幸田露伴の「惜福」

◎「惜福」、「分福」、「植福」!!

 幸田露伴は、小説『五重塔』などで知られる明治時代の文豪です。私は故・渡部昇一先生が薦められる『努力論』を、若い時に読んで非常に勉強になりました。『努力論』には、人生の明暗、幸不幸をいろんな角度から検討し、どうやったら明るく生きられるかが論じられていて、現代でも参考になることが数多く書かれています。

 露伴の家は、もとは徳川幕府のお茶坊主を務めた家系でした。旧制の東京府立中学や東京英学校などに学びましたが、どちらも家庭の事情で中退しています。その後、漢学塾に入り、電信修技学校に入って電信技手となり、北海道に赴任します。しかし、作家への強い志を抱いていた露伴は、その思いを断つことができず、職を辞して東京へ帰ることにしました。お金がなかったので、北海道から東京まで歩いて帰りました。その苦難の旅の途中の二本松で詠んだ句、「里遠し いざ露と寝ん 草まくら」に由来するのが、「露伴」というペンネームです。このように努力に努力を重ねて作家への道を切り開いていった露伴の書いたものは、小説に限らず、随筆や史伝にも見るべきものが多く見られます。

 そんな露伴は、『努力論』の中で、幸福を手にする人と幸福を手にできない人を観察すると、両者の間には明らかな違いがある、と述べているのです。幸福を手に入れる人の多くは「惜福」の工夫をする人で、幸福を手に入れられない人の10中8,9までが「惜福」の工夫をしない人だと述べています。では、「惜福」とはどういうことかというと、福を使い尽くさないことです。露伴は、「惜福」の工夫ということを、具体的に例示しています。明治時代のことですので、現代とは時代背景が異なりますが、そのまま記載します。例えば、100万円のお金があるとして、これを使い尽くして1円も残さないのは、「惜福」の工夫がないということです。必要なことに使う以外は、貯蓄などをして浪費しないのは、「惜福」の工夫があるということです。

 また、母親から新しい着物を贈られたと仮定すると、その美しく軽やかなことを喜び、古い着物がまだ着れるのに、新しい着物を着て、古い着物をタンスにしまい込んでしまい、新しい着物を着崩して折り目もわからないようにしてしまうことは、「惜福」の工夫がないということです。母親の厚意に感謝して、新しい着物をすぐには着ずに、古い着物がまだ着れる間は、古い着物を平常の服として着て、新しい着物は冠婚葬祭のようなイベント事のときに着ることは、古い着物も新しい着物も活用し、他人に対しても礼節を失わないこととなるのです。このようにすることを福を惜しむというのです。

 他人が自分に対して信用してくれて、100万円位なら無担保無利息で貸してくれるというとき、喜んでその100万円を借りることに不都合はありません。しかし、それは「惜福」の工夫という点においては欠けているのであって、100万円のうち50万円だけ借りるとか、担保を提供するとか、正当な利子を払うということが、自分の福を惜しむことになるのです。すなわち、自由に100万円を使用できるという自分の福を使い尽くさずに、幾分かを残しておく、それを「惜福」の工夫というのです。倹約や吝嗇を惜福と解してはいけません。すべて享受できるところの福を取り尽くさず、使い尽くさずに、これを天というか将来というか、いずれにしても運命に預けておくことを、福を惜しむと言うのです。「惜福」の工夫をしている人は、不思議にまた福に遭うものであり、「惜福」の工夫に欠けている人は不思議に福に遭わないものであることは、面白い世間の現象です。

 「惜福」(せきふく)とは、文字通り福を惜しむことです。自らに与えられた福を、取り尽くし、使い尽くしてしまわずに、天に預けておく、ということ。その心掛けが、再度運にめぐり合う確率を高くする、と説かれます。露伴「幸福に遇う人を観ると、多くは「惜福」の工夫のある人であって、然らざる否運の人を観ると、十の八、九までは少しも惜福の工夫のない人である。福を取り尽くしてしまわぬが惜福であり、また使い尽くしてしまわぬが惜福である。惜福の工夫を積んでいる人が、不思議にまた福に遇うものであり、惜福の工夫に欠けて居る人が不思議に福に遇わぬものであることは、面白い世間の現象である」と述べています。例えば、宝くじで1億円が当たったら〔笑〕、全部使ってしまわずに、2千万円くらいは貯金に回しておこう、つまり福を大事にする精神のことですね。よそ行きのいい洋服を作ってもらったら、それまで着ていたまだ十分着れる服をさっさと捨てて、いい洋服を普段着のように着回すのではなく、ちゃんとよそ行き用だけに着て、古い普段着はさらにブラシをかけて着る。控えめにして、自ら抑制する、いい福が来たら、それを惜しむような態度でいると、福が集まるということです。

 徳川家康は、質素倹約家であったことが知られています。家康はいつも麦飯を食べていたのですが、それを見かねて家臣が白米を入れて作ると、家康に叱責されました。その理由は「主が進んで倹約すれば、いくらかを戦費に回せるし、百姓たちもいたわることができよう」とのことでした。「惜福」の好例として露伴が引いています。

 さらに露伴は続けて、「分福」「植福」の大切さも説きます。「分福」(ぶんぷく)とは、幸福を人に分け与えること。いい事があったら一人占めにせず、他の人にも福をおすそ分けをすることです。自分一人の幸福はありえない、周囲を幸福にすることが、自らの幸福につながる、と説かれます。「恩送り」「情けは人のためならず」と近い考え方ですね。露伴「すべて人世の事は時計の振子のようなもので、右へ動かした丈は左へ動き、 左へ動いた丈は右に動くもの、自分から福を分ち与えれば人もまた自分に福を分ち与えるものだ」と述べています。露伴によれば、恵まれた福を分かつことは、春風の和らぎ、春の日の暖かみのようなものであると言います。春風はものを長ずる力であり、暖かさでは夏の風にはかなわないが、冬を和らげ、みんなを懐かしい気持ちに誘うことができる。それと同じように、福を分かつ心を抱いていると、その心を受けた者はやすらかな感情を抱くものです。分福をあえてなす者は、周囲に和やかな気を与えることができるのです。どこからお土産をたくさんもらったら、それをお裾分けする。ただし、あくまでも好意で分けるのですから、「見返り」を期待してはいけません。福は天からの授かり物であって、自分に何かいいことが起こったら、それを天の一角に返す気持ちで他人に分ける、そういう気持ちが大切です。するとめぐりめぐって、いつの日か再び自分に回ってくるということです。上司に褒められた場合も、「ありがとうございます。これも、同僚や先輩の皆さんがお力を貸してくださったおかげです」と一言添えるのも、一種の分福と言えるでしょう。商売で儲けたときに、社長が、利益を従業員に分けてあげると、儲かると自分たちにもいいことがあるんだと分かり、熱心に業務に励もうと努力する、と露伴は例を挙げています。分福をせずに商売で得た利益を独り占めして、社長が自分の懐を潤すだけなら、儲けようが損をしようが、自分たちには関係ないと考えて、熱心に働く気も失せ、やがては、その店はもうけのチャンスを逃すことになるだろうと言っています。

 豊臣秀吉は、部下に対して大変大盤振る舞いをする人でした。自分でも金の茶室を作るなど豪華なところを持っていて、部下へも気前よく褒美を振る舞うところからして、露伴秀吉「分福」の性質のある人物として紹介しています。

 「植福」(しょくふく)とは、後世の人々の幸せのために「福の種」を植えることであり、3つの福の中でこれが最も大切だ、と露伴は言います。将来にわたって幸せであり続けるように、今から幸福の種を蒔いておくこと、精進(正しい努力)し続けることが重要です。過去に自らが蒔いた種が芽を出し、今の自分を創っている。過去を書き替えることはできないが、今から良い種を蒔き続ければ、望ましい未来につなげることが出来る、と説きます。例えば、60歳になるおじいさんが、自分の土地に植林を始めたとしましょう。小さな苗木を1本1本と何日もかかって植えていきます。この木が成長して材木などに利用できるようになるまでには、何十年とかかります。その頃には、もうこのおじいさんは生きてはいません。あれだけ丹精を込めて育てた苗の恩恵を自分は全く受けないかもしれません。でも自分が恩恵をこうむらなくても、子孫や村、ひいてはお国のためには、福となって返ってくるのです。自分に返らないことがわかっていながら、なおかつ福を植えるという気構え、これが植福です。1人の植福がどれだけ社会全体を幸福にするか計り知れません。植福において、個人と社会の福がつながってくるのです。植福とは、自分の力・情・智をもって、人の世に幸福をもたらす物質・清趣・知識を提供することを言うのである。すなわち、人の世の慶福を増進長育するところの行為を植福と言う」と、露伴は説いています。

 簡単にまとめると、「福」が来たらそれを全部使い切らないで、守る(惜福)。そして、その「福」を他の人にもしかるべく分けてあげる(分福)。さらにその「福」を人間社会の幸福増進のために使うべく、福の種を蒔いて植えていく(植福)のです。

 福とは天に向かって矢を放った状態だといえます。矢は必ず落ちてきます。つまり、そのままにしておいては福はなくなります。福をなくさないためにも、さらには福を増やすためにも、「惜福」「分福」「植福」の3つの工夫があるのです。露伴はこれをやったら必ず幸せになれると言っているのではありません。自分のやることに責任を持ち「惜福」「分福」「植福」を地道に積み重ねることこそ大切なことだ、と感じています。私は若い時に、故・渡部昇一先生の影響で、幸田露伴の本を読んで、ずいぶん生き方の参考にさせてもらいました。一冊の本との巡り逢いで人生が変わったのです。❤❤❤

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