「雪の朝」

 1952年、長崎県長崎市に、佐田家3人兄弟の長男として生まれたさだまさしさんが3歳のときに、「我が子に音楽をやらせたい」と、お父さんが買ってきたものがバイオリン(ピアノは20万円と高くバイオリンは3000円だった)でした。さだ少年は、熱心にバイオリンの稽古に励み、数々のコンクールで入賞、将来の夢はクラシック・バイオリニストで、中学1年生のときに故郷を離れ、単身上京、朝から晩までバイオリン漬けの毎日でした。ここら辺の修行の詳細に関しては、11月2日から『読売新聞』紙上で始まった「時代の証言者」の④(11月5日)に詳しく出ていました。

 中学2年生のときに加山雄三さんの「君といつまでも」に出会い、バイオリンからギターに持ち替えて曲作りに没頭、友人とバンドを結成しました。その後、バイオリン修行に挫折して辞めてしまったさださんは、後ろめたさから親からの仕送りを断り、アルバイト三昧の毎日を送ります。その無理な生活がたたり、肝炎を発症。故郷の長崎に帰り、しばらく長崎の実家で静養することになりました。 

 そんなある日、高校時代の友人・吉田政美(よしだまさみ)さんがまさしさんの元を訪れます。久しぶりに再会した二人は意気投合し、まさしさんの実家に居候することになります。そして2人はフォークデュオ「グレープ」を結成、1973年「雪の朝」でレコード・デビューを果たしたのです。そして翌年「精霊流し」が大ヒット、さらに翌年の「無縁坂」もヒットし、グレープ」は一躍人気アーティストになりました(当時はアイドルです!)。しかし、デビューから2年半で「グレープ」は解散、まさしさんは、1976年にソロ歌手として再出発。2枚目に出した「雨やどり」で初のオリコン1位を獲得、そして1979年に「関白宣言」が160万枚の大ヒットとなり、社会現象となったというわけです。

 さてこれが、さださんのブレイクまでの道のりですが、今日はデビュー曲の「雪の朝」についてのお話です。先日のNHKの深夜人気番組「今夜も生でさだまさし~長崎は今日もさだだった」(2020年10月25日放送)で、この歌を久しぶりに熱唱しておられましたね。抒情派詩人らしくしっとりとしたいい曲です。1973年の真夏に、この歌のレコーディングをしておられます。真夏に汗をかきながら「雪の〔笑〕。そして発売は10月25日。さっぱり売れませんでした。全国で3,700枚ぽっきりです。そのうちの2,000枚は地元の長崎で売れたものですから、全国的にはみごとなくらいほとんど売れていません。出だしから、さださんらしい暗~い曲です。普通デビュー曲といったら、明るめでもっと派手なものにするはずです。そりゃー、売れないわけだ。

 その「雪の朝」のレコード・キャンペーンで、大阪にやって来た時、マネージャーが取ってくれたホテルが「大阪ステーションホテル」。聞いたことないなと思っていると、案の定、ラブホテルでした〔笑〕。吉田さんと二人でダブルベッドに。枕元にいろんなスイッチがあるので、触っていると、パッと部屋が暗くなって、ミラーボールがクルクルと回り出しました。ピンクのスポットが当たる。急にゴーッと音を出してベッドが回り始めます。思わず吐きそうになったと回想しておられます。慌ててもう一つ部屋を取ってもらい、無事別々に寝ることができたという、忘れられない事件がありました〔笑〕。下の「グレープ」当時の映像を見ると、吉田さんのギター・テクニックが光っていますね。吉田さんも少しは暇ができたでしょうから、グレープ」あるいは「レーズン」を再結成してもらえないかなあ~。♥♥♥

 

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