「遙かなるクリスマス」

    遙かなるクリスマス          (作詩・作曲:さだまさし)
    
メリークリスマス 
二人のためのワインと それから君への贈り物を抱えて駅を出る
メリークリスマス 
外は雪模様気づけば ふと見知らぬ誰かが僕にそっと声をかけてくる
メリークリスマス 
振り向けば小さな箱を差し出す 助け合いの子供達に僕はポケットを探る
メリークリスマス 
携帯電話で君の弾む声に もうすぐ帰るよと告げた時のこと
メリークリスマス 
ふいに誰かの悲鳴が聞こえた 正面のスクリーン激しい爆撃を繰り返すニュース
メリークリスマス 
僕には何も関係ないことだと 言い聞かせながら無言でひたすらに歩いた

メリークリスマス 
僕達のための平和と 世の中の平和とが少しずつずれ始めている
メリークリスマス 
誰もが正義を口にするけど 二束三文の正義 十把一絡げの幸せ つまり嘘
メリークリスマス 
僕はぬくぬくと君への 愛だけで本当は十分なんだけど
メリークリスマス 
本当は気づいている今この時も 誰かがどこかで静かに命を奪われている
メリークリスマス 
独裁者が倒されたというのに 民衆が傷つけ合う平和とは一体なんだろう
メリークリスマス 
人々はもう気づいている 裸の王様に大人達は本当が言えない

メリークリスマス 
いつの間にか大人達と子供達は 平和な戦場で殺し合うようになってしまった
メリークリスマス 
尤も僕らはやがて自分の子供を 戦場に送る契約をしたのだから同じこと
メリークリスマス 
子供の瞳は大人の胸の底を 探りながらじわりじわりと壊れてゆく
メリークリスマス 
本当に君を愛している 永遠に君が幸せであれと叫ぶ
メリークリスマス 
その隣で自分の幸せばかりを 求め続けている卑劣な僕がいる
メリークリスマス 
世界中を幸せにと願う君と いえいっそ世界中が不幸ならと願う僕がいる

メリークリスマス 
僕は胸に抱えた小さな 君への贈り物について深く深く考えている
メリークリスマス 
僕は君の子供を戦場に送るために この贈り物を抱えているのだろうか
メリークリスマス 
本当に君を愛している 永遠に君が幸せであれと叫ぶ
メリークリスマス 
本当に本当に君を愛している 永遠に永遠に君が幸せであれと叫ぶ

メリークリスマス 
凍りつく涙を拭いながら
メリー メリークリスマス 
生きてくれ生きてくれ生きてくれと叫ぶ
メリークリスマス 
雪の中で雪の中で雪の中で
メリークリスマス 
白い白い白い白い雪の中で

メリークリスマス メリークリスマス…

 クリスマスシーズンです。さだまさしさんの「遙かなるクリスマス」この歌は、発表年は2004年、ソロアルバム30作目の『恋文』(こいぶみ)の中に収められた一曲です。2004年の「第55回NHK紅白歌合戦」でも歌われました。もう今から17年前、9.11の後の理由なきイラク侵攻を、アメリカを中心とした連合国が行っていた時期に発表された曲ですね。それから十数年の年月を経て、過ぎた年月により変化した社会情勢によって歌われる言葉の鋭さは磨かれ、歌の価値が劣化するどころか、むしろより一層胸に突き刺さる鋭さを磨いてきているような気がします。一度聴いてみると分かるのですが、この歌で歌われているフレーズは、それこそ今、世界が様々な価値観が衝突する最中で混沌を極めている、2021年現在の姿を歌っているかのような錯覚さえ抱きます。さださんの詩独特の「フック」です。

●僕達のための平和と  世の中の平和とが少しずつずれ始めている

●独裁者が倒れたというのに  民衆が傷つけ合う平和とはいったいなんだろう

●いつの間にか大人達と子供達とは 平和な戦場で殺し合うようになってしまった

●世界中を幸せにと願う君と いえいっそ世界中が不幸ならと願う僕がいる

●僕は君の子供を戦場へ送るために この贈り物を抱えているのだろうか

 しかしこの歌は紛れもなく、2004年に作られた歌です。いかに聡明なさださんといえども、今の社会の情景を詳細に把握したうえでこの作品を作ったわけではなく、その当時に感じていた違和感や憤りというものを歌に昇華した結果、時代が不幸にも追いついてきてしまった、というのが実態なのでしょう。そして、もちろん、作り手としては、そのような時代が訪れることは希望してはいませんでした。さださんは「僕は時流の反対にカードを張りつづける」ということを、昔のコンサート・トークでよく語っていました。Aというものが流行しているのであれば、その全く反対の価値観であるB、もしくは無関係なCというものを、あえて主張してみるのだ、と。フェミニズム的な価値観が広く普及し始めてきた1980年代に向けて、「関白宣言」という、その当時古めかしい価値観になりかけていた男尊女卑的な歌を歌い上げたのも、そういった「時流に逆らう」という気概から生まれたものでした。「ニューファミリー」「核家族」といった言葉が飛び交い、親と同居しない暮らし方がどんどん広がる中、本当に家族はそれでいいの?と、故郷を離れて一人暮らしが長かったさださんは意地になったように「家族の歌」ばかり発表し続けました。世間からは「昔へ揺り戻すような価値観はけしからん!!」とずいぶん叩かれました。しかし近年、老人の孤独死が報じられる中、さださんの予言通りに世の中は動いてきたのです。数年前に映画化されて大きな話題になった名曲「風に立つライオン」も、日本がバブル景気で浮かれまくっていた時期に作られた曲で、

●やはり僕達の国は  残念だけれど  何か大切なところで  道を間違えたようですね

 というフレーズ(フック)は、当時の浮かれた世相に最大限反抗する気概の表れで、多くの人がその当時には共感するのが難しい価値観だったと思います。でも、結果はさださんの予言した通りになってしまいましたね。

 クリスマスと絡めた反戦ソングは数多くありますが、この曲はある意味、意外な展開です。「戦争反対」という掛け声で政権中枢や体制を批判しているのではないからです。今この瞬間にも戦争で死んでゆく人たちがたくさんいるというのに、何がメリークリスマスだ、平和ボケ日本人!!ここで繰り広げられているのは、他者批判ではなく、むしろ、正直で純粋な自己批判です。自分の卑劣さ、小市民ぶり、次世代への責任意識の希薄さ、世界中で奪われる命に対しての積極的無関心、クズ以外の何物でもない自分に向き合いながら、自責の念に駆られ、葛藤しながら、世界の平和を希求しているのです。自分安全地帯にも、正義の味方にも置くことなく、むしろ、潜在的な戦争の加担者、協力者たる自らに気が付き、それを認めて、悔いながらも、次世代の幸福と平和を願っていくその真実さこそ、それぞれの政治的見解を超えて共感を呼ぶのだと思います。グサリと心刺されるフレーズが満載です。心がえぐられるような歌詞の連続です。この歌は、平和のために誰かに対して怒る歌ではありません。むしろ、歌の主人公と共に、自らの心を痛めて、平和を願う歌です。プロテストの対象は、為政者や体制や世界ではないのです。この歌がプロテストしているのは、戦争の潜在的加担者、協力者となりかねない自らだからです。その意味で、この歌は「セルフ・プロテストソング」と言えるでしょう。

 <私たちの幸せ><戦場>との断絶が描かれています。この断絶ゆえに「いっそ世界中が不幸なら」と祈ります。<僕たちの平和><世界の平和>との間で引き裂かれていく葛藤、不幸な子どもたちや死んでゆく人々のニュースを前にしながら、愛する君に電話する「僕」の苦しみが消え去ることになります。子どもを戦場に送ることになるかもしれない可能性が、「僕」の幸せに影を落とします。目の前にある引き裂かれたものを放置することにより、君の子どもをいつの日か戦場へ送ることになってしまうかもしれないという不安です。「メリークリスマス、僕は君の子どもを戦場へ送るために、この贈りものを抱えているのだろうか」と。

 メロディー部分は多少なりとも単調に過ぎたり、歌詞があまりにも硬派過ぎるので、さださんは間奏にアヴェ・マリアをモチーフにしたメロディーを挟むことにより、曲全体に俯瞰性を与えることに成功しています。目の前の断絶、漠然とした未来への不安、その中でクリスマスの白い雪の中に立ち尽くす「僕」。歌われるその情景があざやかに浮かんできます。さださんは自分の楽曲を「作詞」ではなく「作詩」としているのは、こういうところからなんでしょうね。さださんが書く詩の中には、必ず上に紹介したような「フック」を忍ばせているところも魅力の一つで、さださんの歌を聞く楽しみの一つになっています。最近、授業で「利己vs利他」のテーマを扱った英語長文問題を読んだ際に、生徒と一緒にこの歌を鑑賞しました。生徒は「ビリビリきた」と感想を述べました。

 この痛切なラブソングを、作者自身が直筆歌詞で綴る感動のフォト・ストーリーが、さだまさし『遙かなるクリスマス』(講談社文庫、2007年)です。愛する人への思いと、平和への願いを歌った感動のラブソング「遙かなるクリスマス」の歌詞を作者が直筆で綴りながら、美しいフォト・ストーリーとして展開しています。「あなたの大切な人の笑顔を守るために、あなたは何をしますか?」と、さださんは問いかけてきます。熱い思いを込めたメッセージを、聖(きよ)しこの夜、愛しい人と噛みしめたいものです。歌だけでなく、本も素敵ですよ。オススメしておきますね。

 世の中が大変になると、なぜか「さださんの歌が聴きたい」という風潮が強まります(「普段から聴けよ!」と突っ込むさださん)。昨年の紅白でも歌われた「奇跡」もそんな一例です(1991年雲仙・普賢岳の大火砕流発生時に書かれた曲)。さださんがこの理由を、『毎日新聞』紙上(12月19日付け)の「池上彰のこれ聞いていいですか?」で分析しておられました。

なぜ世の中が大変になると僕の歌を聴いてくれるのかを考えました。僕は常に、命に対する不安、社会に対する不安、人生に対する不安を、歌詞に入れ込み、体温として伝わるように努力してきました。歌詞の端々に潜んでいる体温の部分に皆さんが反応してくださるのかもしれません。

 今日の「遙かなるクリスマス」も、自分に対する不安といった視点で聴いてみてください。♥♥♥

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