「星野仙一記念館」閉館!

 『産経新聞』を読んでいたら、片隅の方に小さく、倉敷市美観地区の一角にある「星野仙一記念館」が来月いっぱいで閉館する、という記事が出ていました。岡山県倉敷市出身で、中日の黄金期を支え、プロ野球監督として中日、阪神、楽天のセパ両リーグ3球団を優勝に導くなどした故・星野仙一さんの遺品を多数、所蔵する「星野仙一記念館」が11月末で閉館することになりました。生前の星野さんと親交があり、設立構想から運営まで全部手がけてきたのは延原敏朗館長(80歳)です。閉館を決断した理由は、健康面を考慮してのことでした。昨年6月に膵臓などの臓器の病気を患い、入院。無事に完治はしましたが、今年で80歳を迎え「体力的にも限界かなと思った」と説明しました。館内では約400点を展示し、約1,000点の収蔵品がありますが、これらは全て倉敷市に寄贈され、今後の活用を委ねます。「多くの星野仙一ファン、協力していただいた方に心より御礼申し上げます。閉館は悔しいですが、やりきったという気持ちは強いので後悔はしていません」と館長さん。

 延原館長は、「アイツとは兄弟づきあい。ケンカもしました。すべて相談も受けていました。アイツが亡くなる半年前『もう閉めてくれ』と言われていました」と明かしました。星野氏の家族にも了承を得て、閉館を決めたといいいます。趣味のゴルフを通じて仲を深め、〝兄弟〟のような関係だった星野さんについては「(天国の星野さんは)ようやったなと絶対に褒めてくれると思う」と感慨深げでした。コロナ禍以前は無休で14年間、記念館を運営していきた館長は「(14年間は)長かった。すべてを犠牲にしてきましたから。それでもたくさんの人とこうやって巡り会えたのはあの人のおかげです。恩返しがしたいという思いでした」と語りました。

 私も今から4年前に訪れています。鉄拳制裁で選手を震え上がらせたことでも有名ですが、なぜか選手たちに慕われています。裏方のスタッフや選手の奥さんたちにも心配りを忘れない優しさがある、とどこかの本で読んだことがあります。急ぐ旅でもないので、立ち寄ってみるかと思って、小さな路地へと入っていきました。星野さん

▲シアタールームで野球人生を振り返り

本人や遺族、球団など、多くの関係者からの寄贈品を所蔵。星野氏が小学4年の時に母・敏子さんからプレゼントされたグラブから、阪神監督、楽天監督時代に着用していたユニホーム、北京五輪で指揮を執り、指揮官として着用したユニホームまで、「闘将」と呼ばれた星野さんの野球人生全体を展示品で伝える全国唯一の施設です。倉敷市美観地区に2008年3月に開館し、当初は350点ほどでスタートしましたが、現在は約1,000点にまでなりました。これまでに延べ約50万人の人がが国内外から訪れています。星野さんが亡くなった頃には、1日約1,500人が来館したこともありましたが、近年はコロナ禍で赤字が続いていたといいます。

 星野さんは、人を惹きつける魅力に満ちあふれ、特に監督になってからは、優勝という輝かしい結果を多く残しています。星野さんは言っています。思いが強ければ強いほど、勝利に近づいていく。」「夢は見るものではない。実現させるための目標である。その為に、今何をなすべきかを冷静に考え、できる事は即座に行動する。」ここを訪れると、星野さんの熱い思いと勇気に感化されたことでした。プロ野球の一時代を築いた闘将の「原点」だった同館が、惜しまれながら幕を閉じようとしています。♥♥♥

 

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