「祈り」

 長崎を最後の被爆地に―祈りとは……許しとは……愛とは……母性とは……。昭和32年聖夜の物語。『祈り―幻に長崎を想う刻(とき)―』は、昭和32年の長崎を舞台に、焼け落ちた浦上天主堂に残るマリア像を人知れず運び出そうとする鹿と、の二人の女性を描いた人間ドラマです。「今まで、教科書では知り得なかったことが描かれていて、ビックリしました」と女優・高島礼子さん。彼女は隠れキリシタンの末裔で、昼は看護師、夜は娼婦という女性を演じました。「二度と戦争が起こらない世の中になるように、この作品から少しでも皆さんにメッセージが伝わりますように、心から願っています」と。原作は、長崎市出身で劇作家・演出家として日本の演劇界に多大な貢献をした田中千禾夫が1959年に発表し、第6回岸田演劇賞、第10回芸術選奨文部大臣賞を受賞した同名の戯曲であり、「日本演劇史の金字塔」と言われる名作です。この映画作品の主題歌に、さだまさしさんが歌う名曲「祈り」が起用されることになりました。これがいい歌なんです。

 長崎・浦上の軍需工場で被爆したさださんの叔母さん(登美子)は、「もしも日本が先に原爆を作っていたら……他の国の誰かが私と同じ目に遭っていると思う。全て戦争のせい。戦争とはそういうものだから。恐ろしいのは武器ではなく人間の心。ナイフが刀になり槍になり鉄砲になり原爆になった。もっともっと怖ろしい武器を考え出すのが人間という生き物。悪魔は武器ではなく人の心に潜んでいます」と言いました。悲しく、美しく、尊い言葉でした。 

 平和のために、私たちは何をすべきか?70余年前に原爆が投下され、炸裂した火の玉の下で約7万4千人の命が失われた長崎を故郷に持つさださんにとって、平和への希求の思いは人一倍強いものがあります。フォークデュオの「グレープ」でデビュー後、ソロシンガーとして4,480回以上のコンサートを重ね、これまで平和をテーマにした名曲も数知れません。20年続いた無料平和コンサート「夏・長崎から」では、「今自分が大切だと思う人の笑顔を守るために、自分に何ができるかを考えてみて下さい」という言葉で、コンサートを締めくくっておられたさださんです。この映画に対する彼のメッセージがこれです。

日本人として、長崎人としてこの作品を心から応援します。はじめ映画音楽の相談にお出で下さったスタッフの皆さんが偶然僕の「祈り」という歌を気に入って下さったことから、光栄にも楽曲の提供をさせていただくことになりました。この平和の祈りが世界中に届くことを強く信じます。

 終戦記念日を前に、8月13日(金)から長崎県で先行公開されました。8月20日(金)以降、全国で順次公開されます。残念ながら今のところ、中国地方での上映はないみたいです。⇒劇場の公開情報はコチラ ♥♥♥

◎「平和祈念像」の意味 右手は?左手は?

 原爆落下中心地公園北側、小高い丘にある「平和公園」(長崎県長崎市松山町)は、悲惨な戦争を二度と繰り返さないという誓いと、世界平和への願いを込めてつくられた公園です。私は長崎を訪れる度に、手を合わせて祈りを捧げています。その北端に建てられた「平和祈念像」は、北村西望(きたむらせいぼう)によって造られました。長崎市民の平和への願いを象徴する像の高さ9.7メートル、台座の高さ3.9メートル、重さ30トン、青銅製の「平和祈念像」。制作者の長崎県・南有馬村出身の彫刻家北村西望(1884~1987年)は、この像を神の愛と仏の慈悲を象徴とし、垂直に高く掲げ天を指した右手は“原爆の脅威”を、水平に伸ばした左手は“平和”を、横にした足は“原爆投下直後の長崎市の静けさ”を、軽く閉じた瞼は“原爆犠牲者の冥福を祈る”という追悼の想いを込めました。鉄骨を芯として青銅製のパーツをステンレスのボルトで縫っています。右手の人差し指には避雷針が設置されています。4年がかりで製作されたこの像は3000万円の費用をかけ(国内外からの募金)、台座の2000万円は長崎市が負担しました。毎年8月9日の原爆の日を「ながさき平和の日」と定め、この像の前で平和祈念式典がとり行なわれ、全世界に向けた平和宣言がなされます。

IMG_8832 当初、依頼した長崎市の希望は原爆記念碑の製作でしたが、北村は「平和の『記念』ではなく、平和を祈り念ずる『祈念』の碑となって初めて世界的な意味のものになる」と考え、「平和祈念像」を提案しました。平和の像はどんな形にすべきか、北村は時間をかけて構想を練りました。男性か女性か、立像か座像か、着衣か裸体か。結局は裸体の男性座像を選びました。「原爆という強烈なものに対抗するのだから、強烈な印象を与える男性像でなければならぬ。立像か座像かでは、座像の方に決めた。すわっている方が、平和な感じが出るからである」と自伝で明かしています。像のサイズは「(外国人が見ても)ぐっとこたえる偉容にせねばならず、それには大きければ大きいほどよい。奈良・鎌倉の大仏に伍すほど大きいのにする」ことにしました。裸体座像として世界一にしたい北村は、当初は40尺(12.1メートル)を目指しましたが、アトリエのサイズに合わず32尺(9.7メートル)に落ち着きました。宗教や人種を超えて平和を祈る像を目指した北村は、試行錯誤の末、目を閉じて瞑想する姿を選びました。眉間に仏像特有の白毫(びゃくごう)らしきものもありますね(奈良や鎌倉の大仏にもある仏の印)。神仏一体の境地の聖哲です。

 この像には当初から批判が少なくありませんでした。「裸体がいけない、まるで戦争人のようだ」「巨大にして醜怪極まりない」「あれが表象するものは、断じて平和ではい。むしろ戦争そのものであり、ファシズムである」 「 下品だ」といった中傷や脅迫まであったそうです。北村は戦前から多くの軍人像を手がけていて、男性の裸体像を得意とした作家で、戦後は一変して平和をテーマにして造るようになりました。造形そのものは大きく変わる訳がありませんね。平和の造形は、戦争の造形と表裏一体だったということでしょう。

 8月14日(土)には、「NHKウィズ・コロナプロジェクト みんなでエール」の一環として「今こそ音楽でエールを」をテーマに始まった番組「ライブ・エール2021」が生放送されました。コロナ禍で頑張る人々に音楽を届けるため、豪華アーティスト達が生パフォーマンスを披露しました。さだまさしさんが選んだ曲は、「いのちの理由」でした。心を込めての熱唱でした。♥♥♥

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