今ではあまり使われることがなくなりましたが、かつては「アゴアシ」という言葉がありました。私たちの世代には実になじみの深い言葉です。「今日は日帰りできるので、出演料と「アゴアシ」だけでいいです」といった風に使います。これは何を意味するものでしょうか?実際の使用例を挙げます。
「栢さん、ぼくは観光ですよ」
「そうでした。でも、ぼくの仕事を手伝ってくれませんか。今度はぼくが日当
を払います。それだけの金は預かってきていいますから」
「栢さんにそう言われては、断るわけにはいきませんね。 ただし、日当はい
りません」
「では、せめてアゴアシだけでも」
「アゴアシってなんですか」
「めし代、宿泊代、それに交通費」
「それはやめましょう。ヒマなときには、勝手に出かけますから、明日はあの
平戸城に行ってみたい」 ―峰 隆一郎『長崎・平戸連続殺人』(廣済堂)
「酒井さん、もしかしたら証人として東京に来てもらうことになるかもしれま
せん。そのときにはよろしくお願いします」
「もちろん、アゴアシつきでしょうな」
「そうします」 ―峰 隆一郎『殺人新幹線「あさひ2号」』(集英社)
「アゴアシ」というのは、「交通費」と「食事代」のことを指すんです。アゴというのは、食べ物を食べる「アゴ」(顎)を指していて、「アシ」というのは移動にかかる「足」を指しています(バブル期に、車で出迎え、送ってくれる人のことを「アッシーくん」と呼んでいましたね)。仕事のギャラとは別に、「アゴアシ」も付くよ、と言います。これは、芸能人や歌手を地方に呼ぶ興業の世界では、よく使われている言葉です。地方へ営業へ向かう出演料のギャラとは別に、経費がどれくらい出るか、ということを示したものです。
さらにもう一つ、「アゴアシ」とともに重要な要素として、「マクラ」があります。これは言わずもがな宿泊代ということです。「アゴアシ」はつくけれども、「マクラ」は別というところも多くあります。今では飛行機や新幹線などが発達していますから、場合によっては日帰りということも可能になってきました。ですが、当時はそういったことはできませんから、宿泊費を自分たちで負担するか、もしくは、夜行列車や夜行バスで移動するといったことも行われていたようです。
●アゴ・・・食べるときに顎(あご)で噛み砕くことから[アゴ=食事代]
●アシ・・・移動するときに足(あし)を使うことから[アシ=交通費]
●マクラ・・・寝るときに枕(まくら)を使うことから[マクラ=宿泊費]
昔、大学で米文学を教えて頂いていたサンフォード・マロヴィッツ先生から、「めくじらをたてる」という言葉は「くじら」と何の関係があるのか?と聞かれて、答えに窮したことがあります。言葉を教える立場の者として、こういったことにも日頃から興味を持っていないといけない、と感じたことでした。♥♥♥