学生が先生の家に行かなくなった?

 昔は生徒がよく恩師の先生の家に「遊びに」行かせてもらう、ということが多かったものです。先生も迷惑がらずに歓待していただきました。高校時代・大学時代と、私もよく先生の家にお邪魔したものです。いつの頃からでしょうか?こういったことがめっきり少なくなってしまいましたね。大学紛争・学生運動が盛りの時代に、学生が教授を糾弾したり、吊し上げたりしました。自分を吊し上げた学生に、遊びに来い、という先生がいるわけがありません。あの頃からこの風潮が強まっていったのではないかと感じています。今はどうかというと、大学紛争の頃のように、先生と学生の関係が険悪なわけでもないのに、学生が先生の家に行くことはあまりありません。

 高校時代に英語を教えていただいた三島房夫(みしまふさお)先生と、故・大谷静夫(おおたにしずお)先生のお宅によく押しかけては、奥様に美味しいものをごちそうになったり、本を貸していただいたり、いろいろなためになるお話をうかがったりで、ずいぶん可愛がってもらいました。今の高校現場では生徒が先生の家にお邪魔することなど、めっきりなくなってしまいましたね。大学に入学したばかりの頃、三島先生のご自宅の書斎にあった『夏目漱石全集』(岩波書店)がどうしても欲しい、と無茶を言ったら「大学の成績が全部“優”だったらプレゼントしてやる」とおっしゃってくださって、よしそれならと、必死で勉強頑張って約束を果したら、本当に新しい全集をプレゼントに持って来てくださいました。むさぼり読んだものです。私の家には生徒(在校生・卒業生)がよく遊びに訪れてくれるんですが、自分自身がそういう経験をしているので、御恩返しのつもりも少しはあるんです。

 大学生のときには、「どうせろくなものは食べていないだろうから…」と言って、高校時代に教えていただいた先生方が(6・7人おられました)定期的に食事会にご招待くださっていました。「お前は会費はいらないから、大学でどんなことを勉強しているのかを話せ、それが会費だ」と言ってくださって、いつも学生には食べることのできないような美味しい料理をごちそうになっていました。大谷先生米子のご自宅にはよくお邪魔して本を借りていたのですが(夢野久作エド・マクベインロアルド・ダールを教えていただいたのもこの先生です)、時々料亭に美味しいものを食べに連れていってもらったりもしました。本当にありがたかったですね。私もよく教え子たちと食事やお茶に行く機会があるのですが、これも自分がそうやってご馳走してもらった当時の思い出が残っているからかもしれませんね。

DSC02117 大谷先生が退職後、突然お亡くなりになったときには、「英語の本は全部八幡に送ること」と、奥様にご遺言なさったそうで、奥様からご連絡をいただき、有り難く全部大きなダンボール箱で何箱も大量に送っていただきました。当時は津和野高校の狭い教員住宅暮らし、松江に帰ってもマンション暮らしで、開けて並べることもできず、そのまま段ボールに眠ったままだったんですが、自宅を新築し、特注の書庫を作ったときには、一角にコーナーを作って先生を偲びながら全部並べさせていただきました(写真)。私の大切な大切な宝物です。大谷先生は東京大学の文学部を出られた先生で、英書を読むスピードが桁外れに速いんです。どうやったらそんなに早く読めるんですか、といつも先生に食い下がっていたものです。毎日、米子から松江に当時国鉄の電車で通勤しておられて、荒島から乗ってくる大学生の私のために、満員の先頭車両でいつも座席を取っておいてくださいました。毎朝先生の隣に座って、面白い本の話を聞くのが何よりの楽しみだったものです。

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 高校時代、このお二人の先生に英語を教えていただいたこと、これが私の人生の一番の宝物でした。尊敬する故・渡部昇一先生のご著書を読むと、高校時代の恩師・佐藤順太先生という恩師がしょっちゅう登場しますね。

 先生と生徒の関係も、授業をする者と受ける者という関係だけでは、どうしても深いつながりができないですね。先生は「給料分だけ教えとけばいいんだ」、また生徒は「先生はオレたちの月謝で生活しているんだ」みたいなギスギスした関係になって、人間的に豊かな感性が養いにくくなる。恩を返そうと思う心が、自分自身の心にハリを与えていくわけです。その点、昔は先生と生徒の関係が恩で結ばれることが多かったんです。どうしてかというと、生徒はだいたい先生の家に住み込ませてもらっているか、養ってもらっていることが多かったからなんです。

 私の場合もそうですね。やはり、食わしてもらったという意識に非常に左右されている。住み込みじゃなかったけど、高校時代の恩師・佐藤順太先生の家に、高校卒業して大学生になってからも、のべつまくなし行ってましたね。夏休みで田舎へ帰ったときなんか、自分の家にいる晩よりも佐藤先生のところにいるときのほうが多かった。そうすると、食事をご馳走になるときもあれば、お茶やお菓子を出してくれることもあるわけです。これが非常に有り難かったですね。しょちゅう押しかけては何かご馳走になったり、プライベートにお世話になったりすると、やはり独特の感情がわいてくるものなんです。そして、その恩を何らかの形で返したいと思い始める。  ―渡部昇一『報われる努力 無駄になる努力』pp.142-144(青春出版、2001年)

 現役時代から私の家には、生徒たちが押しかけてきました。自宅でパーティもよくやりましたね。卒業生たちもよく訪ねてくれ、大学の情報などをいろいろ教えてもらったものです(最近はコロナ禍でめっきり少なくなりました)。楽しい思い出がいっぱいあります。♥♥♥

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