渡部昇一先生のエピソード(6)

◎納得できないことはとことん!

 28歳の時に、留学先のドイツ英文法の歴史に関する博士論文を書き上げ、それを本としてドイツで出版してもらうという、日本人初の業績に輝く故・渡部昇一先生ですが、中学生の英語を習い立ての頃は、赤点を取るなど、ぶきっちょでそれほど成績の良い生徒ではありませんでした。そんな先生が、ある程度はこの道でやって行けそうかな、自分には英語に適性のようなものがひょっとしたらあるのかもしれない、と思った出来事が、上智大学3年生の「英書購読」の授業の時に訪れます。

 その授業では、チェスタトン『文学におけるビクトリア朝』(Victorian Age in Literatureをテキストに使い、当時は本がないものだから、タイプで打った冊子を使って読んでいました(当時チェスタトンの本は教科書として手に入らなかったので、先生が学生のために秘書か誰かにタイプを打たせたのでしょう)。その英文を読んでいる時に、渡部先生はとんでもない疑問にぶつかるのです。文章の意味は普通に通じるのですが、そこは反対の意味でなければ文脈上おかしいのです。そのまま読み飛ばしていけば、意味自体は通じますから、別に問題はなかったんです。けれども、どうも今まで読んできたのと話の筋が違ってくるのです。そこで先生に、「原本を見せてください」とお願いして見せてもらったところ、案の定、ワンパラグラフほどまるまる抜け落ちていたんですね。普通だとワンパラグラフも抜けていれば意味が全く通じなくなるから、間違いがあると分かります。でもこの場合には、抜けていても文意が通じたために、誰一人として気づく者がいませんんでした。他の学生はもちろん、ドイツ人の先生さえも気づかずに読んでしまっていたのです。しかも抜け落ちたために、原本とは全く意味が反対になってしまっていた、という極めて珍しいケースだったのです。

 渡部先生が、最初におかしいなと気づいた時には、そんなに英語ができるわけでもなかったから、ひょっとしたら自分の読み間違いで、おかしいと思う自分がおかしいのかもしれないと疑心暗鬼になりました。作者のチェスタトンがおかしいわけはありませんからね。でも意味が正反対になっていたわけだから、どう考え直しても、馬鹿げた内容になっています。そこで、自分がおかしいのか、チェスタトンがおかしいのか決着をつけてやろうと、本当に勇気を振り絞って、先生の所へ聞きに行ったのでした。

 すると見事に文章が抜け落ちていました。担当の先生はドイツ人で、非常に厳しくてうるさい先生でしたが、この時に「君は学者になれる!」と、渡部先生に言われました。大学3年生、21歳の時の話です。この瞬間、渡部先生「ああ、ひょっとすると、本当に学者になれるのかもしれない」と実感した、と先生は回想しておられます。ここから何となく自信のようなものが芽生えてきて、学に志す」状態になっていった、とのことです。

 余談ですが、今から40年以上も前、私が島根県教員採用試験を受けていたとき、英語の問題でどうしても納得のできない箇所があり、手を挙げて担当官に質問しました。何も言われずにそのまま解答を続けるように指示されました。今となっては、全然その内容も覚えていないのですが、あれは間違いなく誤りだったと確信しています。♠♠♠

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