「長崎市永井隆記念館」

 8月9日(金)「勝田ケ丘志学館」の授業で、授業を中断して、11時2分に全員で黙とうを捧げました。今から74年前に長崎の街に原爆が落ちて、7万4000人がお亡くなりになりました。さだまさしさんの縁があって、私は長崎を訪れることが多いんですが、「平和公園」「平和祈念像」に祈りを捧げます(⇒この巨大な像への私の思いはコチラに詳しく書きました)。昨年はここから爆心地となった浦上天主堂」に歩いて行き、タクシーで「長崎市永井隆記念館」(入館料100円)を訪れました。前回来た時は時間がなく断念した、一度是非来てみたかった場所で、故・永井 隆(ながいたかし)博士は、松江北高の卒業生・大先輩でもあります。よく生徒たちには話題にするんです。この日も生徒たちに、永井 隆博士の感動の書『この子を残して』を紹介しました。

 大好きなさだまさしさんは、広島に原爆の落ちた8月6日に、毎年長崎・稲佐山で、「夏 長崎から」と題する野外コンサートを20年間続けられました(⇒このコンサートが終わりを告げた理由についてはコチラ)。彼が毎年このコンサートでお客さんたちにお願いするたった一つだけのことは、「このコンサートが終わるまでの間に、ほんのわずかの時間でいいから、あなたの一番大切な人の『笑顔』を思い浮かべて欲しい。そうしてその『笑顔』を護るために自分に何が出来るだろうか、ということを考えて欲しい」でした。それこそが「平和」への第一歩だと彼は信じて、ただでさえ莫大な借金の返済で苦しい中を、数千万円の自腹を切って、20年間訴え続けてきたのです。さらにさださんは、恒久平和発信の場として「ナガサキピースミュージアム」も建設しています(⇒私の訪問記はコチラ)。この記念館も生徒たちに紹介しました。さて話は戻って、永井 隆博士です。

 永井 隆博士は、明治41年(1908)、父永井 寛、母ツネの長男として島根県松江市に生まれました。医師である父の影響を受け、恵まれた家庭で幼少年期を過ごします。医学を志し、旧制長崎医科大学(現・長崎大学医学部)に入学。在学中はバスケットボール部に所属。卒業後、放射線医学教室に在籍、放射線物理療法の研究に取り組みました。満州事変、日中戦争への2度の従軍を経て、1944年(昭和19年)に医学博士となります。1945年(昭和20)6月、過度の散乱放射線被曝による慢性骨髄性白血病で、「余命3年」と診断されます。その2ヶ月後の8月9日、長崎市に投下された原子爆弾で、博士は市民とともに被爆し、右側頭動脈切断の重症を負い、奥さんまでも失いました。妻を失った悲しみの中、その後約2ヶ月間にわたり被災者の救護活動に打ち込みます。同年10月中旬には、再び浦上の地に戻り、再建の道を歩み出しますが、翌1946年(昭和21年)末には病状が悪化、寝たきりの生活を余儀なくされました。寝たきりの状態で出来る事、「書く」道を選んだ博士は、『長崎の鐘』『この子を残して』『ロザリオの鎖』『原子雲の下に生きて』など、17冊の著書を書き上げ、恒久平和の実現を広く訴えました。博士の著作活動、また科学者としての研究活動の場となったのが、1948年(昭和23年)3月、浦上カトリック信者達の厚意により建てられた、畳わずか2畳の家「如己堂」(にょこどう)でした。この住まいがそのまま残してここに展示してあります。 著作で得た収入の大半を、博士は長崎市の復興の再建のために寄付。また、愛する浦上の地を、再び花咲く町にしようと、小中学校、高校、浦上天主堂に桜の苗木1,000本余りを寄贈しておられます。また、両親や兄弟を奪われ、すさんだ子供達の心を豊かにしようと、小さな図書館「うちらの本箱」を設け、生きる希望と勇気を与えました。

 隣人愛による恒久平和を訴え、願い続けた永井 隆博士長崎市永井隆記念館」は、博士の平和を愛する精神と偉業を永く記念し、その遺徳を顕彰、博士の願いを「如己堂」(にょこどう)とともにいつまでも広く発信していくために設立されました。爆心地から北北東へ約620m、病に倒れた永井 隆博士のために、1948年(昭和23)3月、浦上のカトリック信者と近所の人の好意で建てられた、二畳一間の小さな小さな木造の家が公開されています。二人の子供と共に住み、自らの病室兼書斎として生活していました。そして、この場所から世界中の人々に戦争の愚かしさと平和の尊さを発信し続け、昭和26(1951)年5月1日、43歳の若さでお亡くなりになりました。「如己堂」の名は、博士が生きる指針とした、「聖書」の一節、「己の如く隣人を愛せよ(如己愛人)」という言葉から名づけられました(新約聖書マルコによる福音書12章31節)。なんじの近き者を己の如く愛すべし」人はともすれば、わが欲に心を奪われ、この最も大きな掟を忘れがちなものです。それゆえに、博士は住む家に「如己堂」と名前をつけられたのです。

 この博士の小さな住まいと、記念館に展示してある数々の博士のご業績を見ながら、大先輩の偉業を忍び、平和への思いを強くしていた八幡でした。❤❤❤

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