竹内 栖鳳

 竹内 栖鳳(たけうち せいほう、1864年―1942年)は、戦前の日本画家です。横山大観(よこやまたいかん)と並んで、日本画壇の双璧と呼ばれました。近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家です。帝室技芸員。第1回文化勲章受章者。動物を描けば、その匂いまで描くと言われた絵の達人でした。

 その竹内の所に、京都大学のある学生が訪ねてきました。何やら真剣な顔つきで話します。「初めてお目にかかった者が、いきなり厚かましいお願いで恐縮ですが、先生の絵の描き損じでも下描きでも、一枚だけで結構ですから、いただけないでしょうか?父が事業の失敗から破産しまして、今まで通りの学費を出してもらえないことになりましたので……。」もらった絵を売って、学費のたしにしようと思ったのかもしれません。戦前は、大学生の数は今よりもはるかに少なく、世間からもチヤホヤされていたのでしょう。特に京都という街は学生を大切にする風潮が存在しました。この学生にも、世間に対する甘えがあったのかもしれません。学生の顔をじっと見つめていた竹内栖鳳は、「大事な学問をなさる費用のために描き損じなどを差し上げるのは、私の心がとがめます。」―「は……」―「新しく描いたものを差し上げましょう」―「ありがとうございます」―「しかし、すぐにはできません。三年ぐらい待ってください」―「エ?……三年経つと、卒業してしまいますが……」―「ならば,卒業祝いとして差し上げましょう」―「ア!そうですか。わかりました!」 学生は顔を赤らめて、すぐに退散したそうです。

 竹内栖鳳にしてみれば、描き損じの二枚や三枚をくれてやるぐらい、何でもないことでした。にもかかわらず、あえて、その小さな望みを拒絶したのです。学生の依存心、人に頼る心を戒めるためでした。その安易な甘え心を戒めたのです。甘え根性を持つようでは、人間は決して大成することはできません。栖鳳は、初めて会った学生への人間愛から、あえてこういう厳しい態度をとったのでありました。それをすぐに察知して退散した学生も、凡人ではありませんでしたね。独立心を奮い起こし、アルバイトによって学資を稼いで、法学部を卒業しました。卒業するとすぐに、栖鳳のところへ、絵をもらいに……ではなくて、お礼を言いにきたそうです。依存心を戒めてくれたことへのお礼を。そしてさらに努力して、一流の弁護士になったそうですよ。

 これ、いい話だな、と思って読みました。本物の教育とはこのようなものでありたいものです。何でもかんでも親切に教えたり与えたりするのではなく、ある時は冷たく突き放したり、あえて解答せずに自分で考えさせたり、教師の熱い思いによる無言の叱咤の方が効果的なこともあり、その子を思うが故の愛情表現はいろいろと考えられるでしょう。そんなことを考えさせられたエピソードでした。

 「先生の授業は分かりやすい」と言っていただくことも多いんですが、私の目指しているのはそんな事ではありません。私は「生徒の心に火をつける授業」を目指しているのであって、教師の仕事はそれに尽きるのではないかと思っています。「ああ、英語って面白いな」「もっと勉強してみよう!」「次は何に挑戦しようか」「絶対にこの英文を読み解いてやる!」と思ってくれる生徒を育てたいと思って、毎日苦労しています。そして英語の面白さを知った生徒の何人かが、英語教師の道を志してくれれば最高だなと思って取り組んできました(そんな先生が現在島根県で活躍しています)。手取り足取り世話を焼いて、人気取りをしたいとはこれぽっちも思いません。今私は、進学校に勤務していますが、決して大学に入れるために授業をしているのではありません。「英語の力」さえつけてやれば、大学合格は後から付いてくるのです。♥♥♥

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