アパホテル

 私は職業柄、全国を飛び歩くことが多いのですが、大都市部では「アパホテル」に泊まることも多くあるんです(大半は、その町一番の老舗ホテルに泊まりますが)。結構気に入っています。アパホテルは部屋が狭い」とよく言われることがありますが、これは敢えて意図的に小さく作っているのです。だからこそ、料金が安くなり、面積当たり、あるいはゲスト1人当たりの環境負荷が小さくなるんです。炭酸ガスの排出量は、一般的な都市型ホテルの3分の1です。「アパホテル」は、シングルルームでもベッドは横幅140cmあって、寝心地も大変よく、テレビは50型と大きく見やすいんです。枕元に、照明等のスイッチや携帯電話の充電コンセントなど必要な機能をコンパクトにまとめてあるので、ベッドに寝ながらにして必要な操作が全部できるようになっています。浴槽は卵形でゆったり入れるのに(ビジネスホテルのお風呂は好きになれない八幡です)、湯量は通常の80%で済みます。浴槽に湯を入れるのも、一定量溜まると給湯が止まる定量止水栓で、湯をあふれさせるムダや心配がありません。置いてある歯ブラシも超高級品で、私の一番のお気に入りです。⇒私の歯ブラシの感想はコチラをご覧ください

 ちなみに「アパホテル」の名称については、当時の社長の元谷外志雄(もとやとしお)さんが、米国ランドー社に依頼して出来上がったものです。Always Pleasant Amenity(いつも気持ちのよい環境を)の略で、環境への配慮もあり、Aから始まる覚えやすい親しみのある名前だし、英文字3文字で海外からのお客さんにも親しみやすいだろうということで一発で決まりました。

 そんな「アパホテル」の現名物社長・元谷芙美子(もとやふみこ)さんのインタビューが、BS朝日の番組「ザ・インタビュー」で放送されました。今回のインタビュー場所は、東京・赤坂にある元谷さんの看板を掲げる建物内の一室です。1947年、福井県福井市生まれ。三姉妹の長女。学生時代は生徒会長を務め、部活動も放送部、陸上部、弁論部にも所属するという活発な少女でした。福井県内一の進学校にも進学し、将来は「教師」になるのを夢見ていたんです。しかし、高校時代、印刷工場の工場長だった父親が、鉛中毒で倒れ、三人姉妹の長女として、自分が大学進学をすれば、妹たちが高校に行けなくなってしまう、と進学を断念し、地元の信用金庫へ就職。そんな中、金融機関の労働組合の会合で、生涯をともにすることになるベストパートナー・元谷外志雄(もとやとしお、現アパグループ代表)さんと出会うことになります。サングラスに黒いスーツ、足で戸を開ける豪快な男性。お茶を出す時に緊張のあまり、「小指」が立っていた健気な元谷さんの仕草に惚れたのだと言います。後に二人は結婚。元谷さんが22歳の時でした。

 1971年、夫・外志雄さんが「信金開発株式会社(現アパグループ)」を立ち上げます。起業当初、第一子を妊娠中だったが、経理や事務職をして手伝い、出産後は営業にも出ました。すると営業成績は、トップに。実力で取締役となります。その後、営業手腕を買われ、「ホテルでお客をもてなすのは女将や」と、代表である夫に指名され、1994年、アパホテル社長に就任します。そして、あの有名な元谷さんの広告が誕生するのです。「史上最悪の広告」「やめてくれ」「公共の福祉に反する」などと、ごうごうたる非難の抗議に沸きましたが、逆にそれだけの反響があった証拠で、世の中に浸透した結果と思った、と言います。元谷芙美子社長は派手な衣装に身を包み、「私が社長です」のコピーをひっさげ、看板や新聞広告や中吊り広告に一斉に登場します。あまりのインパクトに、「もっと違う人を使えや!」と、本社には苦情が殺到したらしいですが、元々それが狙いです。「アパホテル」の認知度は一気に上昇。「社長を広告塔にする」とで、コスト削減(タレント使うとお金がかかる)スキャンダル防止(なんせ自分ですから管理しやすい)という理由で、この広告戦略を取ったそうです。それが大ヒットします。

 「アパホテル」は、ホテル業界では、種々の先駆けのサービスを提供することにより、他社との差別化を図ってきました。駅から徒歩3分以内で、宿泊料も安く、大浴場もあって、朝食が美味しい。評判もあって、着実に人気を重ねてきました。

 2007年、耐震強度不足問題が発覚した際の、複雑な心境も語りました。京都のホテル2棟で勧告を受け、ホテルは営業停止。マスコミからは叩かれ、大騒動になりました。銀行からは融資の全額返済を要求されたが、マンションの建設予定地をいくつも売却し、何とか危機を切り抜けます。その時「リーマン・ショック」が起き、資金繰りのために土地を売り余っていた資金で、今度は、都心の一等地を底値で買い入れて、ホテルを次々に作ります。これが現在の大躍進へのきっかけとなったわけです。今も、全国に次々と新しい「アパホテル」が誕生しています。

 二人の息子の母親である元谷さんの教育方針は、「勉強するな」です。難関大学に行っても大成しない。勉強はただ記憶力の強い子を作るだけ。トップの経営者になるには、人を引きつける魅力と精神力が必要だ、と教えてきた、と言います。一方、妻としての元谷さんの顔は…「夫婦喧嘩はしない」というもの。夫の意見には反対せず、夫を最大限に立てる。夜は「居酒屋ふみふみ」を開店し、手料理と、焼酎で夫をねぎらいます。仕事もプライベートも全力投球。小さな体から溢れ出る元谷さんのチカラの源が語られました。

 私が元谷さんの哲学で感心したのは、次のものです。

二兎を追うものは一兎も得ずと言いますが、一兎だけを追っていたら、どんなにがんばっても一兎しか得ることはできません。だから、たとえ難しくても二兎を追ってみる。そうすれば、二兎をを得るチャンスが広がります。  ―元谷芙美子『強運』(SBクリエイティブ、2017年)

そういえば、私が赴任した頃の松江北高「二兎を追え、三兎を追え!」と、生徒たちに檄を飛ばしていましたっけ。最近では、そんな言葉を聞くこともなくなりました。

 今回の新型コロナウィルス騒動が起こると、いち早く感染軽症者の受け入れを表明したのも「アパホテル」でした。懐が広いと感じます。

世界的にも観光産業は新型コロナウィルスによる大打撃を受けておりますが、アパホテルでは部屋を求める方がいる限り営業することが「ホテルの使命」と考え、休業せずに営業を続けています。また、政府筋より「新型コロナウィルスの軽症者の受け入れ」の打診があり、即座に全面的に受け入れる意向がある旨を伝え、ホテル業界のリーディングカンパニーとして医療崩壊を防ぐために側面から貢献したいという一念からいち早く受け入れを決めました。  ―アパグループ代表 元谷外志雄

 2月に、金沢市「武家屋敷」を案内してもらっていた時に、ここが元谷さんの大邸宅だよと教えてもらいました。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中