『ZARDよ永遠なれ』

 2007年の5月27日に、3年生の授業を終えて英語研究室に帰ってきたら、机上のパソコンに、同僚の英語科の先生からメールが入っていて先生、ZARDの坂井泉水さんが亡くなりました!!とあり、愕然としました。病気(子宮頸がん)だったことも全く知りませんでした。手すりに乗っていて3メートル下に転落、病棟脇の非常階段で倒れているのが発見されました。脳挫傷でした(自殺説も流れましたが、事故死だったとの疑いが強いです)。まだ40歳の若さでした。ZARDの歌は大好きで、昔はファンクラブにも入って応援していたものです。私は2012年には、東京・鳥居坂で開催された「Zard Gallery」(~5月末)に、お別れに行ってきました。坂井泉水さんが長年愛用したキーボード、ギター、ペン、作詞ノート、直筆原稿、ジーンズやベストショット写真をじっくり眺め、特別上映されていたフィルムを鑑賞して当時を懐かしく思い出していました。入り口のショップで、写真集、ポスター、しおり、ノート、ファイルなどを購入して、名残惜しい会場を後にしたのを覚えています。アシェットから発刊された『ZARD CD&DVD COLLECTION 〜永遠のスタンダード・ナンバー〜』は全部揃えました。昨年は『ZARD 30周年YEAR』企画、『2004年全国ライブツアー映像フルHD化、47都道府県上映』、ZARD初にして、唯一の全国ライブツアー「What a beautiful moment Tour」に映画館まで行ってきました。⇒私のレポートはコチラ

▲東京・鳥井坂で開催された「ZARD GALLERY」

 ZARD坂井泉水の歌はどう生まれたのか?なぜ彼女の言葉は人々の心を捉え続けるのか?を正面から取り上げて、昨年NHK BSプレミアムで放送され、大反響を呼んだZARDスペシャルドキュメンタリー番組「ZARDよ 永遠なれ  坂井泉水の歌はこう生まれた」が(⇒私の紹介はコチラです)、デビュー30周年となる2月10日に、特別編集版で待望のパッケージ化されました。私は会社から発売日に届けていただきました。特典は「A4版特製クリアポスター」でした。

 坂井泉水〈言葉を紡ぎ出す天才〉と語るのは、彼女を見いだし、ZARDとして育て上げてきた長戸大幸プロデューサーその人です。「坂井は思っていることを会話で上手く伝えられるタイプではなく、いつも自分の中に溜めているような人でした。デビューに向け、〈自分の言葉で歌うため、自分で作詞すること〉という僕からの提案を受け入れたその日から、溜め込んだものをコツコツと、猛然と、書き綴るようになりました」と振り返っています。

 1991年2月10日に、「Good-bye My Loneliness」でデビューを果たしてから、今年で30周年を迎えたZARD負けないで」「揺れる想い」「マイ フレンド」など、実に多くのヒット曲を飛ばし、その知名度の高さに関しては疑いようがありません。しかし、テレビなどメディア露出の少なさも影響してか、楽曲以外の話題は神秘のベールに包まれていました。これまでシングル売り上げ1773.3万枚、アルバム売り上げ1990万枚を記録し、1990年代女性ソロアーティストとして最も多くのCD売り上げ枚数を誇り、オリコン平成30年ランキングアーティスト別セールスでは第8位を獲得。坂井さんが、2007年5月27日に逝去した後も、その人気は衰えるところを知りません。それどころか、「親の影響で自分もファンになった」という10代や20代の若いリスナーも増えているようです。それを裏付けるかのように、昨年「NIKKEIプラス」から発表された「10代から60代に聞いた、今こそ聴きたい、元気になれる歌15選」では、数ある名曲の中からZARD「負けないで」が第2位にランクイン。様々な困難に直面する度に、日本中に元気と勇気を与えてきた不朽の名曲の数々は、今もなお、世代を越えて多くの人々の心の支えになっているということでしょう。負けないで」は高校の英語教科書(三省堂)にも載った名曲で、人生の応援歌として理解されることの多い曲ですが、坂井さんの真意はもっと別の所にありました。知らない人が多いので、私は解説しておきました。⇒コチラです

 番組のテーマであった〈なぜこんなにも長きに亘りZARDの楽曲は愛され続けるのか?〉に対する各々の回答は、色鮮やかなメロディー」、「こだわり抜いたサウンド構成」、「唯一無二の歌声」、「心くすぐられるビジュアル」(=美人)などいろいろあることと思います。でも中でも一番なのは、やはり坂井さんがが大切にしてきたと公言している「歌詞」だと思います。では、〈どうして彼女の〈言葉〉はこれほどまでに人々の心を惹き付けて止まないのか? そして、あれほど多くの名曲をZARDはどのようにして生んできたのか?〉その答えを導くために、今回のNHKのドキュメンタリー映像は、坂井さんの生涯を振り返りながら、彼女が17年間どのように楽曲制作と向き合い、ZARDに人生を賭けてきたのかを、様々な側面から探求している。とりわけ、膨大に残された直筆メモから読み解く〈言葉〉へのこだわりは、ZARDファンならずとも見るに値するだろう(DVDの特別冊子には直筆メモの一部が鮮明な写真で掲載されている)。

 また、念願のシンガーになるきっかけとなったB.B.クィーンズのコーラス・オーディションを受けた時の歌唱音源(アンルイスの“六本木心中”)や、製品になっていない“負けないで”の英語バージョン、“揺れる想い”の制作途中の音源(製品とはメロディーが違うヴァージョン)など、初公開を含む音源が次々に登場するのも貴重です。さらに、生前は表に出ることのなかったレコーディングの舞台裏、ロケ現場での素顔などから、坂井さんの人間性にも深く踏み込んでいます。そして関係者の証言では、デビューから3作目までのミュージックビデオを手掛けた岩井俊二、ZARD初期のコーラスを多く担当し、同じ時代を過ごしたレーベルメイトの大黒摩季、坂井への取材経験もある音楽ライターの伊藤博伸、ZARD楽曲に幾度も助けられてきたというお笑い芸人のチャンカワイ、坂井さんと一緒にZARD作品を制作してきた身近なスタッフにより語られるエピソードにも、実に興味深いものがありました。

 ドキュメンタリー映像作品とはいえど、もちろんZARDの楽曲も楽しむことができます。放送ではワンコーラスのみだったミュージックビデオを可能な限りフルサイズで収録し、また特典には、本編でナレーションを担当した山本 彩さんによる「負けないで」の朗読を収録していました。

 2001年2月に体調不良のため約1年間の休養に入った坂井さん。その間、ファンクラブ会員に向けて、どんなときも前向きに考えたいと思っていますので、坂井泉水をどうか見守っていてくださいね」とメッセージを送っています。いかなる状況になっても、自ら選んだ道を後悔することなく、常にポジティブに歩み続けた坂井泉水さん。コロナ禍で塞ぎがちな今、彼女から発せられた〈言葉〉、〈歌〉に勇気づけられる人がたくさんいることだけは間違いありませんね。♥♥♥

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