朝令暮改?

◎あっぱれ、岸田首相!

 文部科学省は昨年12月24日、国公私立大の個別入試における新型コロナウイルス感染症対策のガイドラインを改定し、オミクロン株感染者の濃厚接触者は症状の有無にかかわらず受験を認めず追試験を受けてもらうとの方針を、各大学に通知していました。オミクロン株感染者の濃厚接触者に14日間の宿泊施設での待機を要請することに対応した措置でした。文科省は各大学に対し、コロナの影響で受験できなかった受験生のために追試や日程の振り替えなどを求めており、「引き続き配慮を検討してほしい」としている。オミクロン株以外のコロナ感染者の濃厚接触者はこれまでと同じく、①PCR検査で陰性 ②受験当日も無症状 ③公共の交通機関を利用せずに試験場に行く ④別室で受験―を全て満たせば受験を認める、とのことでした。

 岸田文雄首相は、これに異を唱えて12月27日午前、新型コロナウイルスのオミクロン株感染者の濃厚接触者が大学入試を受験できるよう文部科学省に検討を指示したことについて、「受験生の間に広がっている不安を重く受け止め、一両日中に方策を示すように検討」を求めました。これを受けて、末松信介文部科学相は、上記のガイドラインを見直し、別室での受験を認めると明らかにしました。

 急転直下、受験が認められるようになったことで、野党は「朝礼暮改」(=「朝礼」は朝に出した命令で、「暮改」は夜に変更するというということ。語源は「漢書」という歴史書にある、文帝への家臣からの意見書から。その内容は農民が日々の労働に苦しんでいる様子に加え上からの命令が一定せず振り回される様子を訴えたもの)だといって批判しています。私はこのような「朝礼暮改」だったらどんどんやるべきだとの考えを持っています。間違いは改めるのに早いに超したことはありません。明らかに非があるときには、どんなにそれが自分のメンツや沽券にかかわろうと、間違いを認める勇気をもたねばなりません。この点、岸田さんは偉かったと私は思っています。ただ、文部科学省でどうしてこのような過ちが、首相も知らないところで、外部へ発せられてしまったのか、内部でチェック機構がなぜ働かなかったのかは厳しく内部点検する必要はあるでしょう。昨年の現場でのお笑い事件が思い出されますからね(⇒コチラにご紹介しました)。

 1月7日、大学入学共通テストなど入試での新型コロナウィルス対策をめぐり、濃厚接触者と認定された無症状の受験生が移動手段としてタクシーやハイヤーを使うことを認める方針を明らかにしました。これまでは、公共交通機関を利用せず、保護者らが運転する自家用車やレンタカーを使うこととしていましたが、方針転換しました。さらに1月11日、共通テストを受けられなくなった受験生について、個別試験のみで合否判定を可能にするよう全国の国公私立大学に要請をしました。個別試験も受験できなければ、追試験で4月以降の入学も認める柔軟な対応も求めています。それすら受けられない受験生向けに、面接や書類選考が中心の「総合型選抜」を新たに設けるべきだとして、その際は、合否判定や入学手続きが遅れても入学を認めるようにするとのことです。受験生にとっては有り難い救済措置ですが、当事者の大学側は大混乱でしょうね。たまったもんじゃない、というのが正直なところでしょう。直前になってこういうことを言い出されては、対応に苦慮するのは当然でしょう。そもそも個別試験だけで、共通テストを受けた他の受験生との整合性はどう取るのか、聞いてみたいところです。救済措置のはずが、受験生の間で不公平感も生まれかねません。今日の報道では、島根県立大学清原学長は今のところ「大学として特別な措置はとらない」と断言しました。救済措置をとらないことについて、「不公平にならない。混乱を招かない考え方だと思っている」と説明しました。大学関係者は困惑しています。

急な依頼で困惑している。要請に基づいて配慮できるようにしたいが、どこまで実現できるかは不透明だ。同じ基準で合否判定できない以上、公平性をどう確保するのか悩ましい。(神戸大入試担当者)

受験機会や公平性の確保が論点になるが、どこまで対応できるか見通せず難しい判断になる。(近畿大入試担当者)

手探りで走っているさなかに、難しい問題が降ってきた。受験機会の確保と公平性をどう整合させればいいのか、すぐに答えは出せない。(大阪公立大入試担当者)

 

 私が尊敬する経営者故・高原慶一朗(たかはらけいいちろう)さんが、資本金わずか300万円で起業した会社ユニ・チャームの経営哲学の一つが、「朝令暮改は善である」です。これはもちろんいい加減を善しとせよという意味ではありません。現代は消費者ニーズの変化、マーケットの変化にはめまぐるしいものがあります。その変化に即座に、かつフレキシブルに対応するには、場合によっては朝に決定した方針を夕には改めるくらいのスピードがなくてはいけないということです。

 人間である以上、誰でも必ず間違いはしでかします。ここで思い出されるのは、尊敬する松下幸之助さんの「朝礼暮改、勇気をもって大いにやるべし」という言葉です。朝いったん決めたものを、その日が終わらぬうちに変えてしまうなどはもってのほかだ、という古来からの常識的発想に、松下さんは真っ向から異を唱えたのです。千変万化の現在の情勢の下では、それに応じて方針も時々刻々変えていかねばなりません。たとえ朝に下した決断でも、それが間違ったもの、時機を逸したものだっったと気づいたなら、即刻自分の非を認めて夕方には改めるべきだ、ただし、そのことに関わる責任もまた、すべて自分で引き受けなければならない、と松下さんは主張しているのです。松下さんは、さらに「朝礼昼改」もっと進んで「朝礼朝改」もやるべきだ、と公言しておられましたね。♥♥♥

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