小さな仕事こそ

 今日は、故・池田満寿夫(いけだますお)さんの話から始めます。池田さんは版画家、画家、彫刻家、陶芸家、芥川賞作家、エッセイスト、映画監督と、多岐にわたる分野で輝かしい足跡を残しましたが、高い知名度に比べその芸術活動について、生前から正当な評価を受けていたとは言いがたいところがあります。また、版画、油彩についての本格的な評論は生前も死後もほとんどありません。小説についても同様です。むしろ、『エーゲ海に捧ぐ』「芥川賞」を受賞後、文壇から激しい批判を受けました。「たかが画家が芥川賞を取ったのはけしからん」と受け取れるような、悪意ある批判も多く見られました。テレビのクイズ番組などへの出演を始め、マルチタレントとしての活躍ぶりに対しても、美術界から声にならない反発があったと見られます。当時、芸術家はアトリエにこもって制作していればいいとの感覚があったからでしょう。

 池田さんは東京芸術大学の入学試験には2年連続で落ちておられます。画家の登竜門である団体展には出品しても入選することはありませんでした。むろん職はなく、画家としても八方塞がりの状態でした。版画家として名を成し、芥川賞を取って作家ともなり、映画までも手がけるマルチ才能の池田さんにも、このようなつまづきの時代がありました。自分の不遇な下積みの時期を振り返って、次のように書いておられます。

何か自分が大きなことを考えている時に、一見つまらなそうな仕事を頼まれたりすると、がっかりしたり小馬鹿にしたり、手を抜いたりする。“なんだ、こんなもの”と軽く考える。それでもう駄目になってしまう。ところが、どんな仕事でも一生懸命やれば、どこかで誰かが見てる。……雑誌の片隅に書いた小さな原稿を読んで、“すごくいい”といって原稿を頼みに来る人もいるだろうし、小さなカットひとつにしても、才能を読み取る人が出てくるかも知れない。……だから、どんな小さな仕事でも全力を傾けろ、ということなんです。……自分の仕事を選ぶ権利は当然ありますが、それは成功してからの話です。  ―池田満寿夫『捨てる神あれば、拾う神あり』

 ダメだ、ダメだ、と嘆いてばかりいて何もしない、こうなりたい、ああもなりたい、夢だけは人一倍ふくらませるが、それに向けて何ら行動を起こさない。現実から逃げる。何もしないでいて、今の自分を嘆くのは、はなはだしい甘えであり、あまりにも虫が良すぎます。どんな小さな仕事でも全力を傾けろ!自分の仕事を選ぶ権利は当然ありますが、それは成功してからの話です。こんなことを池田さんは教えてくれます。

 その一つ一つは決して大事ではない、けれどもそれらを総合したところにその人間の『生き方』が顕われるのだ、とるに足らぬとみえる日常瑣末なことが、実はもっとも大切なのだ。 ―山本周五郎

 窮乏した農村の復興に辣腕を振るった二宮尊徳(にのみやそんとく)は、「積小為大」(せきしょういだい)を唱えました。読んで字のごとく、「小を積んで大を為す」ということで、「10万石の収穫も、農民が日々、汗水流して作った一粒一粒の米から成っている。だから日常の生産活動を決して疎かにしてはいけない」尊徳は強調したのです。やはり「コツコツ」の精神が大切です。

 イチロー選手の大記録も、たった1本の安打をコツコツと積み重ねることで達成されたものです。てっとり早く大きな成功を勝ち取ることばかり考えてしまいがちですが、夢を叶えるのには、コツコツと地道な努力を積みあげることによってのみ成し遂げられるものです。イチロー選手自身はこう言っています。

 結局は、細かいことを積み重ねることでしか頂上にはいけない。それ以外に方法はないということですね。

 僕を天才という人がいますが、僕自身はそうは思いません。毎日血の滲むような練習を繰り返してきたから、いまの僕があると思っています。僕は天才ではありません。

 私は根っからの巨人ファンなんですが、その巨人に対して目の色を変えて立ち向かっていった闘将星野仙一(ほしのせんいち)さんも大好きでした(大好きだった倉敷「星野仙一記念館」は残念ながら昨年閉館してしまいましたね)。 星野さんは倉敷商業ではエースでしたが、甲子園の土を踏んだことは一度もなく、全国的には全く無名の存在でした。明治大学野球部に入部したときの部員は総数138人、一年生だけでも50人という大所帯。ピッチャーの候補だけでも何十人もいました。その星野さんはたちまちにしてベンチ入りして、やがて明治大学のエースにまでのし上がっていきます。新入りの一年生はまともな練習などはさせてもらえません。外野で球拾いに走らされるばかりで、まことにつまらない、おもしくもない下積み仕事です。一年生50人の中でmおそらく20人ぐらいが投手志望だったのでしょうが、その中から星野さんが真っ先にバッティング投手に抜擢されます。ピッチングのテストをしてそれに合格したわけでもないのにです。これは、あるコーチが「一心不乱に球を拾う姿にピンとくるものがあった」からだそうです。バッティング投手をやらせてみると、これがまた上々。これが島岡御大の目に留まってたちまちにしてベンチ入りとなりました。このことからも分かるように、実は「つまらない球拾いにも全力をつくした」星野さんの姿が福運を引き寄せたのです。球拾いを「つまらない」と思うマイナスの気持ちが少しでもあったら、動きは鈍くなります。顔もイヤイヤで生き生きすることもないでしょう。当然、コーチの目にも留まることもなく、その他おおぜいの一部員として終わってしまったに違いありません。

▲閉館した「星野仙一記念館」の玄関にて

 似たような話は、巨人軍の誇る世界の「ホームラン王」王貞治(おうさだはる)選手に関しても聞いたことがあります。巨人軍に入団した一年目、王選手のバッティングの成績はそれほどめざましいものではありませんでした。にもかかわらず、球団から翌年給料を大幅に上げてもらいました。一体なぜでしょう?一年生の彼は、ボール係を命じられていました。練習の後、ゲームの後、使ったボールを拾って集め、数を確かめ、管理するという、下積みの地味でやっかいで面白くもない仕事です。この仕事を彼は、類がないほど真面目に正確にやってのけたといいます。ボール係という「一所」に懸命になったのです。そこをちゃんと見て「これは見込みのある男だ」と増俸してやったフロントもまた偉かったと言わねばなりません。王選手は打つことだけに一所懸命だったのではなく、恐らく私生活も含めて、生活の全てにおいて懸命になる人であったに違いありません。そういった人間的な土台の上にこそ、本職の技術面での偉大な花は咲いたのです。♥♥♥

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