「雷鳥9号」~西村京太郎の愛する列車

 上の写真は、西村京太郎先生の『十津川警部 哀愁のミステリー・トレイン』(徳間ノベルス、2018年)です(先生の611冊目の著書です)。オリジナルの短編集ですが、冒頭の作品は、「雷鳥9号殺人事件」(1983年)です。とんでもないトリックが使われており、鉄道マニアの間では語りぐさとなっている作品ですね。TVドラマ化されたものについてはコチラに、私の紹介記事があります。

 十津川捜査班の4人が大阪での研修を終えた後、「雷鳥九号」に乗って北陸へ旅行に出かける途中に、車内のトイレでで銃殺死体が発見された。その直前に西本刑事がグリーン車内で美しい女性が一人の男性と隣の席で会話をしているのを目撃していた。その女性は福井で下車。西本刑事の証言から、殺されたのはその女性と会話をしていた男性であることが判明する。後日、他の乗客の目撃情報により、犯人はその女性であることが発覚して逮捕されたが、その女性は取り調べに対して黙秘を続けた。一方、事件当日の深夜に敦賀―新疋田間の線路脇において、保線員がブローニングの自動拳銃を発見した。その後、弁護士と銃の専門家を呼び、この事件を巡って裁判が行われる。そんな中で、「雷鳥九号」での殺人事件から1ヵ月後、金沢市内の空き家で銃殺死体が発見される。解剖の結果、死亡推定時刻が「雷鳥九号」での殺人が起きた日の朝と判明した。また、銃の専門家の鑑定により「雷鳥九号」での殺人と空家での殺人は同一拳銃(上記の線路脇に落ちていた拳銃)から発砲され、同一拳銃による犯行であるという鉄壁のアリバイが発覚した。十津川たちは空家での殺人と「雷鳥九号」での殺人事件との関連調査を急ぐと共に、拳銃と列車を使った完璧なアリバイトリックの究明に挑む。

 下り線をクロスする橋梁を走る上り列車のトイレの窓から、下り線路の横へ拳銃を落とすと、というビックリするようなトリックが使われています。当時、こんなトリックができるはずがない、という読者からの猛烈な抗議が相次いだそうです。北陸本線の上下線が交差する現場を確認して、「本当にこんなことが可能なのか?」と議論した読者たちが、「実際に見てみようじゃないか」ということになり、実証に押しかけましたが、これはなかなか難しいのではないか、という結論でした。鉄道ファン(オタク?)というのは、これほどまでに熱心なものなんですね。しかし、西村先生は、実際に同じことを試して成功しておられます(西村京太郎『十津川警部とたどる時刻表の旅』(角川oneテーマ21,2012年)。可能かどうかは別として、我々はフィクションの世界として楽しもうではありませんか。

 西村京太郎先生を湯河原にお訪ねした際に、先生の今までに乗られた列車の中で一番印象深いお好きな列車はどれですか?」とお尋ねしました。すると先生は、間髪を入れずに「やはり「雷鳥」ですね。あれ好きなんだよ。今は全部「サンダーバード」になっているでしょ。あれはちょっとね。残念だね。」と答えられました。以前の先生のファンクラブ会報には、「『雷鳥九号』というタイトルが好きなんです。何号でもいいわけじゃない。なんとなく語呂がよくありませんか?」 「私は雷鳥という名前が好きだが、それを直訳したようなサンダーバードという名前は、どうしても好きになれなかった。もう少し細かくいうと、雷鳥の中でも、雷鳥九号という名前が好きだった。九という数字に、別に縁起をかついでいるわけではなくて、雷鳥九号という音が好きなのである。それが今は、なぜか雷鳥という名前が消えてしまって、サンダーバードだけになってしまった。残念で仕方がない。何とかならないものか」というインタビューが載っていました。

 さらに続けて、私はお尋ねします。「先生のお書きになった575冊(訪問当時)の著書の中で、一番気に入っていらっしゃるのはどの作品ですか?」すると先生は「さっきも言ったように「雷鳥」が好きなので、やっぱり『雷鳥9号殺人事件』でしょうね。」とお答えになりました。西村先生「特急 雷鳥」への思い入れは相当強い物があるな、と感じたことです。

▲「京都鉄道博物館」に展示された「雷鳥」 懐かしい車両です!

  1964(昭和39)年12月25日。交直流電車の特急形式として481系が登場しました。この形式の最初の運転区間となったのが大阪・名古屋から北陸本線に向かう特急であり、大阪発の特急には「雷鳥」という愛称が与えられました。雷鳥」は当初は2往復で運転を開始しましたが、その後は順次増発されて、1973(昭和48)年に1往復が区間延長の上「北越」に変更。1975(昭和50)年にはL特急となりました。また、昭和53年に今度は逆に大阪発着の「北越」「雷鳥」に吸収され、雷鳥」は新潟まで顔を出すようになりました。車両面では1968(昭和43)年から485系が運用されるようになりましたが、大きな変化は1978(昭和53)年から運用に入った581・583系です。新幹線の博多開業で手隙気味なっていた581・583系の活用でしたが、北陸特急の拡充の一端を担いました。これは、車内設備に難点もあり、1985(昭和60)年に「雷鳥」の定期運用から撤退しました。1986(昭和61)年の国鉄最後のダイヤ改正で、それまでで最大の18往復に成長し、当時の在来線最速列車にも輝き、まさに在来線の主役となります。そしてJR化後は一部の列車が「スーパー雷鳥」となるも、大阪~金沢・富山間の主力特急でしたが、681系の登場以後は脇役に回った感が強くなりました。車両面では相変わらず485系が用いられていましたが、JR東日本の担当列車に関してはグレードアップされた車両が投入され、車体塗装も一新され、新風を吹き込みます。2001(平成13)年3月3日のダイヤ改正で、485系「スーパー雷鳥」が廃止されると共に、「雷鳥」の運転区間は大阪~金沢間に統一され、JR東日本の車両は担当から外れました。すでに大阪対北陸の主力は681・683系の「サンダーバード」に移っており、雷鳥」は完全に脇役に回ることになりました。その後、2006(平成18)年度内に「サンダーバード」に全面移行することになっていましたが立ち消えに。しかし、しばらくして段階的に置き換えが進められ、2010(平成22)年3月13日改正で、ついに1往復を残して「サンダーバード」に統合。そして、2011(平成23)年3月12日改正で、その歴史に完全に幕を閉じることになりました。西村京太郎先生が最も好きな列車です。今度は、特急「サンダーバード」を取り上げますね。❤❤❤

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