大好きな西村京太郎先生の『北海道新幹線殺人事件』(角川書店)が出版されたのが、今から三年前、2016年の11月。このたび文庫化されて(9月)、角川文庫より発売されました。大ファンとしては、新書版で出たときにも読んでいますが、文庫本も再び購入し、なめるように読みました。こういう熱狂的なファンが多いので、西村先生の作品はいつもベストセラーになるわけだ。以前にも書いたことがありますが、「著者本人の体験を元に描かれた、渾身の長編」とカバーに書かれているのはどういうことなんでしょうか?これは、西村先生の若い頃を知らないと理解できません。ベストセラー作家としての現在とはおよそほど遠い生活を送っておられたのです。小説の書き出しは次のような文章で始まります。まさに西村先生当時の心境そのものです。
三浦康平は、42歳。ミステリー作家である。
32歳で一応プロ作家となり、以後10年間、何冊か本を出したが、今までの
ところ、ベストセラーになったことはない。売れない作家の一人である。
三浦自身はもちろん、この状況に満足しているわけではない。出来れば、売れ
る作家の仲間に入りたいのだが、今のところ、彼の願いが実現するきざしは見え
てこない。
最初のうちは、自分には才能はあるのだが運がないのだと自分へのいいわけを
作っていたが、10年もすると、本当に自信がなくなってくる。(p.5)
そんな貧乏作家・三浦のもとに、明日書房(めいじつしょぼう)という小さな出版社の社長からコンタクトがかかります。
私のところは、まだベストセラーと呼べる本をだしていませんが、先生は作家
生活が、たしか、今年で10年でしたね?でも、まだベストセラーをだしていま
せんよね」(中略)
「どうですか、三浦先生にうちで書き下ろしを書いて頂いて、それをベストセ
ラーにしようじゃありませんか?」と髙橋がいう。
「ベストセラーにしようといったって、簡単に出せるものじゃないでしょう?
特に、私なんかは駄目ですよ。もう10年も書いているというのに、一冊もベス
トセラーになっていないんだから」と、三浦が、いった。
「そんなことはありませんよ。先生には才能があります。ただ、運がないだけ
ですよ。先生の才能が、時代とマッチしていないから、それでベストセラーにな
らなかっただけのことですよ」
「失礼だが、おたくだって、私と同じようなものじゃありませんか?たしか、
創業10年で、一冊もベストセラーを出していなんでしょう?」と、三浦は、遠
慮せずにいった。
「たしかに、先生のおっしゃるとおりですが、うちとしては、今までのところ、
ただ単に運が悪かっただけだと思っています。そこで、来年こそ、ドカンと当て
るつもりでいます。それで、どんな作家の方と組んだらいいのかを、社内で会議
を開いて考えましてね。その結果、三浦先生、あなたが候補になりました。どう
でしょう、引き受けて頂けませんか?」
「ちょっと待ってくださいよ。いきなり、一方的に決められても困りますね。
今もいったように、私はベストセラーがないどころか、いつだって初版止まりの
売れない作家ですから」三浦は自嘲的な口調でいった。(pp.6-8)
ここら辺の記述は、当時の西村先生を取り巻く状況が、克明に描かれています。29歳で人事院を辞めた先生は、作家を目指して執筆活動に入ります。数年後、賞をもらいこれで作家デビューだと意気込んで書き続けますが、14年間あまり売れませんでした。52~53歳の頃まで、売れない小説を、ずーっと一年に一作か二作のペースで書いておられました。作品を発表すると一応褒められます。西村京太郎はいい作品を書くって。でも売れませんでした。これが定評になってしまうんです。第40回の乱歩賞に当選した西村先生は受賞第一作に『D機関情報』というスパイ小説を書きます。評判は良かったのですが、これが全く売れません。3,000部刷って売れ残ってしまいました。いくら書いても反響がないともう分からなくなってしまいます。何を書けば読者に受け入れてもらえるのか。作家として一番辛いことは初版の部数がどんどん減っていくことです。当時は新書版が出てきた頃で、初版として3万部刷ってもらったことがあります。ところが売れない。編集者は次の本が出るときには申し訳なさそうに、今度は初版を2万5千にしました、と言われます。3冊目は2万にしますと言われます。それも売れないから今度は1万5千。あの作家に書かせてもマイナスになるだけだからというわけです。正直言って、心細くなってしまい、そのうちにあなたの作品はもう出版するのをやめることにしました、と言われるのではないかと怯えていたと、先生は回想しておられます。あるときに編集者から「作家がいいと思ってるのと、売れる作品は違う」ときつく言われ、「書けば出します。但し、書く前にどういうストーリーか言ってください。売れるかどうかは、私が判断します」と言われます。売れそうもないテーマなら本にしないぞということだったのでしょう。ひどい侮辱です。そこで先生は二つのアイデアを出します。当時東京駅ホームでカメラを持った小・中学生に人気だった「ブルートレイン」と、2・26の昭和7年の「浅草」の話です。先生ご自身は本当は浅草の話が書きたかったんですが、編集者は、「浅草は売れない。ブルートレインの方は、まあ少しは売れるかな」と言います。『寝台特急殺人事件』(光文社)は大ベストセラーになりました。ここから西村先生のベストセラー作家としての道が始まるのです。
今でも先生は時代物を書きたいのですが、編集者たちは「いいですね。でも他の出版社でお願いします。うちでは今まで通り列車もので」と言われてしまうそうです。それにしてもこの『北海道新幹線殺人事件』、とてつもない構想の作品で、どこからこんなプロットを思いつくんだろう?、と感心したのを覚えています。再読しても新鮮なトリックでした。❤❤❤
