鮎川哲也の短編集

 ミステリー小説の技法のひとつである「倒叙ミステリー」(inverted detective story)をご存知でしょうか?通常のミステリー小説は、事件が発生し、警察や探偵が地道な捜査と推理を重ねて真犯人を突き止める、という流れで物語が進んでいきますね。一方の「倒叙ミステリー」は、最初から犯人が明らかになった上で、事件を計画し、実行していくのです。通常のミステリーとは物語の進み方が逆なことから、「倒叙」(とうじょ)と呼ばれています。最も有名なものは、「刑事コロンボ」「古畑任三郎」ですね。冒頭で犯行が描かれ、序盤終了後に探偵役が登場します。基本的には、犯人の目線でストーリーが進行していくため、読者が犯人側に感情移入をしてしまうのが特徴。逃げ切って欲しいという気持ちと、とはいえ悪いことをしたのだから正義の鉄槌を下してほしい、という両方の気持ちが入り混じり、物語の世界に没頭してしまうのです。ミステリー中毒の私は、教員に成り立ての頃は、折原 一(おりはらいち)さんのものが好きで、よく読んでいました。しかし何と言っても、倒叙物の大御所は鮎川哲也(あゆかわてつや)さんでしょうね。

 推理小説にくわしくない読者のために、倒叙物についてちょっと触れておく。本来ならば犯人の正体と犯行の次第は最後に明かされる筈のものだが、それを物語の頭に持ってくるというさかさまの形式をとることから、倒叙の名が生まれた。英米の推理小説で言われるinversionの訳語である。最初から犯人が割れているので、誰が犯人かという興味が犠牲にされることは言うまでもない。したがって作者としてとるべき方法は、おおまかにわけて、犯行後の犯人の動揺する心理を克明に描写するか、完全犯罪が予期せぬ出来事から崩壊していく過程をつづるかの二つしかないのである。前者は心理派やスリラー作家の領分であり、後者はわたしのような本格派の作家の領域ということになる。(鮎川哲也)

 その倒叙物の短編集である、鮎川哲也『黒い蹉跌(鮎川哲也のチェックメイト)』(光文社文庫、2021年8月)『白い陥穽 (鮎川哲也のチェックメイト)』(光文社文庫、2021年10月)が、二冊立て続けに出たので、読んでみました。倒叙物だけを集めた短編集で、八篇ずつ収録しています。1967年から1979年にかけて書かれた作品なので、昭和レトロの香りがプンプン漂ってきます。最後は、いずれも不自然な小細工が過ぎて、犯人の工作が破綻し、ボロが出る作品です。現在のテレビ朝日が「刑事コロンボ」「古畑任三郎」2作の人気に便乗して制作したテレビ番組が、この鮎川哲也(あゆかわてつや)が原作の「チェックメイト78」でした(1978年10月~1979年3月、全22話)。「倒叙ミステリー」を無理やり「主演の刑事との対決物」にしたために、原作の良さが全く活きていない駄作で低視聴率で打ち切りとなってしまいました。その後、制作のテレビ朝日&東映が、オリジナルで「相棒」を作り、見事な「対決物」を作るまでには随分時間がかかりました。

 鮎川哲也さんは、「本格推理の驍将」などと呼ばれ、今日の「新本格」派にも多大な影響を与えた作家です。この二冊では、論理性を重視しつつ、冒頭で示された事件の謎が、証拠に基づく論理によって徐々に解明され、最後に、意外な真相に至るまでの経過を描いています。短い枚数でいかに本格のテイストを醸し出すか、犯行の舞台や動機、アリバイ工作、犯人のミス、など読み応えがありました。倒叙ミステリーは、完璧と思われる犯罪が、気づかないように仕掛けられた思わぬ手がかりによって暴かれます。犯人のあずかり知らぬ予想も出来ないことが、犯行の決定的証拠となって、完全犯罪が瓦解していきます。犯人と探偵役の心理戦の醍醐味、ここら辺が読み応えのあるところでした。

 『黒いトランク』など、鮎川さんの本格長編も読み甲斐があります。最近では『死のある風景』(光文社文庫、2022年8月)が刊行されました。ゆっくり読んでみようと、買ってはありますが、まだ手に取ることができていません。♥♥

 

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