時間割

 チョット昔の思い出を。昭和52年、島根県の教員に新規採用されて赴任したのが島根県立平田高等学校でした。教務部に配属され、隣の席には故・鞁嶋弘明(かわしまひろあき)藤井雄康(ふじいたけやす)先生がおられ、時間割を毎日担当しておられました。このお二人に時間割の動かし方を懇切丁寧に指導していただき、「よ~く見ておけ、今度はお前が時間割を担当するんだ」ということで、毎日コマの動かし方を勉強しました。当時は1人で1学期間!ずっと時間割を担当することになっており、私の担当する学期になりました。今では信じられないですね。どこの学校も1週間が限度だと思いますけど。朝早く学校に行って、急な休みが出たときが一番困ります。補充授業をお願いに行くのですが、この時の応対で「人間性」が見えてきますね。「イヤだ、なんでそんなもんやらなければいけないか!」とムベもなく断られる先生、「いいですよ」と気持ちよく引き受けていただける先生、文句を言いながらも仕方なしにOKしてくださる先生、新人の私もずいぶん勉強になりました。休みの多い先生とそうでない先生の違いなども勉強になりました。休まれるといろいろな人にこれだけ大変な迷惑をかけるのだから、絶対に休まないようにしようという心構えができたのもこの頃でした。時間割を毎日変更することで、学校のカリキュラムの理解も深まったようです。教員1年目にそういう勉強をしろという計らいだったんでしょうね。しかも当時は授業変更すると、変更黒板に書くだけでなく、先生方一人一人に連絡票を持って回ったものです。これだけでも結構な時間がかかります。今は各自変更シートをめいめいで見なさいということになっていますね。3時間連続には絶対にならないように毎晩遅くまで残って、時間割を動かしていたものです(今は平気で4時間連続とかありますよ)。私が教えていただいた二人の先生は、職人のような腕で時間割のコマを動かしておられました。「これが腕の見せ所」と教えていただきました。時代は変わりました。ポカをしては反省しながら、時間割シートと悪戦苦闘していたあの頃が懐かしく思い出されます。

 私は今、非常勤で松江北高に出ていますが、授業が動いても連絡をいただける時と全く無視の時もあります。昨年などは何度もそれがあり、非常に不愉快な思いをしながら勤めていました。学校に行ったら授業がなくなっているんです。何の連絡もなしに、朝1時間目に授業が動いていることもありましたっけ。私はいつも朝6時半に登校しているので、何とか穴を開けずに済みましたが…。ベテランの時間割担当者だと、そこまで気を遣って電話で、あるいは口頭で連絡を下さるのですが(非常勤の先生の授業を動かす場合だとそれが当たり前だと思うのですが)、若い担当者だとそこまで気が回らず、動かして終わりのようです。今日も、模擬試験のために授業がカットされてなくなっているのですが、何の連絡もありません。幸い補習科で、事務担当者からそのことを聞いていましたので、学校には行きませんけれども…。私だけでなく他の非常勤の先生も同じようなことをこぼしておられました。私が時間割を担当していた時代とは「常識」が異なってきているようです。私が北高に帰ってきた頃は「1時間の授業を大切にする!」ということを徹底していて、一部のモザイク授業をのぞいて絶対に「課題」などにはせずに、どんなに時間がかかろうが、時間割変更をして授業を最優先にしていたものです。今は平気で課題にしてしまうことも見受けます。ひどいのは「自習」です。時間割の連絡の不徹底やこういった課題の横行は、原点を疎かにしていることの裏返しと感じています。成績が落ちるのも納得です。♠♠♠

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