「受験勉強」の意味

 映画にもなった『リング』『らせん』などの大ベストセラーで知られる作家の鈴木光司(慶応大学文学部仏文科卒)さんのインタビュー記事の中で、「受験勉強」の意義について娘さんに語って聞かせる部分があり、納得しかつ、うなずくところが多かったので、以前勤めていた島根県立津和野高等学校の学級通信で紹介したことがあります。参考になるところが多いので、再掲してみます。出典は『中学教育』11月号(2001年、小学館)です。


 「なぜ受験勉強が大切なのか」と子どもから問われ、ちゃんと答えられるような親でなければ、子どもに向かって「勉強しろ」という資格がない。「一生懸命勉強すれば、一流大学から一流企業に入れて、出世できるからよ」などと平凡なことを言っているようではさらにその資格はない。「だって、数学なんか勉強して、将来どんな役に立つっていうのよ」子どもは必ずこう返してくる。簡単な算術ならまだしも、高校に入ってからの微分積分になると、勉強をする意味がまったくわからなくなってしまうと言う。そのたびにぼくは娘に説明する。「数学は脳の基礎トレーニングなんだよ。ある論理にしたがって問題を考え、筋道を立てて解いていく訓練は、それ自体役に立だなくても、必ず人生を力強く乗り切るための能力へと発展してゆく。おまえがこれから先、生きてゆく中で、どんな困難にぶつからないとも限らない。難問にぶつかれば、よりよく解決して克服していかなければならないだろう。そんなとき数学を勉強してきた頭は、論理的に、よりよい解決策へと導いてくれる。だから、直接の役に立たないからという理由で、勉強を軽視しないように。知識は、理科系のものであれ、文科系のものであれ、複雑に絡まり合って、よりよい効果を発揮する。だから、自分の受験する学校の試験科目に的を絞り込んで、勉強する範囲を最初から小さくしてしまわないように。そして受験勉強は、自分が打ち立てた目標に到達し、ハードル
をクリアするための一種のトレーニングでもあるんだ。成功しても失敗しても、いいトレーニングになる。将来就くことになる仕事もこれと似たりよったりだ。ぼくは期限までに小説やエッセイを書き上げたりするが、中学生の頃に、中間試験や期末試験を乗り切っていた頃のやり方とそう変わりはない。さらに、自分の経験で言えば、受験勉強は全部役に立った。英語の勉強は、大学時代の英米文学原書講読の解釈へとつながったし、世界史の勉強は、ヨーロッパ文学や日本文学への理解へとつながった。数学の勉強は、さっきも言ったとおり、筋道をたてて物事を考え、表現していく訓練になった。幾何の証明問題なんか、決められた字数以内で文章を書く作業と、結構似ているんだぜ。いいかい。難解な数学や、受験のための勉強を無意味なものにするか、あるいは役に立つものにするかは、勉強する人間の心掛け次第なんだ。」


 自信を持ってこれぐらいのことが言える教師・親がどれだけいるだろう?と思って、切り抜いていた言葉です。最近は、「子供が勉強しないのは、大人(あなた)が勉強していないから。」と断言する森 博嗣『勉強の価値』(幻冬舎新書、2020年11月)を読んでいるところです。♥♥♥

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