「驛舎」を鑑賞

▲「驛舎」レコードジャケット さださんも若い!

 私の大好きなシンガーソングライターさだまさしさんの歌に、「驛舎」(えき)(1981年)という名曲があります。私は疲れた時には、いつもお風呂の中で流して聞いています。都会で疲れ果てて故郷に戻ってきた女性を、驛舎に迎えに来たかつての恋人であったであろう男性の、大げさに励ますでもない、さりとて過去を責めている訳でもない、ただ都会から持ち帰った『重い荷物』を手にとってあげているだけ、それだけで伝わる優しさ。優しさが溢れ出る詩の世界、さださんの真骨頂がたっぷりと楽しめる曲ですね。情景が浮かび心に沁みる詩の世界(さださんはこれまで一貫して「作詞」ではなく「作詩」としてきましたね)、それがさださんの魅力です。この曲の美しい旋律のイントロが流れてくると、故郷の駅に降り立った雰囲気が漂います。これは編曲者の故・服部克久(はっとりかつひさ)先生独特のメロディーです。      

       驛舎(えき)       作詩・作曲 さだまさし

君の手荷物は 小さな包みがふたつ 少し猫背に 列車のタラップを 降りて来る 驚いた顔で 僕を見つめてる君は 夕べ一晩 泣き続けていた そんな目をしてる 故郷訛りの アナウンスが今 ホームを包み込んで 都会でのことは 誰も知らないよ 話す事もいらない 驛舎に降り立てば それですべてを 忘れられたらいいね

▲「長崎駅」1番ホームをイメージして作った

 さださんはこの曲を、作曲家・故・服部克久先生の命で、箱根の山荘にこもり一晩で書き上げ、翌日レコーディングするという離れ業を演じました。故郷・長崎駅の一番線ホームをイメージして作った歌です。お父様の故・服部良一(はっとりりょういち)先生曰く「音楽作品というものは、その音楽家が自分の命を削って作り出す音楽の神様に捧げる供物のことをいうんだ」と。命がけで書け!という教えです。出来上がったこの楽曲を、音楽評論家の故・こすぎじゅんいち氏は、長崎駅のホームをこの歌を聴きながらゆっくり歩いたら、改札口にたどり着いた時にこの歌が終わった。「計算して書いたの?」さださんに尋ねます。当時は、書く方も聞く方も、命がけだったんですね。

 私はこの曲を聴く度に、さだまさしさん自身の激動の人生と重ね合わせてしまいます。中学生になるとすぐにさださんは、東京の有名な先生から呼ばれて、バイオリン修行のために単身上京することになりました。小学校時代の仲間たちが、長崎駅まで見送りに来てくれました。急行「雲仙」号がホームを滑り出すと、一生懸命手を振りながら、皆一緒に走り出しました。泣きながら手を振ってくれた子もいます。中学生になり、さださんは音楽高校の受験に失敗し、私立高校に通い始め、どんどんドロップアウトしていきます。とうとうバイオリンを棄てるハメに。バイオリンから棄てられたのです。國學院大學の法学部に入ったものの、わずか一年半で退学します。夜7時から12時まで、料理屋で皿洗いのアルバイトをやりました。そのうちに、料理を教えられて、夜6時から深夜2時まで働くようになって、お客さんはさださんを板前だと信じるようになっていました。毎日お客さんの相手で5合ほどお酒を飲み、よく働きました。間もなく朝8時から夕方5時までペンキ屋さんでも働きます。過労とお酒のせいで急性肝炎で身体を壊し、故郷行きの汽車に身を預けます。乗り慣れたあの夜行列車です。ふっと長崎を鳴り物入りで出発した自分の姿を思い出しました。口惜しくて、涙も出ないくらい辛い思いです。自分との勝負に負けたのです。負け犬の自分は、故郷に恥ずかしくて、何度途中で降りようと思ったことかしれません。しかしその勇気さえもありませんでした。将来も何も見通せない中で、少しまどろむと、懐かしい風景が飛び込んできました。故郷・長崎駅です。迎えはありませんでした。そんなことを重ね合わせながら、この曲を何度も何度も聴いています。♥♥♥

 
カテゴリー: 私の好きな芸能人 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中