渡部昇一先生のエピソード(2)

◎身なりについて

 前回に続き、尊敬する故・渡部昇一先生の「エピソード(2)」です。大学時代の渡部昇一先生は、学生服一着の着たきり雀で、履き物は破れた軍靴一足だけで、紐でしばってはき続けるような徹底した貧乏生活をしていました。学生というのはどんなオンボロを着ていても構わないんだという考えに甘えて、非常にだらしない格好をした時期があった、と反省しておられます。当時は「明治以来、書生は弊衣破帽が美徳だ」と思っておられたのです。服装というのはだらしなくした方が手がかからないし、お金もかかりません。ところが、これではいかんと思い始める出来事が起こります。大学二年生のときに、アメリカ留学選考の話が持ち上がりました。先生は、当然学内で成績トップの自分が選ばれるものと思っていました。ところがアメリカ人の先生が「渡部は社交性(ソーシャビリティ)がない」という理由で、別の学生が選ばれたのです。貧乏学生で服装はいつも着た切り雀、喫茶店などに入る余裕もなく、勉強勉強の生活です。遊んでいる暇などありませんからね。そんな様子を、アメリカ人教授は非社交的と判断したのでした。キチっとした服装のできる学生を信用したのでした。

 大学院に入ったときに、外国人の学者のオフィスでアルバイトした時に、ちょっと服装に気をつけないといけないと思って、生まれて初めてネクタイをしました。といってもちゃんとしたネクタイを買う余裕がなかったので、その年の卒業生が作った紺色のスクールタイでした。先生は無類のラーメン党です。上智大学の近くのラーメン屋さんの「五目ラーメン」大好きでした。生まれて初めてネクタイをしたその日に、ラーメンを食べたんです。それまではラーメンのスープがパチャパチャ垂れようと飛び跳ねようと全く気にもならない服を着ていたので、その日もそんな調子で食べていたのです。するとネクタイにスープの汁がついてしまい、ガックリきます。そのときにネクタイを毎日するというのは大変なことなんだ、と実感します。そんな訳で、その後も渡部先生はネクタイは余り好きではないとおっしゃっておられました。ラーメンは大好きでしたが…。

 学生時代は、オンボロでも通用するんだと甘えていたところがありましたが、広い世の中に出てみるとそれが通用しない。とくに外国に行くと服装がモノをいうということを思い知らされます。ドイツに留学されたときも、ろくな洋服は持っておられません。それまで2年間中学校で教えていましたから、いいものではないけれどあるにはありました。一緒に留学する人などは、出発前に親がいい洋服を2着ぐらい新調していましたが、渡部先生は作ろうにもお金がない、まあいいやと思ってドイツに行きます。向こうでも服装の悪いのが目立ちます。勉強だけはよくしていたので、教授や留学生を世話する人たちの間では、よく頑張っているがどうにも服装が貧相だという評判が流れます。ドイツでは正式の招待を受けたら、学生でも黒い服、銀色のネクタイを着なければいけないという決まりがありました。そこへスポンサーが現れて作ってくれました。おかげでキッチリとした服装をすることができ、外国人の中では割と好感を持たれました。服装というのは基本的には自由であっても構わないけれども、「社会」という場では変えなくてはいけません。その「場」が分からないようでは一人前とは言えません、と回想しておられます。❤❤❤

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