ポール・オーンドーフ死す!

 またまた悲しいプロレス界の訃報が飛び込んできました。7月12日に、“鋼鉄男”の異名で呼ばれたポール・オーンドーフが、ジョージア州フェイエットビルの自宅で死去しました。享年71歳でした。死因は慢性外傷性脳症(パンチドランカーとも呼ばれる)です。息子さんが、すでに認知症になっていることを公表していました。全盛期には筋骨隆々の体を売りにしていた鋼鉄男戦士(写真右)が、げっそりと痩せ細った姿になっていました。

 ポール・オーンドーフ「未知の強豪」と呼ばれ、1980年10月、新日本プロレス「闘魂シリーズ」に初来日しました。カール・ゴッチのまな弟子である元NWA世界ジュニアヘビー級王者ヒロ・マツダの教え子ですから、かなりの実力者です。実際、長州力にピンフォール勝ち、藤波辰巳にリングアウト勝ち、木村健吾アニマル浜口にはピンフォール勝ちしています。アントニオ猪木には「卍固め」で敗れています。玄人好みの好きなレスラーでした。

 ポール・オーンドーフといえば、真っ先に思い出されるのは、何と言ってもヨーロッパの武者修行を終えて帰国した前田日明(まえだあきら)とのシングルマッチでしょう。オーンドーフが2度目の来日を果たした、今から38年前の昭和58年(1983年)4月21日、新日本プロレスの東京・蔵前国技館で行われた前田の凱旋帰国第1戦です。欧州で獲得したヨーロッパヘビー級チャンピオンとして凱旋した、前田の凱旋試合の対戦相手に指名されました。一方の前田は、12種類(!)のスープレックスを手土産にヨーロッパから鳴り物入りで帰ってきました。どうやらオーンドーフは、試合に上がる前から戦意喪失していたようです。レフリーを通して「スープレックスを受ける自信がないから使わないでくれ」とクレームをつけてきたのです。前田はイギリス修行時代にも相手を怪我させることが多く、「クラッシャー」(壊し屋)と呼ばれていました。これがオーンドーフの耳にも入っていたようで、前田を危険な男と思い込んでいたようです。果たして試合では、オーンドーフは何もさせてもらえず、まったくいいところがなく、一方的なものになりました。フロント・スープレックス(日本初公開)、ロープに飛ばしてカウンターのフライング・ニールキックを食らい、仕上げはリバースネルソンから後方に弧を描いて反り投げのリバースアームサルトで投げられ、クラッチを解かずにその体勢のままフォール、わずか3分36秒で敗退しました(記録は「風車固め」)。私もテレビで見ていましたが、まさに、前田を売り出すのための引き立て役でした。エース外国人レスラーと期待されたオーンドーフでしたが、前田との一戦が、日本での評価を決定的にしたと言っても過言ではありません。その当時、新日本プロレス営業本部長だった新間 寿「あのカードは失敗だった。後悔している」と、後に語っています。ちなみに、前田とはその後も何度か対戦していますが、ニールキックを嫌がり、正面で受けずに、背中や上腕でキックを受けるという行動が、マイナス・イメージとして定着してしまいました。4度目の来日となった1983年10月を最後に、オーンドーフが日本の土を踏むことはありませんでした。

 1993年にルー・テーズの紹介で、UWFインターが、4月10日の大阪大会に参戦をオファーして来日が決定しましたが、相手がゲーリー・オブライトに決まると、そのオファーをドタキャンしました。プロレス・ライターの流智美さんは「あの前田との一戦がトラウマだった。ゲーリーはスープレックスが得意技だったから。また、あの時のようにかませ犬にさせられると懸念したんでしょうね」と語りました。

 さて、日本プロレスの時代から「日本帰りは出世する」という格言がありましたが、これはオーンドーフにも当てはまります。NWAの北米ヘビー級王座、タッグ王座などを獲得しました。1984年からWWF(現WWE)入りし、「ミスターワンダフル」のニックネームで、ハルク・ホーガンとの抗争が人気を博しました。1985年3月31日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで開催された記念すべき「レッスルマニア」第1回大会のメインイベントで、ロディ・パイパーとタッグを組み、ホーガン&俳優のミスター・T組と対戦しています。この試合はモハメド・アリがサブ・レフェリーを務めるという豪華なものでした(2万6000人超満員ソールドアウト、超破格の13億円興業)。同年9月には、米国で発行されていた人気写真グラフ誌『LIFE』のWWF特集において、4人の大人が座ったベンチを肩に乗せて担ぎ上げるパフォーマンスが見開きページで掲載されるという破格の扱いです。翌1986年8月28日に、カナダ・トロントで行われたホーガンとのWWF世界ヘビー級選手権はソールドアウトで6万4100人もの大観衆を集めました。WWF離脱後はWCWに戦いの場を求めたオーンドーフ。しばらくして筋肉の病気を患い、右上腕二頭筋が細くなり始めました。左腕の半分ほどになり、ついにはサポーターで隠し切れなくなり、首を負傷したことも相まって引退を決意しました。オーンドーフは、日本での知名度は非常に低かったのですが、米国ではトップ・レスラーとして、高い評価と人気を集めて大活躍しました。2005年には「WWE殿堂」入りも果たしています。謹んでご冥福をお祈りします。♠♠♠

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