志学館、「日本海新聞」に

 専攻科に代わる浪人生の受け皿として、2019年に県立米子東高(米子市勝田町)の同窓会館内に開校したNPO法人の予備校「勝田ケ丘志学館」。開校4年目を迎え、同校以外にも鳥取県中西部や島根県東部などの高校の卒業生が集まり、切磋琢磨(せっさたくま)する場となっています。このたび、「日本海新聞」11月10日付けに、志学館が大きく取り上げられました。


 米子東高校同窓会などによる「勝田ケ丘志学館」が誕生した背景には、2013年まで米子東高校に設置されていた「専攻科」があります。専攻科は、高校や大学などが本科修了後により専門的な教育を行うことを目的として設置されます。米子東高校の場合、浪人生の受験支援を目的に1960年にスタートしました。しかし、民間の予備校が増え、「官から民へ」の流れの中で、専攻科は役割を終えたとして廃止されました。「専攻科がなくなったことで浪人が減るとみていましたが、実際には変わりなかった。浪人生の足取りを調べると、大阪や広島など県外に出て寮生活をしながら予備校に通う層、自宅で浪人する層に分かれることがわかった。つまり家庭の経済状況で、二極化していたんです」山根孝正館長は語ります。米子東高校の東大合格者数の変遷をみると、専攻科があったころは例年2~3人を輩出していましたが、廃止後は0~2人に減少。専攻科が難関大学への進学を支えてきたこともうかがえました。そこで専攻科を受け継ぎ、「地元で経済的な負担が少なく勉強できる環境。地元に残って、友達と切磋琢磨しながら受験に向かう場所」として構想したのが志学館でした。山根館長は、2014年から米子東高校の校長を務め、2018年に退職されました。1年間の準備期間を経て2019年に志学館を設立しました。同窓会に協力を依頼し、県から校内の同窓会館を校舎として使用する許可を得、黒板など必要な校具は知り合いにもらったり、中古品をかき集めたりして揃えました。講師はつてをたどり教員OBを中心に声をかけたところ、賛同者が現れ体制が整いました。名称には「志を持って学ぶ場所にしたい」という思いを込めたと言います。現在は各種学校の認可を目指しながら活動を続けています。認可されると、生徒が通学定期を使えるようになり、さらなる負担軽減につながります。開校当初は受講生の多くは米子東高出身者が占めていましたが、今年は米子東高校以外の出身者が3割程度まで増加しました。

▲代ゼミ 藤井健志先生

 かつて、代々木ゼミナールの小論文のカリスマ・藤井健志(ふじいたけし)先生が、2018年の鳥取大学の後期の小論文入試問題「現代社会では、経済的格差や社会的孤立の広がりの中で、様々な形で社会的に排除された人々が生み出されている。そこで、地域社会において実際に生じている社会的排除の事例をひとつ取り上げるとともに、その問題の克服に向けて求められる社会的包摂のあり方について論じなさい。(800字以内)」に対する「模範解答・解説」を、『代ゼミ新小論文ノート2020』(2019年7月)に書いておられます。その中で「勝田ケ丘志学館」を取り上げていただきました。

(中略) このような問題の克服のヒントになるのがこの春から鳥取県に開学した「校内予備校」だ。自分の財を原資にしてでもという情熱を持った元教員を中心に協力者や寄付金を募り、県立米子東高校敷地内の同窓会館を利用して、地域の高卒生ならば誰でも学べる、画期的な学びの場を創り出したという事例だ。隣県島根県の教員OBの方々も協力することになったらしい。一つの高校の同窓会やPTAが主体になりながらもその枠組みに縛られず、都道府県の境さえも越えて連帯するかたちは行政に押し付けられるのとは違う新しい公共の姿である。官・民といった区別を越えて地域の人間が共に主体となって考え、行動するところにこそ、特定の人間を排除することのない重層的で懐の深い社会的包摂が実現するのだと私は考える。

 ぜひ志学館のホームページをご覧ください。⇒コチラです♥♥♥

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