渡部昇一先生のエピソード(15)~初めての著書

 ドイツの留学を終えた故・渡部昇一先生(上智大学名誉教授)は、帰国後、日本での最初の著書を出版することになりました。しかし、本をどうやって出したらよいかさっぱり分かりません。これが、渡部先生が東大や京大出身の人なら、有力な先生が出版社に斡旋してくれたり、編集者に話をつけたりもしてくださるのでしょうが、上智大学にはそのような先生はおられませんでした。ドイツでの留学の思い出をまとめた本を出そうと思っておられ、当時「朝日新聞」の論説委員で、出版社に紹介してくれる人がいました。紹介された出版社に行き、渡部先生は、最初は自費出版でも、あるいはいくらか費用を出してでもいいから、青春の記念に本にしたいと申し入れました。するとその小出版社の社長から返ってきた言葉は、「自費出版などというのは自慰みたいなものだ」という信じられないものでした。その時、渡部先生は、「お前に辱められる理由はない!」と、原稿を引き上げてしまわれたのです。苦労ばかりが多くて、あまり良い思い出はなかった、と振り返っておられます。

 この原稿は、昭和30年(1955年)から約3年間のドイツ学生生活の体験と観察をメモしたものや日記を踏まえて、留学終了と同時に書きはじめたものである。その頃、出版したいとは思ったが、出版関係にこれという知己もなく、そのまま箱にいれてしまっておいたものである。知り合いの老婦人に乱雑な原稿を綺麗に清書してもらい、近親の者に回し読みをしてもらった、各章毎に、父がボール紙の表紙をつけてくれたので、わりと読みやすい形になったと思う。私の父も、その老婦人も、ともに今は亡い。なるほど10年一昔というけれど、20年は確実に二昔である。(『ドイツ留学記』(上巻)あとがきより)

 その後、先生の『知的生活の方法』(講談社現代新書)が爆発的大ベストセラーになったこともあって、同じく講談社から『ドイツ留学記(上)(下)』(講談社現代新書)として、書き上げてから25年後に、ようやく日の目を見ることになります。これがいざ出してみると結構売れて、版を重ねました。最近、『わが体験的キリスト教論』(ビジネス社、2021年10月)と言う本が刊行されましたが、これは1980年11月刊行の幻の名著『ドイツ留学記(下)』を、新装復刊したものです(写真下)。この本に渡部先生がいたく思い入れをもっておられたことを、長男の玄一さんが明らかにしておられました。また玄一さん自身も「父の本で『ドイツ留学記』が一番おもしろいと思っている」とおっしゃっておられます。

 ミュンスター大学で博士号を取得したときの、西洋の文献学の画期的な博士論文を日本で出版するのにも大いに苦労しておられます。日本に帰国後、それを自分で日本語に訳して、日本でも出版したいと思っておられました。何しろ、英文法史の分野では、日本人としては初めての論文でもあり、内容にも自信を持っておられました。ドイツでは向こうから出版費用を出してもらいましたが、コネも何もない日本ではどこも出してくれません。1960年代の初めというのは、単行本の研究書が売れなくて、出版社が警戒し始めた時期でしたので、なかなか出版することができませんでした。そこら中頼み回った末に、ある出版社に原稿を預けます。ところが、これが二年たっても三年たっても、一向に出版してくれません。そこで、どうせならもっと大きなところに頼もうと決めて、費用の半分ぐらいは自分で負担してもよいからということで、英語の分野では一流の出版社である(株)研究社に話をしました。英語の専門分野では一番だというプライドもある研究社は、内容がいいのなら、ということで、売れないのを覚悟で出版してくれました。渡部昇一『英文法史』(研究社、1965年)がそれです。あにはからんや、これが専門書としてはよく売れました。5版、6版と版を重ねたもので、最初に半分出した費用も全部戻ってきて、むしろだいぶんプラスになりました。あのとき、最初に頼んだところで簡単に出版されていたら、おそらくは初版でおしまい、そんなに売れることもなかったかもしれませんね。研究社という一番いい専門書店から出版したので、出版社のプレステージも加わってか、長く売れ続けたわけです。つまり、最初に失敗したことが、「もっといい」結果を導いた、と言えるでしょう。

 渡部先生は、ご自分の体験から、こんなアドバイスを若い人たちに贈っておられました。なるほど~。♥♥♥

 だから、自分がはっきりと自信を持ち、明確なイメージを持ってやったのに失敗したのであったら、ああ、これはよりいいものを待つための失敗だな、と思い込むことをすすめたい。また反省してみたら失敗して当然だったと思うところがあったら、それはそれでいいわけである。どうしても失敗で終わらせてはならないというのであれば、これはよりいい結果がでるための予告であると解釈する。ムシのいい考え方だといわれるかもしれないが、一回失敗しただけで、あとは気落ちしてやる気もなくするのでは、自分を高めることはできない。どんな時でも前向きに、明日のよりよい自分のために、と考えることを私は若い人にすすめたい。

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