請求書の人生vs領収書の人生

 今日のテーマは「請求書の人生 vs 領収書の人生」です。イエローハットの創業者の鍵山秀三郎さんが、月刊『致知』で語っておられたお話です。鍵山さん自身も、人から教わったことだと述べておられましたが、「もっと、もっと、もっと・・・」といった感じで、際限なく求め続け、欲しがっていく生き方を、『請求書の人生』と呼ぶのだそうです。「向上心」や「探究心」といったものは人の成長に欠かせない大切な条件ではありますが、「度の過ぎた欲求」は人間を卑しくし、尊厳を傷つけていくものです。いい生活は物に支配されていますから、「もっともっと」という心が働き、いわゆる請求書を出す人生になってしまいます。

 逆に、求めるばかりではなく、いま与えられている物事に「感謝の心」をもって過ごす人生、これを『領収書の人生』と呼ぶのだそうです。寺社にお参りした時には、「ありがとうございます」と感謝する、請求書ではなしに、領収書のお参りをしなければなりません。求めるばかりではなく、今与えられているものごとに感謝の心を持つ『領収書の人生』を歩むべきです。いい人生とは心で支配されていますから、「ありがとう、ありがとう」という心が働き、いわゆる領収書を出す人生になります。

 日本には、『領収書の生き方』をしている人も大勢おられますが、そういう人は世間からあまり注目されることはありません。『請求書の生き方』をする人の方が派手で目立つのに比べ、『領収書の生き方』をする人は、地味で人目につかないところが共通しているからです。誰からも注目されず、光の当たらないところで、いつ報われるか分からないことにも、心を込めてひたすら取り組む姿からは、「卑しさ」なんてものは微塵も感じられません。誰かに頼ったり、求めたりすることなく、人の役に立つことだけを念頭において、一途に歩み続ける姿は、人を引き付ける豊かな魅力を備えています。

 そんな人生って、何だか素晴らしいですよね。鍵山さんは、自らもそんな人生を心がけられ、人間性を磨かれると同時に、イエローハットを一代で一流企業に育て上げ、大成功を収めておられます。私も、『領収書の人生』が送れるよう、少しでも人間性を高めていきたいと思っています。昨今、もっと多く、もっと快適に、もっと偉い人になりたい、そして、「自分だけ」「お金だけ」「今だけ」という生き方の人が多くなっているように思いますが、これらは、すべて集める生き方であり、『請求書の人生』です。

 「もっともっとという利己心」と、「ありがとう、ありがとうという利他心」。考えてみれば、自分のものは一つもありません。私たちは、裸で生まれました。まったく無一物、ゼロです。すべて与えられたものばかりです。すべて領収書の人生です。この事にどれだけ目覚めることができるか、そして、感謝できるか、そのお返しとして、どれだけ他に与えることができるか、これが身魂磨きのすべてだと思います。そして、自分の存在によって、周りのすべてに、人に、社会に、生き物に、自然に、地球すべてに、どれだけ与えることができたかによって、その人の人生の価値が決まってくるのだと思います。♥♥♥

人間は、自分のことばかり考えているうちは、悩みが尽きることはありません。ところが、いつも周囲の人や多くの人のことを考えている人には、悩みというものはありません。(鍵山秀三郎)

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