キツネはワナをとがめるが自分はとがめない

 「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、全部自分のせいだと思え」とは、尊敬する経営コンサルタントの一倉 定(いちくらさだむ)さんの名言です。我々は、とかく他人や世間を非難しがちですが、常に自分を反省することが大切です。

 故・高原慶一郎(たかはらけいいちろう)さん(私はこの人の著書からいろいろなことを学ばせていただきました⇒コチラです) が起こした会社(株)ユニチャームの社訓には、「原因自分論」(=物事の原因と責任は全て自分である。いつも人の話を素直に聞き、問題が発生した場合も自分の非力を原因に求め、他に責任を転嫁しない。原因を自分に求めることにより失敗の教訓に生かすことができ、人は成長する)というのがあります。何か物事がうまく運ばない時に、とりあえず条件反射的に人のせいにしてしまう人たちがいます。「世の中の景気が悪い」「部下がちゃんと働かない」「需要が落ち込んでいる」「上司が認めてくれない」など、自分ではなく全て他に責任を転嫁してしまう人たちです。リーダーたる者は、人を批判したり非難する前に、まず自分の問題として受け止めて、それを解決するために自分としては何を考え、何を行ったらよいのかを考えることが大切です。

 「あなたのせいだ」と相手を責めたくなったときこそ、その指先を自分に向けよう。「原因自分」の考え方が失敗を生かし、人を成長させる。(高原慶一郎)

▲よ~く指の形を見てみよう!

 「こうなったのはおまえのせいだ」と、相手を非難して指をさした時の指の形をよ~く見てみて下さい。相手の方に向かっているのは人差し指だけで、なんと残りの中指・薬指・小指はほとんど自分の方を指しているではないですか!親指は1本だけ天を指して、神様の審判を仰いでいます。他責1に対して自責が3倍大切であることを意味しています。物事がうまく進まなくて人を責めたくなるときでも、その責任は、実は概ね自分にあるものなのです。まず他人ではなく、失敗やトラブルの原因を、すべて自分の非力に求めて、その自分を基点にして解決や対処をしていこう、という姿勢が「原因自分論」の核なんです。しっかりと頭に入れておきましょうね。

 「成功したときは窓の外を、失敗したときは鏡を見る」という言葉があります。成功を収めたときには窓の外を見て、成功をもたらした要因を見つけ出す、具体的な人物や出来事が見当たらないときには、幸運の有り難さに感謝する。結果が悪かったときには、鏡を見て、自分に責任があると考える、うまくいかないときは、自分のせいだと思うことです。鏡に自分を映して、何がいけなかったのかを素直に謙虚に反省しないといけません。上手くいったときは他人のおかげ、上手くいかないときは自己責任ととらえて反省する気持ちが大切だと、尊敬する故・松下幸之助さんも言っておられました。

 あの幸田露伴(こうだろはん)は、人生における成功者と失敗者をじっくりと観察して、1つの法則を発見しました。「大きな成功を遂げた人は、失敗を人のせいにするのではなく、自分せいにするという傾向が強い」露伴は言います。人のせいにすれば楽なものです。しかし、こういう態度では、物事はそこで終わってしまい、そこから得たり学んだりするものは何一つありません。一方、失敗や不運の原因を自分に引き寄せて捉える人は、辛い思いをするし、苦しみもします。しかし同時に、「あれはああではなく、こうすればよかった」という反省の気持ちを持つことにもなります。それが、進歩であり、前進・向上というものです。失敗や不運を自分に引き寄せて考えることを続けた人間と、他人のせいにして済ますことを繰り返してきた人間とでは、かなりの確率で運の良さがだんだん違ってくるのです。

 幸田露伴は、このことを、運命をたぐり寄せる二本の紐に喩えて紹介しています。一本の紐はザラザラゴツゴツとした針金のような紐で、それを引くと掌は切れ、指は傷つき、血がにじんできます。耐えがたい苦痛に耐えて、それでも我慢して引き続けると、大きな幸運を引き寄せることができます。しかし、手触りが絹のように心地よい感触の紐を引っ張っていると、引き寄せられてくるのは不運だというのです。見事な喩えです。私はこのことを「力を尽くして狭き門より入れ」と生徒たちに紹介しています。

 企業・政治家の不祥事が続いて、その度に責任のある幹部が出てきて謝罪をするのが通例のようになっています。中には「極めて遺憾である」とか「残念だ」といった、まるで人ごとのようなコメントでお茶を濁す例が少なくありません。それは部下のしたことで、自分は知らない、関知していない……こんないいわけを聞いていると、「キツネはワナをとがめるが、自分自身をとがめない」というイギリスの詩人・ウィリアム・ブレイク(1757-1827)の言葉を思い出します。キツネはワナにかかった自分の不注意を反省せずに、そこにあったワナを責める。同じように、愚かな人は、過ちに対して、自分の行いの悪かった点を認めず、他人や状況のせいにすることを皮肉った言葉です。自分が為したことの結果については、すべて自分自身に原因と責任がある。とりわけ失敗の要因は、常に自分の力不足に求めて、他に転嫁しないこと。その「原因自分」の考え方、行動原則を忘れないようにしたいものです。♥♥♥

カテゴリー: 日々の日記 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中