、「てつんど、おまえは知っとったか? おばあさんはお前が毎日来るのがうれしくて、読めないのに新聞をとっておられたんだよ」と。
もうお礼を言うこともできないおばあさんの新聞・・・。涙が止まりませんでした。

 岩國さんは、出雲高校から、東大・法学部を出られたあと、日興證券に入社、ニューヨーク支店、ロンドン支店などを経て、パリ支店長。同社を退社後、米国の投資銀行モルガン・スタンレー社メリル・リンチ・キャピタルマーケット米国本社上席副社長に就任されました。そんな中1989年周りから乞われ出雲市長選挙に出馬し、初当選しました。市長在任中は、「行政は最大のサービス産業」「小さな役所、大きなサービス」という持論をもとに、ショッピングセンター内の行政の土・日サービスコーナーや樹医制度の創設、総合福祉カードの導入、日本最大の木造ドームの建設など、次々と新施策を実現し全国から注目されました。出雲市はわずか2年で、トヨタ自動車ソニーなどと並び、日本で最も優れた企業として、JMA(日本能率協会)マーケティング最優秀賞を受賞しています。私の岩國さんの紹介記事は、コチラに書きました。

 岩國さんは出雲高校の生徒だった頃、ものすごい秀才で、高校1年生の時に、すでに3年生の内容を終えて、教科書などは学校の机の中に置いて帰っていたという伝説が伝わっています。数Ⅲの赤チャートを1年生の時に終わっていたとか。私がまだ若い頃、以前勤めていた島根県立松江南高等学校に、講演に来ていただいたことがあります。そこで語られた中で、印象に残っている言葉があります。それは「誇り」「情熱」ということです。岩國さんは、1週間で「これだけのことをやれ」と言われたら、3日でやりました。1週間で「10だけのことをやれ」と言われたら、15のことをやった。1週間で10だけのことしかできなかったときには、今まで誰もやったことのないやりかたでやってみせた、と言います。学ぶべき教訓は:①言われたよりも早くやる、②言われたより多くやる、③誰もがやったことのない方法でやってみせる。これは、難しいけれど、難しいからこそ挑戦のし甲斐があると、当時言っておられました。そして、若い時には、一生懸命というより、一所懸命で頑張りなさい、と高校生たちにエールを贈られました。もうずいぶん前の話ですが、今でも肝に銘じて、参考にさせていただいている生き方です。❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中