「人生は愛と友情と裏切りで成り立っている」

▲「西村京太郎記念館」に飾られた先生のサイン色紙

▲先生書きたてホヤホヤの色紙

 先日、91歳でお亡くなりになった西村京太郎先生は(⇒100%「西村鉄」である私の追悼文はコチラです)、色紙にサインをされるときには、必ず「人生は愛と友情と裏切りで成り立っている」「愛と友情と裏切りと これが人生だ」という言葉を添えて書かれました。「西村京太郎記念館」でも販売されていましたね。ご覧のように、西村先生は非常に達筆なんです。「「愛と友情」ならわかるのですが、そこに「裏切り」とある のは、トラウマのようなものがあるのか、それが作家としてのエネルギー 源になっているのではないかと。そのあたりはどうなの でしょう か?」という質問に答えて、西村先生「ミステリー だ からね(笑)」と答えられました。確かに、「人生は愛と友情である」と書い ても、ごくありきたりであまりインパクトはありません。西村先生のご 経験 から、作品を書くときに「裏切り」を入れるということでしょうか、という質問に対して、先生は次のようにお答えになりました。

  自分の経験からです。親友が「矢島(本名)くんだけが 頼りだから」と言ってきたんですよね。そしたらそいつは全員に同じ手紙 を出していた。あれでがっくりきちゃって、親友でもこんな ものかと。でも一人にだけ出したからって助けてくれないかもしれないから、僕だってやったかもしれ ない。そんなことがあって「裏切りで」と書きましたけれどもね。  ―日垣 隆『日本一有名な作家直撃・西村京太郎さん公開インタビュー』(2016年6月改訂版、Kindle版)

▲達筆の色紙を書く西村先生ご夫妻

 このお話をもうちょっと詳しく補足しておきましょう。人の良い西村先生がいろいろと騙された経験のお話は、重田 玲さんが西村先生にインタビューした『人生は愛と友情と、そして裏切りとでできている』(SUN POST、2015年)に数多く出てきます(写真下)。バブルの頃に、京都の東山に1億5000万円で買った家が、池の上に建っていた!(今でも持っておられます)、先生の作品を映画化したいと近寄ってきたプロデューサーを名乗る人物が、突然「あの原作はもともと私が書いたんだ」と言い出したとか、有名女優の名前を出して「よく知っているから」とか、プロデューサーの経験があるからとか、お金が絡むと、いろいろな人が先生の下に寄ってきました。これが人生というものです。

 「若いときの友達がいてね、役所時代の友だちなんだけど、彼は途中で役所を辞めちゃったんです。そして、彼から電話がきて、『友だちがいなくなっった』と。『親友は君だけだからなんとか助けてくれ』っていわれてね、お金を送ったりしていたんですよ。そしたら彼は誰にも『西村京太郎の親友だから』といっていたらしくて……」
「お金持ちの作家さんが友だちだから、お金の都合はつくといったような…」
「まぁ、よくある話と思ったけどね」
「そういうときに相手を恨んだとかは?」
「あんまり起きないね」
「なんだか、達観されているような感じがします」
「もともと、楽観主義だから(笑)」  (pp.112-113)

 かくいう私自身も、今までにずいぶん騙されたことがあります。J・スタインベックの短編小説「真珠」を苦労して訳した原稿を持ち逃げされたとか、母がお世話になった人から泣きつかれてお金を送ったら、そのまま返してもらえなかったとか、ここ数年では、教育関係者に私の自費出版の「英語センター本」を大量に送ったところ、いくら請求してもそのまま代金を払ってもらえなかったり、私のセンター本のデータが欲しいと言われるので、送ってあげたら自分名義で印刷して生徒に配布した先生やら、こんなことが何度もあったりしました。「人生は愛と友情と裏切りでできている」 まさにその通りだと感じます。

 上記のインタビュー本の帯に、日本一売れている作家の独白「騙されても裏切られても笑って許す。だけど忘れられないこともとありますね。これは、何を隠そう、松本清張さんのことです。私が、松本さんの小説や2時間ドラマを好きになれないでいるのは、このいきさつを西村先生から伺ったことも影響しているんです。私はこれを知って、「松本清張」の人柄に、疑問符をつけずにはいられませんでした。文壇の権力をかさにきた横暴ではないかと。

「楽観主義というだけでしょうか?でも、それがなにかを長く続けるコツかも
しれないですね。人間って、人を憎んだりしたくなるじゃないですか。仕事を
していてもそう。人間が関わる限り、憎んだり恨んだりという感情は生まれる
ように思います。でもそれにとらわれすぎると、なにか物事を長く続けていく
ことって、難しいのかもしれないなと思いました。許す心も必要、というか」
「でも、恨んだこともありますよ」
「え、どんな出来事でしょうか?」
「一度だけ。松本清張さんに邪魔されてね」
「松本清張さんといいうことは、あの山村さんが受賞を逃した話も含めてでし
ょうか?」
「いや、あれは清張さんと山村さんとの話なんだけどね。要するに清張さんは
山村さんに好意を持っていたと思うんです。そこに僕が入ってきちゃったから、
嫉妬があったんじゃないかと思います。山村さんには『あんな若造で将来性が
ないヤツとは付き合うな』とか、いっていたらしくて」
「なるほど」
「そのころ清張さんは文壇ですごく力があったんです。それで、僕が新しい本
を書いても出なかったことがあるんです」
「本が出ない?」
「光文社の本だったんですけど、突然編集部から連絡がきて、『これから清張
さんの家に行って謝ってきてください』というわけです。
「それはなぜですか?」
「僕もそう思って、『どうしてすか?』と尋ねたんですね。でも、編集部から
は『とにかく行ってくれればいいんです。清張さんに申し訳なかった、すみま
せんでしたと謝ってください』って」
「いきなりそんな…」
「でも、『謝らないとあなたの本が出ない』といわれて」
「え?話の脈絡がまったくわかりませんが…」
「でしょうね(笑)。僕もよくわかりませんでした。当時、清張さんは杉並区
の浜田山のあたりに住んでいたのですが、結局、僕はそこまで謝罪に行きまし
た」
「そもそも謝る理由ってなんだったんですか?」
「松本清張さんが、あいつの本を出すなって」
「え、西村先生の本をですか?」
「おそらく、山村さんのことで気に入らなかったんだと思います。清張さんが
京都に行くときには、山村さんに着物を着てくるようにいっていて、着物姿の
山村さんに京都を案内させていたらしいんですね。そこに僕が入っていったも
のだから…。それで編集部が僕に向かって、とにかく『すみません』と謝れば本
が出せるからと」
「ちょっと理不尽な話の流れのような気がしますが…」
「出版社からすれば『本は出したいんだけど、清張さんが出すなといっている
から、申し訳ないけど意味はわからなくても謝ってください。そうしたら本は
出せるので、とにかく謝ってください』というので」
「清張さんはまさに文壇における権力者だったんですね」
「しょうがないからメロン買って謝りに行ったんですけど、会ってくれないん
ですよ。追い返されちゃってね」
「それは…。で、結局その作品はどうされたんですか?」
「出ましたよ。そのとき山村さんに、今松本清張さんとこんなことになってる、
というような話をしたんです。そしたら『私がいってあげる』って。そうして
出たんです」
「その本のタイトルはなんですか?」
「ヨットの話で、『赤い帆船』です。あとがきに、『この本は、松本清張さん
のご厚意で…』という一文が入っているんですよ。清張さんが、こう書けば出し
てもいいとおっしゃったらしくて…。別に、厚意もなんにもないんですが…
(笑)。要は、清張さんが昔ヨットを題材にした、ちょっと似たような本を出
していらっしゃった。だから、あとがきにそう書けば出してもいいといったみ
たいです」

 このどろどろとした事件の全貌は、西村先生が、ミステリーの女王・山村美紗さんの在りし日の姿を描いて捧げた自伝的小説『女流作家』(朝日新聞社、2000年)に、当時の様子が生々しく書き込まれていますので、興味のある方はお読み下さい。152頁から168頁がその顛末です。西村先生は矢木、山村さんは夏子、松本清張さんは松木(!)という名前で登場します。メロンを持って謝りに行ったが会ってももらえなかった、編集者からはとにかく謝ってくれと懇願され、途方に暮れる西村先生の姿が詳細に描かれています。仲を取りなしたのは山村さん本人でした。

 今日、松江・田和山にある「今井書店センター店」にお邪魔したら、そっとささやかに「追悼コーナー」ができていました。❤❤❤

▲松江・今井書店センター店追悼コーナー

 

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