開会式の長嶋さん

 3月25日に福島県を出発し、12歳から109歳の1万515人で、約4カ月(121日)かけて全国47都道府県を巡った聖火リレー。多くの地域では公道での走行が中止されるなど、コロナ禍の大きな影響を受けたものの、ようやく最終目的地にたどり着きました。7月23日(金)、国立競技場では、最終グループがトーチキスを重ねながら聖火台に聖火を運びました。吉田沙保里さんと野村忠宏さんの、五輪金メダルコンビに続く二番手として登場したのは、読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さん(85歳)、通算868本塁打の世界記録を持つ王貞治さん(81歳)、巨人やヤンキースなどで活躍した松井秀喜さん(47歳)の国民栄誉賞トリオでした。吉田沙保里さんは「お三方に渡すとわかった時は鳥肌が立って涙が出た」と記者会見で語りました。長嶋さんにとっては、野球日本代表の監督を務めながら直前に脳梗塞で倒れた2004年アテネ五輪の雪辱とも言える大舞台です。盟友のさんと、まな弟子の松井さんを携え、聖火を大事に運びました。この揃いぶみには感動の涙です。

 国立競技場で無観客開催された東京五輪開会式に登場した、巨人の長嶋茂雄終身名誉監督とソフトバンクの王貞治会長長嶋さんを背後からそっと支えた松井秀喜さんの姿に感動です。この3人が揃ったらもう感無量です。堀内恒夫元監督は、「長嶋さんが歩くトレーニングをしていらっしゃるという話は耳に入ってはきてたんだ。何かあるんだろうな、って思ってたけどまさか、その目的が聖火ランナーのためだとは知らなかったよ。長嶋さんのことだからご自分の足でランナーとして走りたかったんだと思う。現役時代から他人に努力は見せない方だからね、相当、トレーニングされたんじゃないのかな。王さんも松井も一生懸命エスコートしてくれていたね」とブログで綴りました。「最後、3人が寄り添って医療従事者の方たちに聖火のバトンタッチ」と感動のシーンを振り返った堀内さん。「その時の長嶋さんの笑顔…本当に良かった!遅くまで、大役お疲れさまでした。そして、ありがとうございました」と、胸がいっぱいの様子でした。

 吉田沙保里さん、野村忠宏さんから左手のトーチに受け継ぎました。「“一番心地良い歩き方をしてください”という打ち合わせをしました」と語った愛弟子の松井さんの肩を借りて、麻痺の残る体を半歩ずつ、代わりにトーチを持った盟友のさんとともに、ゆっくりと、確実に、歩みを進めていきます。観衆はいません。でも、感動は抑えられません。

 日本スポーツ界の象徴的な存在としてこの場に立ちました。聖火台に灯った五輪の灯を見つめる長嶋さんの胸の奥には、さまざまな思いが去来したに違いありません。17年前、長嶋さんは日本代表監督としてアテネ五輪の舞台に立つはずでした。それが直前の2004年3月、脳梗塞で倒れ、命も危ぶまれ、「寝たきりになるかもしれない」とまで宣告されました。そんな状態でも、長嶋さんは病床で「アテネに行きたい」と現地での指揮を切望しました。しかし、アテネ行きは断念、チームも銅メダルに終わりました。ただ、五輪への思い、野球への情熱が薄れることはありませんでした。現場復帰へすさまじいリハビリ。右手と右足に麻痺が残り、言語能力にも影響が出ていました。「1ミリでも動くようにするんだ!」と、大の大人が泣いてやめてしまうような過酷なリハビリメニューをこなし、奇跡的な回復を遂げたのです。

 実は昨年、東京五輪が予定通り開催されていたら、長嶋さんはこの開会式に参加できる状態ではありませんでした。体調を崩し、療養中だったのです。コロナ禍で東京五輪が1年延期となったことで、この日を迎えることができました。リハビリ再開は昨年の秋から。都内の自宅地下室にある歩行練習用のマシンを利用し、食事面も減塩食などカロリーに気を使いました。長嶋さんは常に戦ってきましたた。選手として、監督として。そして今もなお「人生」というグラウンドで戦い続けています。親しい関係者には「医者にもう歩けない、寝たきりだと言われても、オレはやるんだ」と宣言。五輪前は周囲がはっきりわかるほど、ウキウキしていたそうです。「やっぱり奥さんとの出会いが、東京五輪が縁だったというのもあるかもしれないね」(前出の関係者)。2007年に他界した亜希子夫人は、前回の東京五輪(1964年)のコンパニオンでした。監督のひと目ぼれだったというのは有名な話です。奥さんにこの日の姿を見てもらいたいという思いもあったのでしょうね。以前「なぜそこまでできるのか?」の問いに、長嶋さんはこう答えています。「諦めた人生なんて面白くないじゃないですか」。どんなに苦しくても戦い抜き、どんなにつらくてもゴールを目指す。最後まで諦めない。長嶋さんの姿こそが、聖火ランナーとしてのメッセージでした。再び「メークミラクル」が起きました。東京五輪の開会式で、聖火を受け渡した時の長嶋さんの、何とも言えない笑顔がそれを物語っていました。

▲『スポーツ報知』8月1日付け

 この長嶋さんの聖火ランナー当日の舞台裏を、『スポーツ報知』(8月1日付け)が伝えていました。聖火ランナーの話が来たのは2年前。胆石の入院で体力が落ちており、移動の際には車椅子を使うようになっていました。しかし、聖火ランナーの話が来た瞬間、長嶋さんは「自分の力で聖火を渡す。そこに意味があるんだよ」と決意しました。トレーニングに力を入れ、人の助けを借りながら自宅の近所を歩き、計画的に距離を延ばしていきました。7月初め、初めての打ち合わせの席上で、事務局が示したのは、長嶋さんが車椅子に乗り、松井さんが押すという案でした。代理で出席していた娘さんの三奈さんが、「父は車椅子を使わず歩く気でいます」と伝え、事務局は即座に案を変更したのです。本番当日。聖火リレーの時間がやってきました。控え室を出て、フィールドに通じる通路の暗がりで、「さあ、行こう」長嶋さんが声をかけると、さんは長嶋さんの左手にグータッチをしました。第1走者の野村忠宏さんと吉田沙保里さんから聖火を受け継いだ長嶋さんは、トーチを高々と掲げました。トーチをさんに預け、松井さんに支えられながら一歩一歩歩く速度はリハーサルの時よりもゆっくりと、オリンピックを楽しんでいるようでもありました。控え室に戻った長嶋さんは満面の笑みだったそうです。「大役お見事でした。お疲れではありませんか?」と尋ねると、「大丈夫、大丈夫」と若々しい声で答えました。いでたちにも秘密があり、長嶋さんの履いたトレーニングシューズには、白地に白革で栄光の背番号3がしっかりと縫い付けてありました。

 ちょうど小林信也さんの最新刊『長嶋茂雄永遠伝説』(さくら舎、2021年)を読んでいるときでしたので、タイムリーでした。この本面白いですよ。♥♥♥

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