関ジャム完全燃SHOW

    これまで多くのアーティストに語られてきた小田和正さんですが、極めつきの批評番組が放映されました。「関ジャム完全燃SHOW」というテレビ朝日系の番組で、7月31日(日)午後11時からの放送でした。今回は音楽のプロが絶望し、マネできないと語る小田和正の技術を紐解いた珍しい番組です。スタジオには、小田さんをリスペクトする音楽プロデューサー本間昭光SUPER BEAVER 渋谷龍太、 声楽家の 彌勒忠史の3名のプロを迎え、 マネのできない小田和正さんの歌声、作曲、作詞、コーラスワークの技術に迫ります。小田さんのスゴさ、小田さんにしか成し得ないワザを、音楽の技術面から迫ったことが、この番組の成功につながりました。

 幅広い世代のアーティストから崇められ、多大なる影響を与えてきた小田さんは、1970年にオフコースでデビューしてから52年、現在も第一線で活躍中。リリースにしろツアーにしろ、行くところ全てに“最年長記録”がついてまわり、「超人」と呼べるほどの活躍ぶりです。現在の年齢(9月で75歳になる)を考えると、まさにこの言葉「超人」「怪物」が相応しいことでしょう。2022年は、国内男性ソロアーティストとしては、史上最年長となる全国アリーナツアーも開催するなど、その“怪物っぷり”には目を見張るものがあります。今回の番組は、プロたちも「真似できない!」と口をそろえる小田さんの楽曲作りの技術やパフォーマンスに着目し、生み出してきた名曲の数々を例に取り上げながら、その恐るべき才能に迫りました。

  “突然の転調”や、“独特なコーラスワーク”などから浮き彫りになる「楽曲制作のテクニック」に、老若男女誰もが感動する歌詞のスゴさ。さらに、年を重ねてもまったくキーが変わらず、むしろますますパワーアップしている歌声や、一音目から場の空気を支配する表現力の真髄を絶賛します。

 それを支えるのは、自身の摂生・トレーニングも大きいとは思いますが、歌そのものが長きに渡り、幅広い聴き手を魅了し続けているからに他なりません。コロナ期間は仕方がないにしても、間を置かず開催されてきたコンサート・ツアーも大きいものがありました。客席にいた人々が、その感動を小田伝説として友人・知人に伝え続けているのです。

 なぜ小田さんにはこんなことが可能なのでしょうか?彼のルーツに着目しつつ、改めて紹介してみたいと思います。

 まず最初は、天性の部分です。彼は一般成人男子には真似できないような幅広い音域で歌うことができます。しかも、よく透明感と評される印象的な声質の持ち主です。声に関しては、「変声期らしきものは経験してない」と言っておられました。中学・高校と軟式野球に打ち込んでいた頃、仲間を鼓舞するためベンチで大きな声を出したことで、自然と喉が鍛えられた、という説もあるくらいです。あのハイトーンボイス、澄んだ声で高音のメロディーが特徴の小田さんですが、72歳から73歳になる時に、「ああ、声がちょっと出にくいなっていう感じがあった」と告白しておられました。あの小田さんが声が出ないという困難に直面していたそうです。ステージに立てるようになるまで、筋トレやランニングなど相当のトレーニングを積まれて試練を乗り越えられたのだと思います。

 高校から大学への時期は、Peter, Paul and Maryなど、モダンフォークをコピーすることに熱中します。音楽の構造を実践的に学び、フォークに留まらず、ヘンリー・マンシーニミシェル・ルグランなど、映画音楽にも興味を広げました。小田さんの楽曲には同世代のいわゆるフォークシンガーにはない凝ったコード展開が見られますが、この時代に探求し、吸収したものが大きかったのでした。

 また、東北大学では合唱サークルの活動にも取り組んでいます。思えば、1970年に小田さんがボーカリストとなってデビューしたオフコースは、「僕の贈りもの」からして重厚なコーラス・ワークが魅力だったし、「Yes-No」などもそうです。特色としては、表面的ではなく、楽曲の核の部分にハモリのアイデアが染み込んでいるところであり、そのひとつのルーツが合唱にあることは間違いありません。コーラスが主旋律を追い越していく、といっためったに見られない歌も紹介されましたね。

 小田、鈴木康博、地主道夫の3人組として結成し、1972年から小田鈴木のデュオとして活動していたオフコースは、80年代に向けてリズムセクションを加え、1976年に5人組へと発展します。EaglesやTOTOなどウェストコーストのサウンドを吸収し、作風も変化し、以後、小田さんは楽曲のなかでも「バンドのカッコよさ」を伝えようと懸命に努力します。当時でいうと、ツインギターが爽快な「愛を止めないで」は、その意味での典型的な楽曲でしょう。

 歌詞の書き方も少しずつ変化しています。ただ、普遍的な感情を理解しやすいやさしい言葉で綴るのが、今も昔も小田流です。ノリを重視して韻を踏んだり、流行りの単語を取り入れたりすることはまずありません。そして小田さんの歌には、必ず「風」というキーワード(=継続)が登場します。小田さん自身も「この言葉が好きだ」と認めていますが、私はそのルーツを探ってみました。「小田さんの歌詩にはなぜ風が多く出てくるのか?」 ⇒コチラです

 1970〜1980年代の作品を聴いても、全く古さを感じないのはそのためです。具体的に示すと、初期の「生まれ来る子供たちのために」を聴けば、普遍性の意味が分かります。この曲はメッセージソングにも分類され、いつの時代も人が抱えるテーマを描いており、楽曲自体は壮大な作風のようでいて、聴く人間各々の足元を、ちゃんと照らしています。いきものがかり水野良樹さんが、小田さんにプロデュースをお願いして一緒にやったときに、小田さんの作り方の丁寧さに衝撃を受けたという話をしておられました。一行とか一言が、歌い方一つで曲がこんなに変わるのかということを改めて教えられて、自分の作り方はなんだったんだろう、と思わされたと語っておられました。

 東北大学、早稲田大学大学院で建築学を専攻したことも、音楽作りに影響を与えたのではないか、という指摘は、まさにその通りだと思います。一つの建物を建てるように、音楽を構築していくのが小田さん流の音楽性です。

 作詞・作曲だけがスゴいのではありません。小田さんは自分でアレンジも全部やってしまうのです。ピアノ、弦のどれもが主役になるようなアレンジを含めての小田和正ワールドです。バンドメンバーのファースト・バイオリン担当の金原千恵子さんが、間近で見る小田さんのアレンジの凄みを会報で語っておられました(Vol.380)。アレンジまで全て自分でやってしまうのは、オフコース時代からずっと続いています。

 常に完璧を目指す小田さんのコンサートでは、リハーサルを毎日毎日、ずっと繰り返し繰り返し行うことが知られています。アーティストの中では短い人で3~4日、他もせいぜい1週間止まりです。小田さんは一ヶ月も行います。いいものをつくるためには一切の妥協をしないのです。とにかくいい音楽をつくるために全身全霊を傾けるのです。バンドメンバーも、長いリハーサルをやってみて初めてその意味が分かってきた、と言っておられます。

 6月15日に、小田さんは、『early summer 2022』を、をリリースしました。長きに渡り音楽シーンに影響を与え、支持を受け続けてきたことが証明される一枚でした。小田ワールドをご堪能ください。♥♥♥

 

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