心に残る先生

 春は、入学や新学期の始まりの季節ですね。義務教育の小・中学校の9年間、高校の3年間、大学の4年間に、たくさんの先生と出会ってきましたた。先生は学校の教師だけではなく、学習塾や習い事、スポーツなどの指導者だって先生です。隔月刊の雑誌『昭和50年男』(クレタパブリシング)5月号 “オレたちの心に残るせんせい” をテーマに、昭和50年男の人生や思想に影響を与えた人物やコンテンツを振り返っています。「自分にとっての先生とは誰か、そしてその人からどんな教えを受けてきたのかを考えた時、自分の “原点” が見つかるはずだ。その原点は、きっと、新しい一歩を踏み出そうとするあなたの背中を押してくれる」という趣旨の特集号です。面白く読みました。

 中でも巻頭の武田鉄矢さんの「3年B組金八先生」がいいですね。のぼせて見ていた記憶が蘇ります。「でも現実はこうなんだけどな……」などと、あまりにも理想的な姿にギャップを感じていたことも事実です。古文の吉野敬介先生の特集紹介記事も面白かったですね。

 思い返してみるに、私は本当に師に恵まれました。小学校5年生・6年生と読書感想文の指導を受け、こんな先生になりたい!と強く思った父親のような担任の井塚 忠(いづかただし)先生の存在が大きかったですね(私の家は母子家庭でしたから)。鼻血を出して学校を休んで寝ている私の家に、チョコレートをおみやげに(!)訪ねてこられ、締め切りが迫っている県に出す読書感想文の清書を頼まれました。ていねいに字を書くのが遅い私のために、夜中まで傍らで鉛筆を削って下さったことは今でもハッキリと覚えています。二年連続で島根県庁に表彰式に連れて行っていただいた時に、記念に買っていただいた『怪盗ルパン』『西遊記』は、その後の読書好きな私の礎を築いてくれました。当時は丸々と太っておられ、生徒たちからは「デカカボチャ」という愛称で慕われていた先生でした。満点を取ると「ホームラン賞」を教室の後ろに貼り出してもらったことが、勉強の大きな動機付けにもなりました。松江に帰って来てから、入院しておられると聞いて、広瀬病院にお見舞いに行ったときには、意識もなくガリガリにやせてチューブがいっぱいつながれていました。その一週間後にお亡くなりになりました。お別れができたことは幸いでした。私が教員を目指すきっかけになった先生でした。

 高校時代英語を教えていただき、私を大学に導いてくださった三島房夫(みしまふさお)先生からは、学生時代に沢山のことを学びました。休みの度に先生の荒島のお宅にお邪魔しては、本を借りたり、貴重なお話を伺うのが楽しみでした。英語の楽しさや難しさを教えていただいたのはこの先生です。先生のお孫さんを北高で教えることになり、ほんのちょっとだけご恩返しができたでしょうか。彼女は松江北高を卒業して、自治医科大学から医者になっておられます。

 高校時代からお世話になった大谷静夫(おおたにしずお)先生大谷先生の米子のご自宅にはよくお邪魔して本を借りていたのですが(夢野久作エド・マクベインロアルド・ダールを教えていただいたのも先生です)、時々料亭に美味しいものを食べに連れていってもらったりもしました。本当にありがたかったですね。私もよく教え子たちと食事やお茶に行く機会があるのですが、これも自分がそうやってご馳走してもらった当時の思い出が残っているからかもしれませんね。大谷先生が退職後、突然お亡くなりになったときには、「英語の本は全部八幡に送ること」と、奥様にご遺言なさったそうで、奥様からご連絡をいただき、有り難く全部大きなダンボール箱で何箱も大量に送っていただきました。当時は津和野高校の教員住宅暮らしで、開けて並べることもできず、そのまま段ボールに眠らせたままだったんですが、松江に帰って自宅を新築し、特注の書庫を作ったときには、一角にプレートを作ってコーナーに先生を偲びながら全部並べさせていただきました。私の大切な大切な宝物です。大谷先生は東京大学の文学部を出られた先生で、英書を読むスピードが桁外れに速いんです。「どうやったらそんなに早く読めるんですか?」と、いつも先生に食い下がっていたものです。毎日、米子から松江に当時国鉄の電車で通勤しておられて、荒島から乗ってくる私のために、満員の先頭車両でいつも座席を取っておいてくださいました。毎朝、先生の隣に座って、面白い本の話を聞くのが何よりの楽しみだったものです。

 大学時代は安藤貞雄(あんどうさだお)先生に可愛がっていただきました。教員になってからも、折に触れて教えをいただきました。『基礎と完成 新・英文法』(数研出版)〔昨年開拓社から復刻版が出て好評〕で一緒にお仕事をさせていただいた時は、本当に嬉しかったものです。「若い友人」と前書きに書いていただいたり、講演会で私のことを取り上げていただいた時には、天にも昇る思いでした。

 大学生の時に差し上げた一通の手紙から、大言語学者(アメリカ言語学会会長)D.ボリンジャー(Bolinger)博士とのやりとりが始まり、数々の言語事実、言語研究に対する姿勢など、本当に多くのことを学ばせていただきました。⇒詳しくは「ボリンジャー博士との出会い」を参照  先生を私達の『ライトハウス英和辞典』(研究社)の顧問にお招きして、私が連絡係を務めた時の喜びは忘れることはできません。私の差し上げた手紙は全部取ってある、一度遊びに来ないか、と言っていただきましたが、願いは叶いませんでした。

 教員になってからは、辞書『ライトハウス英和辞典』(研究社)の編集作業を通して、竹林 滋(たけばやししげる)先生(東京外国語大学名誉教授)に、いろいろなことをご指導いただきました。夜中に先生から「……について調べてくれませんか?」と電話がかかってくる度に、気合いが入って徹夜して仕事に精を出したことが懐かしく思い出されます。お亡くなりになり、もうあのお声を聞くこともできない。淋しい限りです。

 今年の勝田ケ丘志学館の卒業生で、私のことをこんな風に言ってくれた生徒がいました。彼は自治医科大学に合格して医者を目指します。♥♥♥

 八幡先生、一年間お世話になりました。僕が最も印象に残っている先生を挙げるなら八幡先生を選ぶと思います。そのくらい、今までにない英語の授業を受けることができました。授業だけでなく、今後生きていくために大切なことなどを知ることができて、身になった一年だと感じています。特に、灘高校の玄関に書いてあった言葉が印象的でした。やり続ける人1人と聞いた時、僕はその1人になろうと思い、毎日継続して朝早くから夜遅くまで勉強できました。さらに、基礎基本の大切さを実感しました。伸びる生徒の特徴だと教えてもらった時は、僕は発展応用しか勉強してなかったのだなと感じて、1年を通して基礎基本を徹底することを意識しました。4期生にも英語だけでなく、人生を通じて大切なことを沢山教えていただけると嬉しいです。ありがとうございました。

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