「渚のアデリーヌ」

 BS-TBSの音楽番組「SONG TO SOUL~永遠の一曲」の3月22日放送分は、“ピアノの貴公子” リチャード・クレーダマンの特集でした。私がクレーダーマンが大好きなことは(⇒コチラ)、私が毎年発行している通信(学級通信、学校通信、進路指導部だより、英語通信)のタイトル「あむーる」が、彼のアルバム・タイトルからいただいていることからも分かるでしょう(「あむーる」のバックナンバーは、「チーム八ちゃん」の「ダウンロードサイト」で読むことができます)。

 1970年代の後半に、フランスから登場して、繊細なピアノタッチ、貴公子然とした端正なルックスで一躍人気者となったリチャード・クレーダーマン。彼の名を一躍世界に広めたのが、デビュー作の「渚のアデリーヌ」(1976年)です。世界38カ国で発売され、2,200万枚を売り上げたメガヒット作品でした。このデビュー曲の誕生に至るまでの数々の㊙エピソードを、解き明かしていく素敵な番組で、ここで明らかにされた事実は、私も初めて聞くものばかりで、ファンにとっては堪らないいい番組でした。番組では、リチャード・クレーダーマン本人をはじめ、この曲を書いたポール・ド・セヌヴィル、プロデューサーで、デビュー以来マネージャーも務めるオリヴィエ・トゥッサン、また曲のタイトルを捧げられたポールの娘アデリーヌらを訪ね、この曲の誕生について探っていきます。

 「渚のアデリーヌ」は、作曲家のポール・ド・セヌヴィルが、幼い次女のアデリーヌ・ド・セルヴィルのことを想い、創り上げた2分30秒の美しいメロデイです(原題は「アデリーヌに捧げるバラード」)。実は、始めから娘に捧げた曲ではありませんでした。レコーディングの時にもタイトルはまだなく、優しく美しい曲だったので、次女のアデリーヌに捧げることにしたのです(長女の名前は新しく作ったレコードレーベルの名前に)。大ヒットは、決して商業的戦略から生まれることはありません。セヌヴィルはこの曲を、大ヒットはしないが、みんな良い曲だとは思うだろうと思っていました(当のクレーダーマン自身も、これだけ大ヒットしてステージで演奏することになろうとは予想もしていませんでした)。プロデューサーのオリヴィエ・トゥッサンと二人で、この曲を大切にレコーディングしたいと考え、イメージに合うイケメンのピアニストを探し始めました。ディスコ音楽・パンク・ロックが全盛となり、音楽が過激に過激に走っていく時代にあって、あえてシンプルで美しく優しいメロディーの普遍性を訴える思いがありました。メロディの伴奏をできる限りシンプルにして、強いリズムをつけないように編曲者に依頼しました。そんな二人の前に現れたのが、当時23歳のピアニスト、フィリップ・ロベール・ルイ・パジェスでした。彼はスタジオ・ミュージシャン(伴奏者)として働いていましたが、集まった約20人のオーディションの中で、ピアノのテクニック、音楽性、さわやかな容姿、謙虚な人柄、いずれにおいても群を抜いていました。医者のようなブレザーを着て、隅々まで真面目そうに見え、きちんとした格好をしていたそうです。尊大な所が全くなかったと言います。アーティストの中には、自分を天才だと思い込み、うんざりするような人も多かったのです。ただ、セヌヴィルトゥッサン二人とも、彼の名前が気に入りませんでした。パジェスはアーティストの名前にふさわしくない、パの音はスペイン人やイギリス人には難しいので名前を変えた方が良いと思った二人は、名前を考え抜いて、芸名の「リチャード・クレーダーマン」が誕生したのでした。きっかけは、パジェスの遠い祖先に、クレーダーマンという人がいると言った時に、それがよい、でも「フィリップ・クレーダーマン」では響きが悪い、ポールが「リシャール(リチャード)・クレーダーマン」が良いと言って名前を変えたのでした。セヌヴィルが設立し、彼の長女の名前を冠した新たなレコード会社「デルフィーネ」から、1976年、この曲でデビューしたのです。

 レコードを制作するにあたって、ジャケットに使う写真がなかったので、実家のお母さんのところに写真を借りに出向きますが、あったのは古いパスポートの写真のみ。注意深く丁寧に剥がして、背景にピアノの写真を重ねて発売されました(これは初耳!)。人気に火が付き売れてきたので、彼のマネージャーを探しましたが、みな「ピアニストは売れない。人気は続かない」と言って引き受けてくれる人がいません。仕方なくトゥッサン自身が務めることになります(これも初耳!)。クレーダーマンの音楽は、大ヒットして毎年日本に招かれてコンサートに来ていますが、日本では「イージーリスニング」と呼ばれました。当時「イージーリスニング」というのは、聞こえても注意を払わない音楽のことです。曲の構成をしっかりと考え、編曲にいたるまで思いを込めて作っているものを、そのようにくくられるのががっかりだと、トゥッサンが語りました。配給会社のビクターには感謝しかないが、この点何とかならないかと持ちかけたところ、「ニュー・イージーリスニング」という新たなジャンルを作ってくれてリリースされたそうです(これも初耳!)。モデルとなったアデリーヌの結婚式には、クレーダマン「渚のアデリーヌ」を演奏し、以来今でも、交流が続いているようですね。2012年には、クレーダーマンの長女のモードが、心不全で亡くなるという辛い日々を乗り越えて(これも初耳)、この3人の小さなチームは40年以上もの長きにわたって、固い絆で結びついているのです。

 昨年5月に、米子市公会堂で行われたリチャード・クレーダーマンのコンサートに久しぶりに出かけてきました。年はとっていましたが、あの上品さは健在でした。ちなみに、彼の曲で私が最も好きな曲は、「秋のささやき」です。昨年の会場でも演奏してくれました。♥♥♥ ⇒コンサートの詳しい様子はコチラ

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