鞁島弘明先生の講演(2)

 
 昨日に続き、鞁嶋弘明(かわしまひろあき)先生の講演記録第2弾です。2004年6月7日(月)に島根県立津和野高等学校3年生に、「進路別講演会」を実施しました。その中で進学者対象に、元松江北高校校長であり、当時東出雲町教育長であった鞁嶋弘明先生に講演をして頂きました。その内容をできるだけ忠実に文章化したものです。是非一字一句をかみしめて読んで頂きたいと思います。この日は三年生だけでなく、保護者も三十人ほど参加されました。 


             東出雲町教育長 鞁嶋弘明

 自分は「成せば成る」という考え方でやってきた。しかし、昨年の入試結果を見てみると島根県の進学状況は下がってきた。島根の勢いがなくなってきたと思われる。最近は、他県の高校からの講演依頼が非常に多い。何故かと言うと、どこの県も学校再編が進められており、全県一区制になり、生徒は県内どこの高校へ行ってもよい、というようになってきた。そのために生徒が集まらない学校は統廃合の対象とされていくからだ。
 総体が終わって受験勉強が始まるわけだが、これからの生活には2つの生活の仕方がある。一つは入試の生活、それはすなわち「間違った生活」である。土・日に模試があり、補習もあり、朝早く出て来なければならない。もう一つの「正しい生活」はキチンと授業を受けて、夜家でのんびりする。テレビも楽しんだ生活。どちらに徹底するかという点で、少し島根県は弛んできている。間違った生活をすれば、必ず成果は得られる。正しい生活をしていれば、その成果は得られない。それだけははっきりしている。高校生がどちらを選ぶのか。教員集団も「正しい生活」を望むのか、「間違った生活」を選ぶのか、幾分甘くなってきている。入試という過酷な生活は、実は教員にとっても大変な負担である。教員も生徒が楽しい生活を考えてくれていたほうが楽なのだ。だんだんそういう意識が強くなってきている。議論すると正しい生活が勝つ。だがこれらのことをどのように意識するかで、その年の入試結果が表れてくる。「成せば成る」という信念も生徒、教員ともに「間違った生活」を望むことが前提にある。
 センター試験で勝負、勝負というが、実は勝負は12月までに決まっている。総体が終わってから12月までどのように過ごしてきたか、そこに尽きる。キチンとやってきた人は、センター試験当日、少々熱があってもやれる。やっていない人は結果が先に不安になる。「ダメだったらどうしよう」と。やってきた人は結果よりも、「最後に自分の力を発揮しなければ」という心境になる。すると当日の心境に大きな差が出る。入試というのは、日々の生活そのものであり、博打性のないものである。総体が終わったが、自分が苦労したり、やればやるほど試合に対する思いが強くなる。「何のためにやってきたか」ということになる。それと同じである。12月までのところで特に重視するのは6、7月である。6月は今までの生活とは異なり、放課後部活もなく明るいうちに家に着く。勉強する気にならない。体がのらない。そのうち暑くなってくる。大概の生徒は「7月の期末試験が終わってから」とか、「夏休みになったら始めよう」と遊ぶ。だらだら過ごす。そういう人は夏休みになってもできないのだ。人間の体は頭と一致しないものである。夏休みが終わると、学園祭になり、すぐに秋になる。秋口まで勉強がのってないと、今度はあせりにつながる。浮ついてしまう。それでは今日から何をやればいいか。まず体を作らなければならない。家に帰って夕方勉強できない人は学校に残って勉強する。入試というのは人との戦いではない。結果的には自分との戦い。だから今後自分がどのような体を作っていくか、まずは明日の予習だけは、今日学校で終えて帰るとか、2時間集中してやる、ということができたら、来週は3時間やろう。そのようにしてやらないと、いきなり5時間やって、バテて二晩くらい寝てしまうと、もう崩れてしまう。「明日から頑張ろう」とする人は絶対ダメ。明日勉強できる人と言うのは、やはり今夜やった人である。明日の予習、総体期間の勉強内容の見直しとか、期末試験の勉強を早目に取り掛かるとか、身近なことから体作りをやっていく。1週間だらだら過ごすと、勉強できるまでもう一週間かかる。頭で考えたことが体で動くということまでに時間がかかる。また、ワーワー騒いだクラスでは教員も気持ちが締まらない。生徒がどれだけ本気になるかで、教師集団も奮い上がる。お互いの相乗効果がある。そういう雰囲気にしなければならないし、生徒自身が作っていかなければならない。さらに、遅刻を注意されて、腹が立つようではダメである。自分自身のためにやってはならない。遅刻というのは「みんなで8時25分に集まって学校生活をはじめよう」という人間としての約束を破ることである。人との約束を簡単に破れる人は、自分との約束を簡単に破る人である。例えば、「今晩は12時まで勉強しよう」と自分で決めたことを直ぐに諦めて、自分との約束を破ってしまう。本来遅刻というのは学校のため、クラスのためとかではなく、自分自身のために体を作り、生活を作り、間違った生活のためにしてはならないものだ。そういう一つ一つのことがキチンとできるようになったら、必ずみんな通ります。
 私が平田高校で担任をしていたとき、八幡先生が新規採用で来られ、副担任をしてもらったが、その年の夏休み毎日補習をしていた。まさに1日も休むことなく40日続けた。その結果ほとんどの生徒が通った。そういうことを皆さんができたら必ず通る。勉強の計画は移り気ではダメだ。早く結果を出したいがために、あっちこっち目が移る。これでは伸びない。1学期の模試の成績は参考にならない。暑い時期を乗り切って、勝負は秋以降を目指してやらなければならい。その間に、土日には単元別に自分で勉強するとか、添削をお願いするなどをして、長い期間で見て確実な力をつけなければならない。たまたまできたことはその人の本当の力ではない。               
 次に志望校についてだが、志望校を意識しながら、冷静に勉強していくことは非常に難しい。判定もD、Eばかりで悲観的な声が多く、精神的なざわめきと常に背中あわせでやっていかなければならない。補習科生ならば、前年に痛みを味わっているだけに精神的に強い。「秋までは見ておいてくれ」と淡々と言える。一方、現役生はうわずってきたとき、私立に絞りたがる。精神的に追い込まれてきて、5教科7科目を勉強するのが辛くなるからだ。そのうちこんなことを言い出す「7科目なら1日7時間勉強しても、それぞれ1時間しかできない。それを3科目にすると、2時間ずつできる。」そういう生徒はそのうち「2科目なら3時間、1科目なら7時間できる」と言い出すが、ついには「試験のないところはないでしょうか?」と言い出すようになる。私は国公立大を受験させることにこだわってきた。そのことに批判を受けた時代もあるが、私は「私立大学がいけない」と言った事は1度もない。私が国公立大にこだわった理由は2つある。1つは、学費の問題である。家庭の負担を減らすことになるのだ。国公立大と私立大の4年間で学費にどれだけの差が生じるのか。もう1つは、都会の高校生には勝てないということ。科目を絞れば、自分にも有利になるかもしれないが、他の人も有利になる。都会の私立高校などは科目を絞ったカリキュラムを組み対応しているので、こちらの生徒が科目を絞っても、とても太刀打ちできるものではない。
 話は変わるが、「相談したがる」人がいる。色々な先生の所へ言って「僕は大丈夫でしょうか?」と聞いて回る。「ダメだ」と言う先生はいないから、「大丈夫」といわれて、安心してその晩ぐっすり寝る。翌日また違う先生のところに行って、同じことを聞いている。私はそういう生徒に対してこう言った。「レースに例えると、みんなが第4コーナーを回ったところで、お前は観客席にいて、自分は何番になるのか見ているようなものだ」。また、志望校を巡って家庭内でも対立した末、勝ち誇ったような顔をしている人もいる。志望校を話し合うということも大切ではあるが、毎晩親と対立する暇があれば力をつけよ。いずれにしても自分との戦いの不安な中で毎日どれだけキチンと勉強できるか、その精神力が大切である。みなさんの人生の中でこれだけのことができるのは今しかない。浪人も2年もすると「間違った生活」ができなくなる。私自身も50歳代のとき「もう自分は進路指導をできない」と感じることがあった。私は20歳代のころから補習を断わったことは一度もない。子ども達とともに「間違った生活」ができなくなったときに、もう自分は進路指導をできないと信じ込んでいたからだ。しかし、50歳代のとき、生徒が「補習をやってくれ」という要求を断わるときに、自分自身が罪悪感を感じなくなった。50を過ぎてから体が続かなくなった。そこでもう自分は進路指導をできないと感じたのだ。
 来年国公立大入試で一番易しいのは、後期である。松江北高校のとき、後期で120、130人を狙え、と言っていた。そして現に合格者を出した。なぜかというと、後期日程というのは出願時には非常に高倍率である。しかし、多くの生徒はだいたい前期が終わると遊び出す。予備校生は特に顕著である。卒業式が終わるとお別れ会と称して、家に帰ってこない。そういう状態では受験はできない。それに都会では後期まで受けない。近年、中堅以下の私大は受かり易くなってきている。自分の家から近い大学の合格通知がくれば、わざわざ親元を離れて地方の国立大学まで受験に来ない。もともと敗者復活戦の後期には、前期の合格者は受験しないわけだから、上に述べたように受験者はかなり減り実質倍率は低くなる。6、7、9月、センター試験後の1週間、卒業式後にも補習をしろと言ってきた。これで通る。結構通る。これらをキチンと心掛けておれば後期でかなりの合格者が出るのだ。
 保護者の方に対して、長年受験をしてきて感じたことをお話します。入試が迫ってくると子どもに「大丈夫か」と聞く親がいる。大丈夫かどうか一番知りたいのは本人自身である。親も心配なのは分かるが、「大丈夫か」と責めあげると、結果的にかえって不安感を与えることになるのだが、親は気づいていない。2つ目に母親に多いのが「小言」である。学校で「勉強しろ」とさんざん言われて、家に帰って来てから、一番精神的に安らぐ夕食時にまた親から小言を言われる。子どもの顔を見るたびに小言を言う。母親自身が不安だから子どもにぶつけている。子どもが弛んでいれば、怒るべき時にはキチンと怒るべきだが、温かく見守る時とのバランスをとってやる必要がある。子どもは生活が面白くないときは、つい親に愚痴を言う。ときにはこれらのことを聞いてやる。それを親が叩き伏せるようなことがあると、どうにもならないことがある。入試の最大の功労者は母親であり、家族である。決して腫れ物に触るわけではないが、叱るときには叱り、メリハリをつける必要がある。
 これらの事をもとにして3月まで精一杯頑張っていくわけだが、最後にまとめて大事なことがあるとすれば、センター試験が終わって帰るとき、充実感があるかどうかだ。何点とれたか知らないけど、「あれが俺の全てだった」というものがあるか、ないかだ。「いくらあれ以上のものを要求されてもそれ以上はできなかった」と言い切れるかだ。これからの日々の生活で甘さを無くしていく。少しでも空いた時間に、単語の1つでも覚えようとする姿勢か大事である。最後に皆さんの目の輝き、先生方の姿勢をみると、この学年は粘りを感じる。「これは成るな」という予感がする。入試というものは粘りがないとダメである。もちろん今の成績は傷だらけだが、そのうちいいものが加わってくるような気がする。まず7月の1ヶ月間勉強を続けることである。どう体をのせるかが最大のテーマになる。いま判定がE、Dばかりでも何とかなる。合格判定Dは30%の合格率だが、要は10人中3人にはいればいいわけである。Eの20%でも10人中2人にはいればいいのである。だから絶対に気分を弛めてはいけない、諦めてはいけない。入試というのは恐くて、面白くなくて、じっと我慢していれば必ず生き残れるゲームだ。まずは第一歩の今夜からどうするのか、明日から遅刻をして平気で来るような人はダメです。生活を律しながら、家庭もそれを応援してあげる。そうすれば2、3月には「よかったな」ということが起きてきます。それを信じて頑張って下さい。


 ごくごく当たり前のことをお話ししておられますね。でもこの当たり前を当たり前のようにすることが極めて難しいのです。尊敬するパナソニック創業主の松下幸之助さんは「当たり前のことを当たり前にやっていけば、商売は必ず成功するようになっている」と喝破されましたが、まさにその通りです。私はいつも生徒たちにたり前のことをカになってャンとやろう!」(ABC)と呼びかけています。♥♥♥

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