長崎の平和

 1945年8月9日午前11時2分、米軍のB29爆撃機「ボックスカー」が投下した原爆は、長崎市上空500メートルで炸裂しました。この年のうちに約7万人がお亡くなりになっています。原爆投下から75年、私は長崎を訪れる度に、「平和公園」に足を運び祈りを捧げています。そこには約10メートルの「平和祈念像」が。制作者の長崎県・南有馬村出身の彫刻家北村西望(1884~1987年)はこの像を神の愛と仏の慈悲を象徴とし、垂直に高く掲げ天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、横にした足は“原爆投下直後の長崎市の静けさ”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という追悼の想いが込められました。

 当初、原爆は長崎ではなく小倉を標的にしていました。私の大好きな推理作家・西村京太郎先生(90歳)は、最近作風を大きく転じて、自ら宣言をして作品のいずれにも「戦争」を書いておられます。戦争を知らない人たちに「戦争を書く」ことで、その悲惨さや過ちを伝えておくのが自分の責務だと感じての大転換です。私はどちらかというと、先生の各地の特急列車をモチーフにした殺人事件の方が好きなんですが、戦争を知らない世代として、やはり受け継いでおかなければいけないと感じています。その先生の最新作『魔界京都放浪記』(カッパブックス、2020年6月)では、原爆投下がそもそも京都を狙ったものだったことを始め、詳細な原爆にまつわるエピソードが出てきます。

 「三日後の八月九日、二発目の原子爆弾が長崎に投下されます。この時には、最初の目標は長崎ではなくて小倉でした。一発目とは違った種類の爆弾で、それを積んだ機長は自分の機の名前を『ボックスカー』と呼びました。しかし、目標地点の小倉は曇っていて視界がはっきりしなかった。当時、原爆の投下についてはレーダーによる監視ではなく、目視による爆撃が命じられており、小倉はうっすら曇っていたので、急遽長崎に変更されたといわれています。」(pp.92-93)

 「なぜ小倉に原爆が落ちなかったのか、それについて、平成二十六年に新聞社が調べたんです。その結果が出ました。ただ単に工場の煙突から煙りが出ていただけでは、ありません。新聞社の調べたところによると、八幡製鉄所の職員が戦争中、空襲警報があると黒煙を空に上げて煙幕を張っていたというのです。その頃、戦争末期ですが、製鉄所の敷地内にある製缶工場では、空襲に備えて煙幕装置を作っていました。ドラム缶を半分に輪切りにし、コールタールをそこに入れた簡単な装置です。コールタールはご存じの様にコークス製造の際に出る副産物で、燃やすと大量の黒煙が発生します。八月九日にも製鉄所の職員が、幾つものドラム缶に入ったコールタールに着火。上空に煙幕が張れたことを確認してから防空壕へ逃げています。アメリカの機長は、長崎に変更した理由は小倉上空に靄と煙があって目標が見えなかった、それで目標を長崎に変えたといっていますが、もちろん証拠はありません。しかし小倉としては、こうした努力が小倉を救ったものと考えています」(p.98)

 戦争を知らない我々の世代は、こういったことにも関心を持って、原爆のことについて勉強をすべきと考えます。私は、イギリスを訪問した際に、小・中学校で原爆のことについて質問されて、答えられなかったことが恥ずかしい想い出として心に刻まれています。

 もう一カ所、長崎を訪れる度に私が訪問している場所が「ナガサキピースミュージアム」です。⇒私の最近の訪問記はコチラです  長崎市出身の歌手さだまさしさんの呼びかけからスタートした、「ナガサキピーススフィア貝の火運動」に寄せられた募金をもとに、2003年4月古市徹雄先生の設計で誕生したミュージアムです。ピーススフィアは平和な球体、貝の火は慈しみの大切さを描いた宮澤賢治の童話に由来し、地球の平和をイメージして、美しい自然や子供たちの笑顔、音楽などを通して、平和の素晴らしさを訴える「平和文化型ミュージアム」として活動の幅を広げています。平和の素晴らしさを心豊かに味わうことのできる施設です。ここでは「みどりのせんそうほうき」をいただきます(写真)。「みどりのせんそうほうき」は、「戦争放棄」を意味する小さな平和の取り組みです。湾岸戦争のはじまった1991年、東京の女性、入江篤子(あつこ)さんがこの「ほうき」の発案者です。「戦争」という名の人殺しと、環境破壊が地球上からすべてなくなることを願い、「戦争反対」の意思表示として、洋服の胸やかばんにちょっと付ける小さな「ほうき」のアクセサリーとして誕生しました。「ナガサキピースミュージアム」から、「ピーススフィア貝の火運動」の会員・ボランティア・来館者を通じ、全国へと広がりをみせていきました。「戦争」だけでなく、身近な「けんか」や「いじめ」、「差別」もやめ、みんなが仲よくしよう。「いのち」を大切にしよう。そんな思いを込めた「せんそうほうき」は、小中学校での校外授業で作られたり、平和学習、様々な団体での平和活動など、多くの人々の間で話題となっています。戦争放棄は、平和を願う世界の人々の「希望」となっていますが、この「せんそうほうき」「コマカけどフトカちからになるばい(小さいけど大きな力になりますね)」とのことです。

 ミュージアムを外に出ると、私のお気に入りの五線譜のモニュメントがあります。これはグラフィックデザイナーの故・福田繁雄(ふくだしげお)先生が制作を手がけた、五線に音符のモニュメントです。モニュメントのタイトルは「宙(そら)へといいます。さださんが「何故、「五線に音符」がモチーフなのですか?」と尋ねると、福田先生は、平和じゃ無くなる時、真っ先に奪われるのは音楽だからだよ」と答えられました。老朽化したこのモニュメントも、最近修復されて新しくなりました。

 さだまさしさんは1987年から、広島に原爆の落ちた8月6日に長崎で無料コンサート「夏 長崎から」を20年間続けてきました。残念ながら、20回目を迎えた2006年には一区切り付けましたが(辞めた理由はコチラに書きました)、「音楽は平和の象徴。被爆75年となり記憶は薄れていくが、この町に生まれ育った一人として、二度と同じ事が起きないように音楽で伝えていきたい」と語りました。去る8月7日には、長崎市「稲佐山公園野外ステージ」でコンサートを開催して(ジャパネット主催)、平和の大切さを常に後生につないでいこうと呼びかけました。長崎の8月9日に寄せて、長崎市栄誉市民さだまさしさんが、長崎市のホームページに、平和に対するメッセージを寄せておられます。♥♥♥

被爆者だった叔母の言葉が胸に残っています。
原子爆弾だけが悪では無く。
本当の悪は人の心の中にいて、次々と兵器を考え出すのです。
そして叔母はこうも言いました。
もしも私たちの国が先にこの爆弾を作っていたら、他のどこかの国の誰かが私と同じ
苦しみを受けたかもしれません。
つまり戦争が全て悪いのです。武器で平和を買うことなど絶対に出来ないのです、と。
世界中から、戦争と核兵器が無くなるよう、心から祈ります。(さだまさし)

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