「努力の壺」

 私の自宅のお隣が「松江市立城北幼稚園」、そのお隣が「松江市立城北小学校」です。毎日可愛らしい子どもたちが、私の家の前を通って通学していきます。ただ残念なことに挨拶をする子どもはほとんどいません。聞いたところでは、知らない人には声をかけないようにという教育が行われているのだそうです。オカシナ教育だと感じています。そんな中で本当にまれに、おはようございます!!」と大きな声で挨拶してくれる子どもがいます。思わず抱きしめたくなるくらいで、私も大きな声で返します。その城北小学校「校長室だより」(2019年2月号)に、校長先生が全校朝礼でお話しをされた「努力の壺」という話題が掲載されていました。


◇全校朝礼の話より(抜粋)
…今日は、最後のもうひとがんばりについてお話をします。みんなには、夢や目標を持って、それに向かって努力しよう。そんなお話を三学期の始業式でもしました。
 「テストで百点を取る」「逆上がりができるようになる」「縄跳びの二重跳びを五十回跳ぶ」などなど。みんなもいろんな目標を持つと思います。どんな目標でもいい、目標を持った時、人はそれぞれある物をもらうのだそうです。それは、「努力の壺」です。
 その大きさは人によって、また目標によって全部違うのだそうです。難しい目標の時は、壺はやっぱり大きいですし、そんなに難しくない目標の時は、壺は小さいのだそうです。
…この努力の壺の中には、水ではなくみんなの努力が貯まっていきます。少しずつ、努力した分だけ、きちんと貯まっていきます。そしていつか、貯めていた努力が壺から溢れる時。その時こそ、できなかったことができるようになる瞬間、目標達成の時です。逆上がりだって同じです。練習を重ねて重ねて、ある瞬間、それは突然できるようになるものです。
 ですから、休まず努力を続けて、壺の中に貯めていけば、いつか必ず出来るようになる時がやってきます。
 でも実は問題があるのです。この壺にはどれだけ努力が貯まっているのか、自分で見て確かめることが出来ないのです。だから、自分はこれだけ努力したのになぜ出来るようにならないのだろう。そんなふうに思う時もあると思います。そんな時、もしかしたら、あとほんの少し努力をすれば、壺は努力で一杯になるのかも知れません。それが、最後のひとがんばりになるのかもしれません。
 でもそこであきらめて、努力を止めてしまったら。それまでの努力は、全て無駄になってしまいます。
 あきらめてはいけません。それまでの努力は、間違いなく努力の壺の中に貯まっています。あきらめずに努力を続ければ、壺の中に努力を貯めていけば、いつか必ず溢れる時はやってきます…


 ネット検索してみますと、小学校ではこのお話は有名な鉄板ネタのようです。全国各地の小学校の記事が出てきます。大切なことは、1)この壺は、人によっても大きさが違うこと、(2)壺の中を自分では分からないのでどれだけ頑張ればいいか、知ることができない、ということです。したがって、あきらめずにコツコツと努力を惜しまずに続けることが大切です。努力の壺」というのは、決して消えたり,無くなったりはしません。あと1日で出来るようになるかもしれないのにあきらめたら,もったいないですよね。これまで苦労して頑張っている努力の分は間違いなく、その壺にたまっています。少しずつですが,水がたまっていくのように、確実にたまっているのです。ですから、あきらめずに、休まずに、壺の中に努力を入れていけば、いつか必ず、あふれる瞬間が来るのです。先の城北小学校の挨拶に関する指導は、はなはだ疑問に思いますが、この「努力の壺」の指導は大切なことだと感じます。

 先日もここで書いたことですが、ただ努力すればよいではなく、「正しい努力」を積み重ねること、そして努力には即効性はないことを承知しておくこと、この二点が大切です。♥♥♥

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