「案山子」の原風景

      案山子              作詞・作曲 さだ まさし

元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか
寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

城跡から見下ろせば 蒼く細い河
橋のたもとに 造り酒屋のレンガ煙突
この街を綿菓子に 染め抜いた雪が
消えればお前が ここから出て
初めての春

手紙が無理なら 電話でもいい
金頼むの 一言でもいい
お前の笑顔を 待ちわびる
お袋に聴かせてやってくれ

元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか
寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る

山の麓煙はいて 列車が走る
木枯しが雑木林を 転げ落ちてくる
銀色の毛布つけた 田圃にぽつり
置き去られて 雪をかぶった
案山子がひとり

お前も都会の 雪景色の中で
ちょうどあの案山子の様に
寂しい思い してはいないか
体をこわしてはいないか

手紙が無理なら 電話でもいい
金頼むの 一言でもいい
お前の笑顔を 待ちわびる
お袋に聴かせてやってくれ

 以前、NHKの「今夜は生でさだまさし」は、日本を飛び出し、南米・エクアドルの首都キト市からの中継でした。外交関係樹立100周年の日本祭り会場で、さださんが歌った生歌は名曲「案山子」(かかし)さだまさしコンサートのツアーメンバー(ピアノニスト・倉田信雄、ギタリスト・田代耕一郎、パーカッション・木村キムチ誠)の演奏で歌いました。今から19年前、島根県の西の端津和野高校に転勤したとき、同僚から、「この歌は、さだまさしさんが津和野城跡から町を見下ろして作った曲だよ」ということを教えてもらいました。そうだったんだ!知りませんでした。

 さださんによれば、この曲のきっかけは、大分から福岡へ弟の佐田繁理(さだしげり)さんと共に移動する際に、列車の窓から見た景色だといいます。その日は雪が降っており、車窓から雪の中に案山子がぽつん立っているのを見たさださんは、「かわいそうにな、雪の中に立ってて」と話しかけた。繁理さんは鈍い反応しかしなかったが、さださんはその風景と、自身が経験した都会での一人暮らし、そして弟の台湾留学中の思い出などが重なり、この曲を思いついた、とのことです。

 都会で一人暮らしをする弟(妹)を案じる兄からのメッセージである、とさださん自身が語っています。地元に残った兄からの手紙、と考えると、この雪に埋もれた『案山子』の姿は、都会で奮闘する兄弟だけでなく、田舎に取り残された兄自身のようにも見えませんか?母は遠く離れた兄弟を案じ、日がな連絡を待っている。対して自分は何かを成し遂げたくてもこの田舎からは離れられない。この場所から動けない『案山子』の姿は、田舎から出ることができない兄の姿に重なるようにも感じます。さださん自身はそこまでは明言していませんが、残された者の孤独も共に歌われた歌のように感じたのは私だけではないと思います。

 さださん曰く、曲の原風景は、島根県・鹿足郡・津和野町にある、三本松城の石垣の上に腰掛けて作った歌です。切り立った山上の津和野城跡に立つと、歌詞通りの箱庭のような町が見下ろせます。鉢を伏せたような青野山を正面に見据え山壁が東西に走り、南北の狭い谷の間をS字を描くように津和野川が蛇行しています。山の斜面に段々畑、赤い屋根瓦を連ねた風景、煉瓦北煙突の造り酒屋、田んぼに案山子が立っている、「山の麓煙はいて列車が走る」という歌詞は、まさに津和野町の景色そのものです。私は松江北高に帰ってくる前は、三年間、津和野城跡の真下にある島根県立津和野高等学校で教えていましたので、この景色には見覚えがあるんです。

 なお、この歌の歌詞にある「淋しくないか お金はあるか 今度いつ帰る」という言葉は、さださんが中学・高校と一人で東京で下宿していたときに、一週間に一、二通来ていたお母さんからの手紙に必ずそう書いてあったのだといいます。おんなじ言葉が何回も何回も繰り返してあったんで、覚えてしまったと、さださんは回想しています「『金頼む』の一言でもいい」という歌詩も、親からの仕送りだけが頼りだった、さださん自身の経験が基になっているんですね。この体験を、日本のふるさと像の原風景とかぶらせて作った曲がこの「案山子」なんです。このことは、彼のエッセイ集『噺歌集』(はなしかしゅう)(文春文庫)に詳しく書いてあります。

 さださんが音楽への道に入るきっかけを作ったのは、あの加山雄三さんです。中学生のとき映画「エレキの若大将」を観て、加山さんへの憧れからヴィオリンからギターに変わりました。この「案山子」という曲には、加山夫妻にとっても涙なしには語れないエピソードがあります。長男が海外生活をするため、夫婦で成田まで見送った帰りのできごとでした。運転する加山さんも、横に座る奥様の松本めぐみさんも無言でした。車内の雰囲気をちょっとでも変えようと、加山さんがラジオを付けると、案山子」が流れてきます。元気でいるか 街には慣れたか 友達できたか 寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る」先ほど見送ったばかりなのに、我が子を心配するまさに親心そのままの歌詞が続きます。手紙が無理なら 電話でもいい 金頼むの一言でもいい お前の笑顔を待ちわびる おふくろに聴かせてやってくれ」 加山さんは、胸が一杯になりました。横の夫人を見ると、ハンカチを目に当てて嗚咽をこらえていたそうです。二番の歌詞にも「お前も都会の雪景色の中で あの案山子のように 寂しい思いしてはいないか 体を壊してはいないか」とあります。最後は再び「寂しかないか お金はあるか 今度いつ帰る」と希望を託して終わっています。我が子を切に思う親心の強さは、時代を問わずに存在していますね。

 ちょっとここで、津和野の思い出を。津和野といえば、明治維新後の日本の近代化を担う偉人を輩出しています。「哲学」「倫理学」「感性」など、概念的な新しい日本語を次々と生み出した西 周(にしあまね)、彼の縁戚にあたる大文豪森 鴎外(もりおうがい)も津和野の「養老館」に学んだ人物です。西 周の家は津和野川河畔にあり、川を挟んで森 鴎外の生家があり、共に一般公開されていて、私も何度も訪ねました。「養老館」は町の中心の殿町通りにあり、その堀割には、群れて泳ぐまるまると太った鯉が観光客に人気です。時折、鯉がピシャっとはねる水音が響くんです。殿町通りには、武家屋敷や白壁に赤い瓦の豪奢な商家が立ち並んでいます。津和野では、小さい頃から「郷土の偉人と鯉を大切にする」ことを教わります。しかし、私が津和野高校に赴任した時に聞いた「津和野は教育の街」という言葉は、全くナンセンスな机上の言葉であったことを、ここで体験することになります。町は何にもしてくれませんでした。中学校も、これまたひどい状態でした。これに関してはまた日を改めて。♠♠♠

〔追記〕 さださんのコンサートは、4月に島根県民会館で久しぶりに予定されていましたが、コロナ騒動で7月に延期、さらに再び来年の2月に再延期となりました。9月からコンサート活動を無事再開されたようで、嬉しく思っています。コチラに最新の市川コンサートの詳細なレポートがあります。最新アルバムの映像が公開されました。私は「柊の花」が気にいっています。♥♥♥

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