「プロの眼」恐るべし!

 今年の読売ジャイアンツは、ひと味もふた味も違います。7月3日(水)の巨人―中日戦。壮絶な乱打戦の試合は、9回に巨人・守護神の中川がまさかのソロ本塁打を被弾し、同点に追い付かれますが、9回裏に先頭の若林ロドリゲスから四球を選び、すかさず二盗に成功。ここで増田大輝選手(25歳)が三塁線に絶妙な送りバントを転がすと、三塁・高橋が一塁へ悪送球。若林が一気に生還し、劇的なサヨナラ勝ちとなりました。途中出場の増田大のスリーバントが、サヨナラ失策を誘発させたのでした。2度、バントを失敗して窮地に追い込まれましたが、ヒーローインタビューで「1年目から1軍の舞台で持ち味を出すためにやってきた。2ストライクからでも決める自信はあった」と述べました。4年目でプロ初のお立ち台に立つと「パパやったよ!」と、徳島で暮らす優香夫人や2人の子供に呼び掛け、目を潤ませていました。

 巨人育成選手出身の苦労人です。同点の9回裏無死一塁で打席が回ってきます。サインは「送りバント」でしたが、中日ロドリゲスの初球、149キロの真ん中の直球を空振りします。少し中途半端になってしまった」と反省しましたが、一塁走者若林の果敢な盗塁で、無死二塁と絶好のチャンスが広がりました。最後はフルカウントからの6球目、内角の152キロの剛速球を三塁前にきっちりと転がしました。処理した中日の三塁手高橋が一塁へ悪送球する間に、二塁走者の若林が生還し、増田大は、ベンチから飛び出してきたチームメートの祝福のウオーターシャワーを浴びました。3ストライク目は(体に)当たってでもフェアグラウンドに転がそうと、そのくらい根性入れていきました。常日頃からバントをしっかり決められるようにと思って自信つけてやってきたので、2ストライクからでも決める自信があったので決められてよかった」と喜びました。プロ入りから単身で東京に住み、2年目の2017年に支配下登録をつかんだ選手です。毎日テレビ電話で1日頑張ろうと元気もらって、いい形で送り出してくれてる。長男はテレビに僕が出ていたらパパと分かる。今日も見てくれてるかな、と思います」と表情を緩めました。

 私が感心したのは、この試合をテレビ解説していたプロ野球評論家の山本昌さんが、二度バントを失敗している増田選手の姿を見て、この選手はバントが上手そうです。いい構えをしています」と語ったことです。エーッ??ジャイアンツの三軍・二軍でバントの名手川合昌弘監督に鍛えられているんでしょう。上手いですよ」と語りました。プロというのは、構えを見ただけで、バントの上手・下手が分かるんですね。剛速球に二度もバントを試みて失敗をしているにもかかわらずです。そして試合後のヒーローインタビューでも、本人が「自信があった」と断言していますから、やはり「プロの眼」恐るべしですね。すごい慧眼です。英語教師の私も、こんな「プロの眼」を磨くべく、努力してきたように思います。♥♥♥

【追記】 ここで、今日のヒーロー増田大輝選手について、ちょっとご紹介しておきましょう。増田選手は、2015年に育成選手として巨人に入団しました。コツコツと地道な努力を続け、2年目の2017年7月に支配下選手に昇格し、ファームでみっちり経験を積みました。徳島県阿波市、東京から約500キロ離れた、人口4万人弱の小さな田舎町に、根っからの野球少女の妻・優香(ゆうか)さんと2人の子どもを残して、東京に単身赴任中です。正社員として働く優香さんは増田選手よりも収入が安定しているし、いつ夫が戦力外通告を受けるかわからない不安の中、優香さんは東京へあえて行かずに、夫と離れて暮らす選択をし、増田選手が自信を持って家族を東京に呼べる日が来るまで、遠くからサポートを続けます。優香さんは、休日になると、車を運転して買い出しに行き、東京で一人暮らしをする夫のために、手料理を作り、冷凍して、送っているのです。激励の言葉を書き連ねた手紙も忘れません。週に1回、優香さんから届く手料理と手紙が、増田選手の励みになっていると言います。

 増田選手は、地元徳島の強豪校・小松島高校でキャプテンを務め、近畿大に進学して野球を続けるも中退。その後は鳶の仕事に就きました。平日は建築現場で汗を流し、土・日は草野球という生活は、本人にとっては充実感のない日々の連続でした。2013年12月、増田選手は独立リーグ「徳島インディゴソックス」の入団テストを受験、合格、入団が決まります。193人の受験者のうち、24人が合格という狭き門を見事にくぐり抜けたのです。優香さんは仕事後、疲れていても毎試合のように増田選手の応援に駆けつけ、スタンドで声を張り上げました。さらに、地元新聞の増田選手を取り上げた記事を、どんなに小さくても切り抜きました。献身的な優香さんに支えられ、増田選手は1年目からレギュラーの座を掴み、大活躍。この年のリーグ優勝に大きく貢献します。しかし、在籍する独立リーグは年収60万円程度と、野球だけで生活することはおよそ不可能でした。「俺、野球やめるよ」 その言葉に、覚悟はその程度だったのか、そう思わずにはいられませんでした。「最後にもう1年だけ一緒に頑張ろうよ」彼女のその言葉に、増田選手は奮起します。勝負の1年が始まりました。開幕直後の福岡ソフトバンクホークス3軍との交流戦で、増田選手は攻守にわたって大活躍し、プロのスカウトたちに大きくアピールします。その後も、着実なアピールを続け、ドラフト会議の直前、その年の有望選手を特集する雑誌には、「積極的な走塁と堅守が光る内野手 献身的な打撃でNPBでも活躍の予感」と掲載され、プロ野球の複数球団からも調査書が届き、ドラフト指名はほぼ確実と思われていました。そして、運命のドラフト会議当日。しかし、開始から3時間が経過しても、増田選手の名前は一向に呼ばれません。支配下選手の指名が終わってしまいました。会場に空席が目立ち始めた午後8時半、各球団の育成選手の指名が始まった時、ジャイアンツが増田選手を指名しました。プロ野球選手と言っても、育成選手は3桁の背番号をつけ、1軍の試合に出られるわけではありません。年俸は最低保障額の240万円です。それでもスタートラインに立てたことが、何より嬉しく、まずは支配下選手への昇格を目指して。2人の最下位からの出発が始まりました。そして、2年目の2017年7月28日、支配下選手への昇格を、万感の想いで迎えました。そして2019年、増田選手は大きな飛躍を遂げています。2軍では打率.347をマークし、出塁率、盗塁数、四球数は昇格時点でリーグトップ。そして4月19日、増田選手はついに1軍の舞台に立ちました。チームトップクラスの守備力・強肩を買われて着実に出番を増やしています。代走や守備固めとしてチームに欠かせない選手です。最下層から這い上がってきた男、増田選手の「下克上物語」は、まだまだ始まったばかりです。活躍に期待しましょう。♠♠♠

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