川上哲治のキャッチボール

 先日、「小さな仕事こそ」と題して、ブログを書きました(⇒コチラです)。どんな小さな仕事でも全力を傾けることの大切さを述べたのです。Excellence is a thousand details.(成功は千の詳細である、アリストテレス)という言葉があります。一見些細でも、どうでもいいようなことが、たくさん重なると卓越になるということです。細かいからどうでもいいのではなくて、一見細かくてどうでもいいようなことが、実は重要なのですね。古くから「チリも積もれば山となる」とも言います。「神は細部に宿る」ということですね。その後、いい話を聞きましたので、付け加えておきたいと思います。巨人軍の不動の四番バッターで、「打撃の神様」川上哲治(かわかみてつはる)さんのことです。「V9」(今ではおよそ考えられない9年連続日本一!)の監督でもありました。好調時には、打席で「ボールが止まって見えた」と言われていますね。その栄光ゆえに、彼の背番号16は巨人軍の永久欠番となっています。試合前のキャッチボールの話です。試合前の練習におけるキャッチボールを見ていた人の目が、釘付けになったそうです。肩慣らし程度のキャッチボールで、すでに彼は違っていたというのです。「ボールを拝む」ような丁寧なキャッチボールだったそうです。「一球ごとに祈りを込める」ようでもあり、他の選手が三球投げる間に、一球ぐらいしか投げません。そして気合いが入ってくるにつれて、そのテンポが少しずつ速くなってきます。たかがキャッチボールにも、このように「魂を込める」という態度!「神様」と呼ばれるまでになった技術の根幹は、「小さなことをいいかげんにしない」ことにあったんだな、と感じたそうです。

 巨人軍の誇る世界の「ホームラン王」王貞治(おうさだはる)選手に関しても、同様のことを聞いたことがあります。さんは高卒で巨人軍に入団した一年目、すぐにレギュラーになりましたが、一年目のバッティングの成績は大したものではありませんでした。にもかかわらず、球団は翌年の給料を大幅にアップしました。一体なぜでしょう?一年生の彼は、ボール係を命じられていました。練習の後、ゲームの後、使ったボールを探しては拾って集め、数を確かめて、キチンと管理するという、下積みの地味でやっかいで面白くもない仕事です。この「つまらない仕事」を彼は、過去の誰よりも真面目に完璧・正確にやってのけたといいます。ボール係という「一所」に懸命になったのです。その王さんも偉いのですが、そこをちゃんと見て「これは見込みのある男だ。こいつは、大成するぞ!」と看破して増俸してやったフロントもまた偉かった、と言わねばなりません。王選手は打つことだけに一所懸命だったのではなく、恐らく私生活も含めて、生活の全てにおいて懸命になる人であったに違いありません。そういった人間的な土台の上にこそ、本職の技術面での偉大な花(ホームラン世界記録868本)は咲いたのです。

 将棋の大山康晴(おおやまやすはる)十五世名人の強さはケタ違いであったことは、いまさら言うまでもありません。将棋タイトル全五冠を独占、数々のタイトルの他、A級棋士在位連続44期のままお亡くなりになりました。ある将棋観戦記者がこの大山名人と旅をともにする機会があったそうです。ある夜、和風旅館の和室で、ふとんを並べて寝たそうです。翌朝目を覚ますと、大山名人が、窓の外、ベランダに出て、洗濯物を干しています。朝早く起き、風呂場あたりで肌着を洗ってきたようです。天下の大名人が肌着を自分で洗うことにまず感心しましたが、より驚かされたのは、その干し方のていねいさであったといいます。かわいた時に、シワが残らないように、吊した肌着の一枚一枚を、ピンと引っ張り、伸ばすのですが、そのやり方が実に細かくてていねいだったそうです。「わかった!!」と、その観戦記者は、腹の中でつぶやいたそうです。「大山の強さの秘密がわかった。精密機械と評される、あの緻密でスキのない将棋と、今見ているこのことは一つのものなのだ。後者があってこそ、前者もまたあるのだ」と。

 「ライオンはウサギを撃つにも全力をもってする」といいます。たかがウサギじゃあやる気がしない、などとはライオンは絶対に言わないのです。それゆえ、長く百獣の王として君臨できているのです。便所掃除一つにしても、その人の持つ全人格・全能力が出るんです。能力というと技術面のことだけを考えやすいのですが、人柄とか性格、人格もまた人の力のうちなのです。掃除のような仕事では特にその人の注意力と清潔感覚、仕事の完全さへの感覚といったようなものがハッキリと出るのです。チッポケな仕事などではないのです。仕事はそれがどんな仕事であっても、軽視することなく、全力を注いで熱心に、そして忠実に当たらなければなりません。「小事に忠」を、胸に刻みたいと思います。♥♥♥

 自分の努力で手に入れた幸福は、たとえどんなに分量が少なくても、心に生じる快感は絶大なものだ。その小さな積み重ねこそが勇気を生み、大きな成功を呼び寄せる。だが、その小さな幸福にあぐらをかいて、「もう、この辺でいいだろう」と、怠け心が生じて素力を止めたら、人間はそこでお仕舞いだ。その小さな幸福さえも、たちどころに消え去ってしまう。 (本多静六)

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