人を遺すを上

 2020年2月11日に84歳でお亡くなりになった野村克也(のむらかつや)さん。プロ野球の弱小4球団で監督を務め、数多くの選手を育てる中で、たどり着いた一つの言葉があります。「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」 明治から昭和初期にかけて活躍した政治家、後藤新平のこの名言を野村監督は大切にしていました。財産を築いたり、仕事で業績をあげたりすること以上に、人を育てることは難しく、それゆえ価値があるという意味です。実際には、この名言には後に続く言葉があり、「財を遺すは下 事業を遺すは中 人を遺すは上なり。されど財無くんば事業保ち難く、事業無くんば人育ち難し。」という言葉でした。大雑把な解釈としては、人を育てることが最も大事ですが、そのためには事業を通じて人を育てる必要があり、事業を保つには財も必要、という意味です。指導者として大切にしていたのは、 “選手の個性を見極めることの大切さ”でした。そうやって数多くの指導者を遺しました。2021年のシーズンに限って見ても、教え子のヤクルト・高津臣吾、阪神・矢野燿大、日本ハム・栗山英樹、西武・辻 発彦、楽天・石井一久監督、西武のGM渡辺久信、東京五輪の日本代表監督、稲葉篤紀らが監督として活躍しています。球団フロント、コーチ、スカウト、マネージャー、アマチュア野球の指導者まで含めると、ものすごい数の野村チルドレンが、野球界で力を発揮しているんです。間違い無く、野村さんは「人」を遺しました。

「人生の中で何を残したのか。それによって,その人の価値というものが決まる。ワシはそう思っている。財産、仕事、人があるとしたら、やっぱり大切なのは、人だろう。そう思わんか?ワシは<財を遺すは下、仕事を残すは中、人を残すは上とす>を座右の銘としてきた。しかしワシは、何を残したんやろな」(野村克也談、2012年)

 野村監督の誕生日に合わせて、6月29日甲子園球場で行われた阪神―ヤクルト戦を、「野村克也追悼試合」として開催しました。球場の正面入り口に野村監督の大きな写真が掲げられ、外周には赤星憲広さんや藤川球児さんなど、野村監督の下でプレーした阪神OBの写真と共に、それぞれが感銘を受けた監督の言葉を紹介するコーナーが設けられました。矢野監督「野村さんと出会ってなければ、今の僕はないし、野球の見方が変わったり、おもしろさが変わった。感謝の気持ちを共有するいい機会にしたい」と語りました。始球式を務めた孫の野村忠克さん(日大野球部、19歳)「たくさんの方に慕われていることを身に染みて感じた。偉大な祖父」と実感を込めました。

 ヤクルト監督時代に、野村番のスポーツ記者だった飯田絵美(いいだえみ)さんも、野村監督が遺した「人」の一人です。このたび『遺言 野村克也が最後の1年に語ったこと』(文藝春秋)を上梓しました。沙知代夫人が亡くなってから、ノムさんと毎月一回食事をしながら聞いた話をまとめた本です。これは普通の記者さんには書けない異色の本でした。涙を誘う場面もいっぱい出てきます。著者は元サンケイ・スポーツの記者で、ヤクルト時代に野村監督を担当。その縁で交流が続き、沙知代夫人が亡くなった後のおよそ1年間、野村さんの〝最後の話し相手〟となりました。野村克也が、他の誰にも語らなかった「本音」であり、「遺言」でもあります。実に面白く読みました。

 私も教職44年。「人」を遺すことができたんでしょうか?自問する日々です。♥♥♥

▲私の退職を祝って集まってくれた3年2Rの面々

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