「真珠湾攻撃」の真実

 よく晴れた日曜日の朝の出来事でした。1941年12月7日午前7時55分(日本時間12月8日午前3時35分)、ハワイ諸島のオアフ島の海軍基地を、日本軍の航空部隊が奇襲しました。いわゆる「真珠湾攻撃」です。今でもアメリカ人たちには「Sneak Attack」(卑劣な攻撃)として記憶されています。12月8日になると、毎年必ずといっていいほど、「卑劣な日本人」が話題になるんです。

▲日本軍機の魚雷攻撃で爆発炎上するアメリカの戦艦「アリゾナ」

  太平洋艦隊が誇る「カリフォルニア」「ウェスト・バージニア」「オクラホマ」そして「アリゾナ」といった戦艦が、日本軍機が投下した爆弾や魚雷によって、またたく間に黒煙に包まれました。犠牲者はアメリカ側の約2,400人に対し、日本側は約60人だったといいます。鮮やかな戦果でしたが、大きな問題が発生しました。「真珠湾攻撃」の狙いは、主要基地である真珠湾を攻撃することで、アメリカ人の戦意喪失を誘い、短期決戦に持ちこむことでした。しかし、それは全く逆の結果になってしまったのです。

 そもそも日本の開戦通告は、攻撃の30分前にアメリカ側に届くはずでした。しかし、駐米大使館が本国から受け取った暗号文の解読に時間がかかってしまい、実際にアメリカ側に渡ったのは攻撃の40分後になっってしまいました。真珠湾攻撃は「卑怯なだまし討ち」となり、ルーズベルト大統領率いるアメリカ政府は、「Remember Pearl Harbor(リメンバー・パールハーバー 真珠湾を忘れるな)」のスローガンを掲げて、アメリカの世論は、一気に開戦へと傾いていったのです。「日本は奇襲攻撃をしてから、のうのうと断行通知を持ってきた。これほど卑劣で狡猾で悪辣なギャングは見たことがない」ということを印象づけたのでした。

 この時、断行通知が遅れたことについては、戦後長い間、「大使館員の不慣れなタイプのために予定が遅れたのだ」とされてきました。当時の関係者が、東京裁判でそのように証言したからでありましたが、事実は全く違いました。今にも開戦となろうかという緊迫した状況下において、日本大使館の連中は一人残さず、夜になったら引き上げてしまっていました。同僚の送別会が行われることになっていたのでした。翌朝大使館に出勤してみると、重大文書が届いていました。内容を解読してみると、まさに断交の通告です。大使館員が震え上がったのは言うまでもありません。その緊張のせいか、あるいは前夜当直も置かずに送別会をやったという罪の意識からか、電文をタイプで清書しようと思っても間違いの連続でいっこうにはかどりません。そこで彼らのやったことは、最悪の判断でした。電話して「午後1時の約束を,もう1時間延ばしていただけないか」と頼んだのでした。外務省は「午後1時に渡せ」と言っているのに、独断で1時間も遅らせてしまったのでした。「外交文書はタイプで清書しなければならない」という国際法などどこにもありません。タイプが間に合わなければ、手書きの文書を持っていって、とにかく指定された午後1時に「これは断交の通知です」と口頭で渡すべきだったのです。きれいな書面が必要なら、後ほど持ってきます、とでも言えば良かったのです。いやしくもワシントン大使館にいるような外交官といえば、エリート中のエリートです。その連中がこのていたらくだったとは!そして大使館員の間では、「あの晩のことは、一生涯誰も口にしない」という暗黙の掟が出来上がったようです。誰にも真相を話しませんでした。彼らは帰国してからも、みな偉くなりました。戦後外務次官になった人もいるし、国連大使になった人もいれば、勲一等を天皇陛下からいただいた人もいます。

 長い間隠されてきたここら辺の秘密を、尊敬する故・渡部昇一先生(上智大学名誉教授)は、今から30年も前に『ニューヨーク・タイムズ』に投稿しておられます。記事の題名は「A COSTLT FAREWELL PARTY(高くついた送別会)」でした。私は当時松江南高校の生徒達に、この記事のコピーを学級通信「あむーる」で配布をしています(写真上)。

 渡部先生は、当時の大使館にいた人々の名誉を、外務省は公式に褫奪すべきだと主張しておられます。外務省に関係する人々、現職の外務大臣に会うたびに、名誉褫奪のことを力説してこられましたが、外務省にとっては「国益」よりも「省益」のほうがずっと大事なのが分かってきた、と書いておられます。「日本の外交官というのは、みんな親戚なんです。昔から、外交官になるような人は外国語ができなければなりません。そうなると、本当に外国語がうまいのは外国で育った子どもです。ところが、今日ならいざ知らず、ちょっと前までは外国で生まれ育つというのは、外交官の子ども以外にはあまりいない。それで結局、外交官の息子は外交官になり、外交官の娘は外交官に嫁ぐということになりました。だから今や、外務省というのは親戚の寄り合いのようなものなのですよ」という関係者の証言を紹介しておられます。親戚の名誉を褫奪するわけがありませんから、永遠に無理な話ということになります。そしてこの事実は、未だに知らない人が多いという状況が続いています。♥♥♥

【追記】 Pearl Harbor「真珠湾」と訳すこと自体にも、いろいろと議論のあるところです。最近、『産経新聞』(12月8日付け「産経抄」)が話題に取り上げていましたね。harborには「港」という意味しかありませんから。この問題も調べてみると面白いと思いますよ。

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